伏見憲明の書評   

竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館)

shounennonaいまや自分の性的指向、嗜好についてあけすけに語ることは当たり前の時代になったが、そんな風景はせいぜい九十年代以降のこと。前近代に見られる豊穣な日本の性は、近代化に伴い隠蔽された。それが戦後の自由にとともに吹き出したさまざまな風俗、ウーマンリブや猥褻をめぐる裁判や、性教育の試み、経済成長による社会の爛熟、性的マイノリティの運動……等々によって、再び可視化されるようになっていった。

いまや巨大なマーケットを形成するまでに至ったボーイズラブ(女性たちによる少年同士の性愛を嗜好とする欲望)の表象も、七十年代の初頭、新人女性漫画家らの間に胚胎し、世に放たれたものだった。この、竹宮惠子著『少年の名はジルベール』は、元祖“ボーイズラブ”ともいえる著者の、伝説の“大泉サロン”についての回想録。のちに人気漫画家となった竹宮や萩尾望都らの共同生活と、そこに集った人々の人間模様、当時の出版状況について詳述している。

初期の少女漫画は紋切り型の物語ばかりが生産され、恋愛モノでもキスを描くのが精一杯、ハッピーエンドの先にあるものさえ表現しえなかった。そんなジャンルにおいていったいなぜ少年愛の世界を描くことが可能となったのか。そもそも同性愛自体が、社会的な禁忌の対象だったというのに、どうしてそのような表現が未成年向けの媒体に登場するようになったのか。

「読者の少女たちは勝手だ。精神面だけじゃなくフィジカルも描いて、と言いつつ、露骨な表現には極めて厳しい。(略)フィジカルな何かを入れられる方法はないものか……」そんな問題意識を持っていた竹宮は、少年同士の魂や身体のふれあい、同性愛への憧憬も抱いていた。しかしそのような作品を描くことは常識外れもいいところだったし、実際、編集部は容易に首を縦にふらなかった。おかげで、代表作となる『風と木の詩』は長くお蔵入りとなり、彼女はそのライフワークを世に出すために悪戦苦闘を繰り返す。

男性中心の出版業界において、そうしたテーマの作品で編集者の理解を得ることは困難だったが、似たような作品の傾向を持つライバルの萩尾望都は、『ポーの一族』などの作品で評価を得つつあった。共通の編集者を持つ竹宮は、「少年愛的な部分を普遍的な、ある種共感できるドラマのなかに吸収できているかどうかの違いが、Yさん(筆者注・編集者)の掲載の判断の差にもなって表れていた」と焦りを感じざるを得なかった。

kazetokiそこで、まず、技術的な力量を身につけることを心がけ、マーケットでの実績を作るためにヒット作を生み出すことに専心する。さらに、『風と木の詩』の完成度を高めるため、編集部にそれと気づかれないよう巧みに習作を発表し続け、ひそかに感性の共感を読者に広げていく。そうした艱難辛苦と努力の結果、やっとかの作品は世に出、大反響を巻き起こし、今日の“ボーイズラブ”分野の礎を築くこととなった。

これは漫画史としても興味深いが、日本社会における性の歴史としても貴重な記録だろう。練馬の小さなサロンに芽生え、そこで形となった欲望の表現が、社会的なタブーを乗り越え、マーケットで支持を広げ、さらに一般的な承認まで得る……。その過程には、女性差別的な会社組織との関係や、コミック産業の労働環境などジェンダーの問題も深く関わってくる。

肝要なのは、小さな働きかけからも社会は変わるし、その欲望が人口に膾炙すると、社会的なルールは編み直されるという事実。どのようにして構造が変化していくのかを、局所的な視点から明らかにしているという意味で、本書がいち作家の回顧を超え、社会学的に考察されるべき内容を含んでいることは間違いない。

ちなみに、七、八十年代を通じてこのジャンルが層を成していたからこそ、九十年代以降、日本のLGBT運動への共感は広がり易かった。現実のゲイに対するメディアの関心を、“腐女子”たちのマーケットが後押ししていたからである。逆に、ゲイ雑誌「薔薇族」の創刊(1971)が大泉サロンに影響を与えていたという証言も興味深い。さまざまな動きの相互作用によって、世の中は変化していくのである。