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すっかり浦島太郎になってしまった伏見憲明(53才)が、いまどきのLGBTについて学び直すコーナー「おしえてLGBT!!」。最初のゲストは、若い世代に大人気の「やる気あり美」のリーダー、太田尚樹さん(28才)。

好評だった前編に引き続き、後編をお届けします。読者の方々も、いまどきの若いアクティヴィスト、クリエーターの感性に大いに刺激を受けることでしょう。

 

太田尚樹 /  やる気あり美 -世の中とLGBTの グッとくる接点をもっと- (http://yaruki-arimi.com )代表。ゲイ。ソトコトで連載中。バレーがマジで好き、とのこと。

 

上司へのカミングアウトを通じて見えたこと

 

伏見:大学生になった太田さんは、高校時代と同様、好きな男性ができたわいいが振られちゃったわけですけど、今後はゲイとして生きていく、っていう気持ちにはなったんですか?

太田:なれましたね。もうゲイしかないなっていう。

伏見:覚悟が決まった。

太田:そうですね。

伏見:自己肯定感の水位が上がったわけですね。

太田:今度は他人からの承認が欲しいってモードになっていました。

伏見:承認というのは?

太田:大好きな友達に受け入れてほしいっていう気持ちが高まって来た。

伏見:カミングアウトし始めって誰かれ構わず言いたくなる時期ってあるんだよね。

太田:あぁ、そんな感じですね。誰かれ構わずっていうか、仲いい友達には言いたいっていう感じです。

伏見:それで、だいたいみんな受け入れてくれた?

太田:はい、ありがたいことに。「早く言ってくれたらよかったのに」っていう友人が大半でした。

伏見:ところが、大学を卒業して、社会人になってからがちょっと大変だった。

太田:大変でしたね。

伏見:それは何が大変だったの?

太田:まず、前提として僕が行った会社は営業が強い会社だったんですね。そうなると体育会系で、会社では男子は遊びもできて尚且つ仕事もできて一人前、女子はいつ見ても化粧はバッチリ、可愛くて仕事ができて当たり前っていうノリがあったんですね。それで、男子は宴会芸で脱ぐのなんて普通、「新人なのにやらないんだね」という目が僕としてはしんどかったんです。それとは別に、一年目の僕は仕事ができなかったんですよ。それで、仕事でも先輩たちと絆を深められず、プライベートの話をしても絆を深められなかったことがしんどかった。同期の中で、仕事はできないのに風俗の話で先輩たちと関係を深めていったやつがいて、羨ましいなぁと思っていました。

伏見:太田さんは、そのお調子者的な同僚のことが嫌いだったんですか?

太田:いや、彼とは同期特有の絆があって仲良かったです。ただお調子者として、宴会で服を脱いでっていう行為は真似できなかったです。

伏見:でも、会社の文化も学校の文化もね、その人の見てる範囲でしか見えないじゃないですか。最近うちに来たお客様で、オネエというか、女装っぽい方がいて、よくよく話を聞いたら、会社員時代はエリートで部下が300人くらいいて、「カマ部長って呼ばれてたのぉ!」って楽しそうに語っていた。太田さんの元いた業界の方だけど。

客席:(笑い)

伏見:その脱サラした人は、「カマ部長で宴会の時に社長よりも女装がうまいから本当に大変で…」って宴会での苦労話をされていたんだけど、「でもカマでは部長が限界で役員は無理だったの!」って言っていた。

太田:僕も今あの会社にいたらカマ社員に成り下がってたと思います。成り下がっていたというか…

伏見:成り上がってた?(笑い)

太田:ただ、わかり安いオネエみたいなことは支持されても、オネエ芸ができない自分には居場所がないかもしれません。

伏見:会社の人には、ゲイであることは言ったの?

太田:すごい尊敬している上司には言ったんですけど、そのことが僕の活動していくきっかけにもなった。その上司のことを僕はすごく好きで、絶対に差別はしない人だったんですよ。でも、自分がゲイであることを言った時に、「あぁ、いいと思う」しか言えなかった。受け入れたくても受け入れ方がわからない状態を、目の当たりにしたんです。それで、差別しないってマインドとは別に、受け入れるときのコミュニケーション方法を知っていることが重要なんじゃないかって思った。例えば、男女が出会った時に、男子は女子に下ネタを言わないとか、男子同士でもコミュニケーションのとりかたとかはわかっているけど、自分がゲイでなんです、って言った時に相手はなにを言えばいいかわからない。

伏見:その上司は太田さんのことをわかりたいっていう気持ちがあった?

