「伏見方丈記」其の参 「由紀夫に倣うか、淳一を往くか」

negi

加嶋誠という画家が最近お気に入りで、暇にあかせてその作品を愛でている。彼の作品がどういうものかというと、一言「おじさん」。太鼓腹に腹毛も夥しいおじさん、片手をパンツに突っ込んでいるおじさん。若い娘と淫らに交わるおじさん……。人生の澱が溜まった中高年の男たちの一瞬を、洒落たタッチで切り取っている。

私はおじさん好きのゲイではないのだが、彼の作品世界は心地よく、なんともいえない官能を与えてくれる。作者の視界のなかで(私の分身でもある)おじさんたちは、その存在を許され、それどころか崇められ、無垢な愛を注がれているのだ。

考えてみれば、おじさんばかりでなく男性の身体は、少し前まではエロティックな表象ではありえなかった。スポーツ選手や兵士などの強靭な肉体が憧憬の対象だったことはあっても、男性の身体を性的にとらえることは、同性愛への禁忌とともに社会的に抑圧されてきた。彫像などで、女性の胸がリアルに表現されるのに対して、男性の股間が「曖昧模っ糊り」(美術史家の木下直之の造語)にごまかされてきたのが、それをよく表している。

けれど昨今、女性やゲイたちの台頭とともに男性のからだは再発見される。男性が他者の視線を自身のなかに自覚する意識を「ゲイ的」というのならば、先鞭をつけたのが三島由紀夫であるのは間違いなく、彼のボディビルなどへの傾倒は、闘う筋肉というよりは見せる筋肉の造形であった。いってみれば、いまどきのゲイたちがジムへ通ってセックスのための輪郭をまとうのと同じ。どの筋肉の陰影を強調するのかすら、自分の眼球に映し出していただろう。

ところで、加嶋の眼差すおじさんは、むしろ「ゲイ的」ではなく、性的な自意識に汚染されていないそのままのおじさんともいえる。彼にとってはたぶん、「ゲイ的」、換言すると自己言及的な性の自意識は、おじさんのおじさんたる魅力を損なうものでしかない。おじさんとは、自らが下心とともに視られるなどとは想像もつかない種族であって、そういう自我を持たないからこそおじさんなのである。

おじさん、もうちょっとアグレッシブに表現するとオヤジのオヤジらしさを、もっとも端的に小説で表現したしたのは渡辺淳一かもしれない。私は以前、彼の代表作『愛の流刑地』を読んでいて、その見事なオヤジっぷりに感服したことがあった。というのも、度々挿入される濡れ場シーンにおいて、主人公の中年男がセックスの前にシャワーを浴びないことにまったくためらいがなかったから。時系列を詳細にたどりながら分析を試みたのだが、十六回戦目の交合を迎えるにあたって初めて!著者は主人公に事前にからだを洗う機会を与えていた(それも温泉シーンだけどね)。

これは視覚だけでなく嗅覚の話しでもあるのだが、わかりやすくいえば、「チンコ臭いの気にしないのかよ!? 」問題である。ことの本質は、衛生観念以上に、自己の肉体を客体化(それも性的に)する視角を持っているかどうか、ということ。女性たちに疎まれるオヤジになるかどうかの分岐点は、この辺りの配慮にある。

けれど加嶋の描き出すおじさんや、フケ専のゲイたちの愛すべき対象は、むしろこの手のおじさんである。三島由紀夫のような自意識の病に冒された作家や、小綺麗を売りにしたい「ちょいワルおやじ」はおじさんとしては邪道で、彼らにとってはあまり魅力を持ち得ない。たぶん、自己を性的記号として認識すること自体、男らしくない所業なのである。

とはいえ、他者を見るだけの目しか持たないおじさんと現実に上手く付き合うことができるか、というとそれも今日日、簡単なことではない。フケ専のゲイでさえ、セックスに惹かれることと、現実におじさんと関わっていくことの矛盾にため息をつく。私のゲイの友人の一人はぼやく。

「自分はふつーのおじさんが好きなんだけど、そういうホモって、ゲイとして生きていくなんていう理想はひとかけらも持たずに、女性と結婚していたりするから、愛人にはなれても、恋人にはなれないんだよね」

ゲイライフのような新奇な理念に共感するようじゃ、彼にとっての「ふつーのおじさん」ではありえないし、「ふつーのおじさん」は「男どうし連れ添い、とも白髪に…」などとはけっして思わないのである。そのねじれた欲望に胸を痛めるのが、いまどきのフケ専ゲイかもしれない。

逆照射すれば、おじさんとして生きていくのも楽じゃない。ありのまま♬の自分を愛してくれるのは、愛されたくもないフケ専のゲイくらいしかいないし、若い女子などに好かれようとするのなら、どうしても心に手鏡を持たなければならない。言い換えると、渡辺淳一のような世界に居直るのか、三島由紀夫のごとく自意識の肥大化へ歩を進めるのか。目という器官を持ったことが生物に劇的な進化を促したというが、おじさんたちの選択も、一つの進化の過程であるのかもしれない。

伏見憲明

(初出・「文藝 」2016 秋)

イラスト・加嶋誠