変態の日本史 第1回 はじめに“独神ひとりがみ”がいた。『古事記』

大塚ひかり(おおつか ひかり)/ 古典エッセイスト

1961年横浜市生まれ 早稲田大学第一文学部で日本史を専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻(以上ちくま文庫)、『本当はひどかった昔の日本』(新潮文庫)、『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(草思社文庫)など著書多数。趣味は系図作り。

dokushin

 『日本の古典はエロが9割』という本を書いた時、タイトルを言うと「版元がつけたんだよね売れるように」「いや私だけど」「( ゚д゚)」みたいな展開になることが一度ならずあった。でもこれ、四十年以上、日本の古典漬けになってる私からすると実感なんです。日本神話は全編、神や天皇の性の記録だし(そもそも日本は神々のセックスで生まれた設定)、『源氏物語』は不倫文学、『今昔物語集』のほとんどは性愛話ですから。クィアな性も満載で、男色話は枚挙にいとまなく、有名な弥次さん喜多さんも『東海道中膝栗毛』の原話では駆け落ちした男色カップルです。なのに女と結婚したり、大名行列の奴の“金玉がのぞひている”と喜んだり、要するに両性愛。有名な『とりかへばや』も性同一性障害の話だし、クィアな性がもはや少数派でも何でもない感のあるのが日本の古典文学なわけです。

 そんな日本古典の中でもエロ度・変態度共に最高峰の『古事記』『日本書紀』の冒頭には、意外な人たちが登場する。

 独身のまま消えていった“別天神ことあまつかみ”というスペシャルな“独神”たち(『古事記』)です。『日本書紀』では“純男ひたを”といって、セックスによらずに生まれた純度の高い男たちが原初の世界にいたことになってる。世界のはじめに童貞男たちがいたってことでしょうか。これは男尊女卑の古代中国思想の影響のようで、女神を含めた独身神たちが最初にいたという『古事記』のほうが日本の原初の形らしい。セックスで国と神々を作るイザナキとイザナミという夫婦神が登場するのはそのあとで、彼らは独身神たちに命じられ、その指示の下に国作りしているんです。

 この神話の意味するところは色々あるでしょう。性という動物的な営みによって生まれたものより、自然発生したもののほうが上という神秘性を重んじる気持ちもあるでしょう。

 それ以上に、私は神話というもののもつ深みに思いが至ります。

 考えてみると皆が当たり前に配偶者を持つということが前提の社会になったのはつい十七世紀のこと(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』)。都市部に限っては幕末でも婚姻率は約五割でした。それ以前の長い歴史においては、異性同性含め、特定の性の相手がいない人が大半だったわけで、この世のすべてをフォローする神話としては、独身神も当然いなきゃおかしいと、一つにはそういう理屈が働いているのではないか。

 高度成長期には独身貴族なんてことばもあったけれど、現代日本社会では貧乏だから独身だったり性の相手がいないという前近代に近づいていて、ひょっとしたら、独り身がいちばん差別の目で見られているかもしれない。そんな時代に、夫婦神を操った太古の“独神”たちの存在は頼もしくもまぶしくも見えるのではないでしょうか。

(つづく)

イラスト・こうき