太田:そうです。上司はその時すごく悩んだはずですが、それが、僕としては後ろめたく思えて。

伏見:でも、結局、カムアウトして拒絶されたわけではない?

太田:確かにそれはないですね。

伏見:もちろん大変な経験をしている人もいるんだけど、ぼく自身の体験とか、ここ数年周囲で訊く話しとかで悲惨な目にあったケースはそうないんだよね。まあ、中にはあるんだけど、案外少ない。太田さんのようにあっさり受け入れられたとか、やはり「わかってた」と言われたり、それがどうしたの?的な反応だったり……が多い。

真面目に言うと、理論的に勉強してしまうことの弊害っていうのがあって、先回りして構造として自分の置かれた状況を捉えると、頭の中に被差別・差別の図式が刻印されてしまって、そのフレームでしか物事が見えなくなってしまう(構造で捉えられたから差別を認識できるって面もあるわけだが)。そうすると、本人の中でも、そこから出てくる言説も差別の図式に囚われてしまい、今度はリアルな社会とシンクロしなくなる傾向がある。大学院なんかでジェンダーとかセクシュアリティを勉強なんかしちゃうと大抵、そうなってしまう。これって実は極めて理論的な問題なんだけどね。ぼくは経験的に、不可能性を強調するよりも可能性をいうほうが日本はいい社会だと思うんですよ。だから、太田さんの言う、コミュニケーションの技術を開発していくっていう発想は大いに支持しますね。

太田:いやぁ、ありがとうございます。それは、あり美の活動とかにもつながっていくと思います。

伏見:だけど、ぼくはあまり他人の表現を否定したくないのね。だから、オネエタレントが出てきたから拓かれた世界もあると評価するし、やる気あり美さんが頑張ってくれて救われる子たちもいると思う。活動のチャンネルが多様化していれば、いろんな感受性を持った人たちが救われる。

太田:僕らは、2年くらいかけて、社会運動というよりも社会をどう設計していくかっていうことにマインドが移った、というのがあるのかもしれません。ある起業支援のプロジェクトにやる気あり美は参加しているのですが、この2年、そこで色々な会社の社長さんとかにプレゼンしてフィードバックをいただく機会がたくさんあったんですね。そのときに、「お前らのサービスって誰の何をどう変えたいの?」「競合とどう違うの? それこそReBitやLetibeeとどう違うの?」「それって行政がなぜやってないの?」とかってさんざん問われて、改めて既存のLGBT関連運動、事業、サービスを冷静に再評価できたんですよね。それを通じて伏見さんをはじめとした先人たちの歩みにも、今ある数多のLGBT関連団体の活動にも、心からリスペクトの念がわいたし、また冷静に、各活動がどういう役割を担っているのかマッピングしていけたんですよね。

伏見:それで、マッピングをしてみて、どっち方面に自分たちのやるべきことがあると?

太田差別がどうやってなくなっていくのかって考えると、それは、社会の「理解」と「LOVE」がどう進むのかにかかっている。LOVEの文脈は、これまでだったらオネエに任せてきたわけだけど、オネエとは関係なく(それこそ井上涼みたいに)ゲイってオープンにしていて、凄く人気なクリエーターがいてもいい。そんなふうに、LOVEの文脈をオネエじゃないもので補強していくっていうことが、僕らのやりたいことだし、意味があることだと思いました。

伏見:「オネエじゃない」っていうことを何度も仰ってましたけど(笑い)、キーワードは「オネエじゃない」っていうところにあるのね?

太田:まあそうですね(笑い)。オネエだけじゃなく、世の中のLGBTに対するLOVEを増やす。そういう意味で、僕はカズレーザーとかは新しい兆しだと思っていて。

伏見:ご存知ないと思うんだけど、ぼくは1991年に最初の本を出して、当時、太田さんと同様、オネエじゃないキャラで世に出ることが大事だと思って、テレビとか雑誌でオネエじゃないキャラを「演じ」ました(笑い)。戦略的にやったんだけど、一人二人の活動で世の中の構造が変わるわけではないので、そんなに影響しなかったかもしれないが、そのうちに、オネエタレントとは別に、いろんな人が顔出しするようになって、メディアに出られるイケメンも出てきて(ゲイ雑誌に登場するGOGOとかね)、そうやってじょじょにカミングアウトの流れは大きくなっていった。そういう文脈の中で、太田さんは新しい何かを加える人なんだろうな、って思っています。

