「伏見方丈記」其の五

子どもだった自分への手紙

 

51rlu0bta0l-_sx346_bo1204203200_子どもだった頃の自分に手紙を書くとしたら、いったいどんなことをメッセージするのだろうか。

私は、自分の同性愛の欲望を意識するずっと前から、「女性的な子供」であった。現在は、性同一性障害とか同性愛者だとか、性的なマイノリティの存在が世間で認知されるようになったが、当時(1960~80年代)はまだ「性的多様性」などという観念もなく、男は男、女は女というありようしかないと、かたく信じられていた。

だから、親戚のひとたちは(善意から)私を「男性的に」すべく小言を言ったし、学校では男女問わずどの先生も、通知表の所見に「男らしくしてほしい」という要望を記した。子供だった筆者は、教師にそのように思われていることを両親に知られるのが恥ずかしく、学期末、通知表を家に持って帰るのが苦痛だった。

そんな感じの少年だったから、当然、同世代の子供たちのいじめの対象にもなっていて、態度物腰をよく「女みたい」だとからかわれ、男子のヒエラルキーのなかで、侮蔑的に扱われた。そして小学校も高学年になってくると、女子にも、「男の腐ったやつ」と白い目を向けられた。身体に刻印されていく女性性を受け入れることに苛立つ少女たちにも、(現在で言うところの)ジェンダーから逸脱している男子が、どこか疎ましかったのだろう。

そして、そんな自分をいちばん恥じていたのは、自分自身だった。オールタナティブな価値観を持たないゆえに、どうして男らしくできないのだろうか?と悲しかった。本当ならば他人が自分を否定しても、せめて自分くらいは自分を励ましてあげればいいのだろうが、その自分ですら、あるがままのありようを認めてあげられなかったのだ。ある意味で、自身からも孤立していたのかもしれない。

そんなふうに「ひとりぼっち」だった頃の経験は、いまにしても思えばけっして無駄ではなかったのだけれど、でも、できることなら同じ思いを下の世代にはさせたくない。

小学生の自分を振り返ると、何よりつらかったのは、心が折れないないように必死で耐えていることだったかもしれない。学校からの帰り道、「オカマだー!」「中性だー!」と同級生からからかわれても、男子の遊び仲間から排除されても、いつも平気なふりを演じていた。なぜなら、一度、弱音を吐いてしまうと、ポキッと心が折れ、もう立ち直れないような気がしたからだ。だから家族にも教師にも自分が苦しんでいることを悟られないようにしていた。子供は親の前では仮面をつけるものなのである。

いま、過去の自分に言ってあげたい言葉は、弱音を吐きたかったら吐けばいいんだ、ということだ。「大人に言いつける」ことが子供の社会のなかでの掟破りであっても、辛かったらそうすればいいし、周囲に弱虫と思われてもいい。そのことによって、張りつめた心がポキッと折れてしまってもかまわない。折れたものがもう一生元に戻らないなどということはないのだから!

大切なのは、頑張ること「だけ」ではない。人間は強いばかりでなく、弱い存在だ。そしてどんなに弱くても、生きようとするのが生き物でもある。そんな生物としての力が誰のなかでにもあることを信じてほしい。喉がかれるほど泣いたら、どこかから生きる力がわいてくるものなのだから。

初出・「児童心理」2011.1