ところで、今のパレードと20年前のパレードを比べてもそんなに風景って違わないんだよね。今のほうが「ふつう」っぽい参加者が多いけど、だいたいオネエかマッチョなんですよ。ぼくとしては、こんなに不毛なカルチャーってないと思っていて、もっとそこにいろいろなものがあると面白いなあと。すぐに「やっちゃう」文化だと、ほんとに豊穣な文化って育たないんだよね(笑い)。もっと深刻な差別でもあれば別なんだだろうが。

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なぜ、あえて「LGBT」なのか

 

伏見:それと、もうひとつ聞きたいんだけど、太田さんの中で、LGBTとゲイってどう違うの?

太田:LGBTとゲイ?

伏見:太田さんはゲイですよね。『確信』もゲイが主人公になっている。でも、LGBTっていう枠組みをよく言うじゃないですか。そこはどうしてですか?

太田:LGBTっていう言葉は権利を得ている言葉だから使っているだけ、というか。LGBTっていう言葉を使ったら、性の匂いのしないセクシュアル・マイノリティに勘定してもらえると思っていて。人権運動としてとか、夜の街の話ではないセクシュアル・マイノリティとして認識されている記号としてLGBTっていう言葉を使っているかもしれない。結構多くの人がそうなんじゃないかな。

伏見:それはゲイとは違うの? LGBTのGってゲイじゃないですか? そのゲイっていう括りとLGBTっていう言葉はどう使い分けているんですか?

太田:日常においてっていうことですか?

伏見:いろんな意味で。

太田:どう使い分けているんだろう?

伏見:LGBTってLとGとBとTが違うからLGBTっていうわけじゃん。でも、一括りで言ってる。そこの差異を太田さんはどう考えてます? LGBT内の差異に関しては。

太田:それは…本当に…

伏見:流行りだから?(笑い)

太田:流行りだからです。そのご指摘はまったくその通りで、僕らとしてもLGBTという言葉を使っておけば、世の中的には「あの話ね」ってなるので使っている。でも、僕は、LGBT or NOTっていう構造がある社会はLGBTを救わないと考えていて、伏見さんのクィアに近い部分かも知れないですけど、僕はセクシュアリティってなんでもいいよねって思っているんです。LGBTとそれを受け入れるアライって構造は、おかしいじゃないですか。

伏見:セクシュアリティってなんでもOKなの?

太田:いいと思いますけどね。

伏見:例えば、小児性愛とかそういうのってOKだと思います?

太田:あぁ……。

伏見:ぼくは、「何でもOK主義」っていうのも安直すぎて嫌いなんだよね。

客性:(笑い)

太田:そうですね。

伏見:これが大問題で、例えばパレードの中で、子供に対して性愛を持つことを是として主張したらどうなるのか。小児性愛のひとたちを差別したくないけれど(友だちもいるしね)、でもパブリックな意味で肯定することもできない…その辺りの難問については拙著『欲望問題』でも言及しています。

太田:そこに関しては、僕はドライな価値観を持っていて、人権って歴史上全ての人に認められたことってないじゃないですか? だから、僕はそういう質問をぶつけられた時に妙な理論をこねくり回して議論するのも意味がないって思うんですよ。「残念ですね、我々はあなたたちより権利が認められています」ってことでしかないなって思います。そうとしか言えない。小児性愛の方々の肩を持ちたい、持ちたくないってことじゃなくて、今はLGBTやセクシュアル・マイノリティって言われる人たち、性的指向と性自認においてマイノリティな人たちっていうところで、ただ僕たちは権利を得られ始めているって事実しか言えない。

伏見:ぼくもカミングアウトをした当時は、同性愛以外のセクシュアリティに関してはあまり知らなくて、そのうちレズビアンやバイセクシュアルの人たち、トランスジェンダーの人たちが目の前に現れて、当初は「こんな変態が世の中に居るのか!」って自分のことを棚に上げて思ったりしたものですが(笑い)、96年くらいから、クィアっていう大きな枠組みを作ろうと一生懸命やりはじめた。だけど、ある時期になって、クィアの中での差異とか戦略の違いとか色々なことがあって、これはいつも一緒でなくても、組めるときには組んだほうがいいと思うようになった。クィアとかLGBTとか一つの枠組みができると、その前提が当たり前のような「倒錯」も生まれて、今度はそこから逆に、セクシュアル・マイノリティの問題に関わるときに、ナニナニが足りないとか、ナニナニを排除しているとか…という非難まで生じることになる。でも、すべてのセクシュアル・マイノリティを網羅したり代弁したりすることなんてできないんだよね。網羅すればいいってばかりでもない。例えば、何かの会議に、「モンゴルに住む障害者のブスのバイセクシュアルの人がいない!」と批判されても、困るわけ(笑い)。でも、必ずナニナニが足りない批判っていうのを言う三流のアクティビストがいるわけですよ。

太田:必ずいますよね(笑い)

伏見:だいたい、「あれが足りないこれが足りない批判」をする人はあんまり物事を考えていないんですけど、そういうこともあって、安直に風呂敷ばっかり広げるのはどうかって思うわけですよ。

太田:その問題は後ろ倒しにしちゃっていますね。最近、ついにうちのメンバーにもレズビアンの子が入ったんですよ。でも、これからやる気あり美がどうなるかは僕にもわからなくて。もしかしたら安直にLGBTとまとめていることで、彼女のクリエイティビティと僕らの価値観のバッティングは起きるかも知れないけど、今はそれぞれのメンバーが個々でプロジェクトを進めています。

伏見:アイデンティティの問題と、クリエイティブな問題ってまた違うよね。

ところで、大田さんたちはクリエイティブな活動が中心になるわけだけど、LGBTとか性的マイノリティとかゲイとかそういうフレームは、あなたのクリエイティビティに必須なんですか?

太田:うーん……難しいですね。この領域でクリエイティブなことをやることに自己効力感を感じているんでしょうね。正確には、新宿二丁目にもアクティビスト業界にもノンケ社会にも、楽しいという感覚をもって足を踏み入れられながら、かつポリティカル・コレクトネスではなく、感性の領域で活動したい、と思っている人が、そんなに日本には人口がいない気がしているので、「自分たちだからできるかも」という勘違いがなんとなくあるんでしょうね。いつまでその勘違いが続くかですが(笑い)。

 

LGBTが「ふつう」になってもかまわない

 

伏見:太田さんは東京に来て様々な活動に関わるようになったとのことですが、最初に、グッド・エージング・エールズの松中権さんのところへ行ったっておっしゃってましたね。

太田:はい。自分は最初に、権さんにFacebookでメッセージを送って、会ってもらったんです。

伏見:でもなんで松中さんなの? サムソン高橋じゃなくて。

太田:イケてるから。

客席:(笑い)

伏見:やっぱり、サムソン高橋じゃ貧乏臭くてイヤなの?

太田:サムソンさんを当時は知らなかったっていうのもあるんですけど。権さんはイケてるなって思った。セクシュアリティを問わずイケてるなって思うものをテーマにしているところが、僕らには共通項としてありますね。登場してくるのはLGBTだけど、誰が見てもイケてるなって思うものを世の中に出せるのかっていうマインドを僕も持っていて、そういう点では権さんのコミュニケーション領域と近しいところがあるのかなって思います。

伏見:社会的ポジションが上層部にある感じがイケてる感じ?

太田:いや、そういうことではなく、単に視覚的にとかですかね?

伏見:え、松中さんが視覚的にイケてるの?(笑い)

太田:いやいや(笑い)今の時代はビジュアルって凄い重要だと思うんですけど、WEBサイトとかクリエイティブディレクション全般ですかね。最初の入りはそんな感じでしたね。大学生の頃、公民館でみんなでくそダサいレジュメを読むとか、そういうことはイケてないじゃんって思っていた自分にとっては、権さんへ憧れに近いものを感じました。

伏見:アデイの曜日担当を太田さんにお願いしたとき、いろんなお客さんが大勢来てくれたじゃないですか。太田さんの醸し出す雰囲気とか、あり美の表現にシンクロした人たちだったと思うんですけど、お客さんはどんな人たちでした? ゲイの人が多かった?

太田:ノンケの人も多かったですよ。女性の方とか。

伏見:そういうのって何を求めてくるんだと思いましたか?

太田:女の子で言えば、女子とのコミュニケーションもダルいし、男子とのコミュニケーションもダルいんだなって感じている人たち。それこそバリキャリ系の女子って、男に負けたくないけど、最後は男に選ばれたいっていうアンビバレントな葛藤を抱えているんですよね。

伏見:どうしても二丁目に来る女性はそういう方が多いよね。でも二丁目に来る女子とゲイが仲がいいっていうのは、反面、お互いがお互いをバカにしてるからだとも思うの。ゲイも内心、「所詮女」って思っている感じがあるし、女の人も心の片隅で「所詮はゲイじゃん」ってバカにした見方も持っている。換言すれば、それはお互いに馬鹿にしてあっているところの均衡なんだと思う。人間関係において対等って一番難しいことなんですよね。

太田:まず、ゲイと女性がお互いに見下しあっているっていうお話からいくと、僕はそう思うことが少ない。むしろ共感できると思うことのほうが多いんですよ。それは、バリキャリ女子とゲイの価値が向上し合っている中で、お互いクソだよねって言い合う関係から、お互い認められていないことは不当だよね、っていう関係になっているんじゃないかと、肌感覚で感じていますね。

伏見:バリキャリ女子は認められていないっていうところでゲイと共感できる、と。じゃあ、なんでバリキャリ同士だと共感が難しいのかっていう点はどう思う?

太田:そう言われると、バリキャリの女性同士はまだまだ男に選ばれる価値を評価し合っていますね。僕の仲が良いバリキャリの女子同士は会いたがらないんですよ。それは二人共、今はトップテーマが男に愛されるっていうことにあるので、そう思うとそこは苦しんでいるのかなと。

伏見:太田さんの感覚でいくと、ゲイと女性は「見下している感覚」というよりは、むしろ、「違う」ということを緩衝地帯にしているから互いにラクだ、ということだよね?

太田:そうですね。ラクなんだと思います。

伏見:ゲイ同士もすごく難しいじゃないですか。

太田:はい。

伏見:昔だったら、お互い差別されているっていうことで、「所詮オカマ同士じゃないか」っていう“けなしコミュニケーション”で納得できたけど、今だとゲイバーでも、「あんたブスね」っていう営業では怒っちゃうゲイもいっぱいいる。それにゲイ内格差、収入や学歴とかに皆が敏感になっていて、カラオケで最初に歌う曲のセンスとかまで(笑い)ピリピリ気にしている。

太田:言いますよね、確かに(笑い)

伏見:ミスチルだったら安全パイだとか、色々あるみたいですけど。

客席:(笑い)

太田:あります、あります(笑い)

伏見:お互いゲイっていう意味では同じなのに、差異っていうところでもの凄く繋がれなくなっている。

太田:確かにそうですね。僕はいいことだな、と思いますけどね。

伏見:その心は?

太田:(ゲイが)社会的な存在になって来たからこそ起こる問題。伏見さんの言葉で僕が勉強になったことですが、ゲイバーでも「あんた、社会では偉いかしらないけど、ちんぽをしゃぶってるから一緒じゃん」っていうノリなくなって、ふつうの社会になってきたのだと思います。

伏見:そういえば、法務省で、強姦の要件が今まではチンコとマンコの交接だったけど、今後はチンコとアナルでも強姦になるっていうことが検討されているらしく、ついにアナルもマンコ並みになる!っていうことよね。

客席:(笑い)

伏見:それはいいことでもあると思うんですけど、一般的な社会に包摂されれば、これからはハッテン場とかもこれからは許されなくなるかもしれない。二丁目的なコミュニケーションも過去の遺物になる。ゲイバーも存在価値を失ってしまうかもしれない。そうすると、「面白くなくなる」っていう面もあるんだよね。「ふつうになる」っていうのはそういうことだし、いわゆる社会の階層性がそのままLGBTにも持ち込まれるだけ。過去は、大きな差別があったからこそ階層性を意識しないで済んだのが面白かったわけですが、それを失うのを太田さんはいいことだと思いますか?

太田僕はいいことだと思いますけどね。確かに、カルチャーとしての面白さは、今までエッチだったものがなくなるとかあるかもしれないけど、自分自身はそこが大好きだったわけではないので、とくに問題はない。

 

同世代のアクティヴィストに「自分の感性で仕事してないな」と

 

伏見:そういう人から見ると、話題になった「ゲイエリート問題」にどういう感想を持たれました? 「OUT IN JAPAN」っていう松中さんたちがやってらっしゃるプロジェクトで、会社社会で地位が高めのゲイを集めて撮った写真がネットで喧伝されて、それに物凄い反発があったわけじゃないですか。

太田:僕が思っているのは、伏見さんたちがやっていた時代にはお金がまったくつかなかった運動に小金がつくみたいに変わってきていて、だから、今回のプロジェクト、そしてそれに付随する「ゲイエリート問題」はふつうに起きうる事象だなって思っています。僕が高校生だったらなかったものがあるようになったんだから、良くない?って思います。レスリー・キーに撮ってもらえるとかって、かっこいいじゃないですか。

伏見:ぼくもあれは全然いいと思うんですよ。太田さんたちが「オネエじゃない」っていう記号として一つのモデルになろうとしているのと同じように、社会的に成功した記号として次の世代にメッセージを伝えたいっていう気持ちはすごく尊いと思う。ただ、反発が起きるのも予測できる。本人たちの善意はともかくとして、100点をとった人が0点をとった人の前で答案用紙を見せびらかすような効果を持ってしまうことは避けられないし、今の日本の格差社会的な情緒とか、LGBT運動内の左翼主義とか平等主義とか、そういうメンタリティの中であれをやったら反発が起こることは、ある意味当然。でも、批判するのはちょっと違うよね。

太田:僕もそれは思いますね。

伏見:ゲイエリートの写真で怒っている人たちは、むしろ、自分たちが同じLGBTの共同性にいることが前提にあるんだよね。ぼく自身は世代的にそういう感覚を共有するけど、太田さんはあんまり共有してないんじゃない?

太田:そうですね。だから、同世代の活動家がやっていることでも、ずるいなって思う部分があります。僕自身は、LGBTは同じだって語らないようにしているんですよ。ゲイだからって気が合わない人もいるよね、っていうスタンスをとっているんですよ。

伏見:ずるいなっていうのは?

太田:なんだろう。LGBTとしての共同性が自分の中にほとんどない「別にそんなに悩みませんでした〜」みたいなLGBTの同世代アクティビスとが、本当に、熱量の高い運動として歩んできた先代と歩調を合わせて、堂々と「おかま、ということは差別発言になります」なんて言っているとかを見ると「自分の感性で仕事してないな」と思っちゃうんですよね。でもまぁ、そう言ってみて思いましたけど、これは、嫉妬ですね(笑い)。感情より、理性で動くアクティビストは確実に増えてきていて、それは先代のある意味功績であり、社会運動が社会設計に変わっていく大事な土壌で、超大事なことだと思いますし。なんなら、僕もさっき言ったように、それを2年間で磨いてきた、とか言ってますし。矛盾してますね(笑い)。でも、本当に素で理性的に動いてる年下アクティビスととか見るとすごいなぁと思います。

伏見:太田さんみたいな感覚になっていくことは自然の流れだと思う。ゲイとかLGBTとかで括るのは窮屈じゃね?って自分だって思うし。でも、それぞれの相対的な距離感の問題でもあって、共同性と距離感があると言っても、太田さんだって、たぶん、同世代のなかでは共同性に近いところにいるからこそLGBT枠にこだわっているんだろうし、パレードなどにも関わるんだろうし。

ところで、あり美は運動なの? 商売なの?

太田:ちょっとずつ商売にできたらなって思ってはいますけど、それで食っていくことは考えてないです。どちらかといえば、バンド活動に近いです。たまたまヒット曲が出たらいいな、って感覚です。

伏見:インディーズ的な?

太田:そういう感覚に近いです。更新数を上げることばかりにこだわると、結局それに呑み込まれてしまうので、それよりも、自分たちがカッコイイと思うことを曲にして出していきたい、みたいな方向に近い。というわけで、LGBTっていう言葉は体裁がいいから使わせてもらってますっていう感じですね。結論として僕らもクソですってことになるんですが。

客席:(笑い)

太田:同世代の活動家とかって本当に仲がいいんですよ。みんなでどうしていくんだろうね?ってことは話し合っているので、問題意識を共有している。

伏見:そのつながりはなんなの? それが共同性じゃないの?(笑い)

太田:でもそのつながりの中では、みんな同じような葛藤を感じているんだってことを感じます。「LGBT同士という濃い絆」というよりも、「チャレンジャー同士の濃い絆と、LGBT同士という薄い絆」って感じです。

伏見:パレードの実行委員もやっていたけど、それは?

太田:僕は代表の杉山文野さんと山縣真矢さんがすごく好きなんですよ。それで、お二人が困っていたからやった、っていうことが動機の大部分です。パレード自体は、価値を再認識できたので今思い返せばよかったです。でも、もともとは全然好きじゃなかったですし。

伏見:つまり、太田さんは個人的なつながりや情緒の中でLGBT運動と関わったと?

太田:そうです、そうです。

伏見:共同性の希薄化と、でもそこに残された個人的なつながりの情緒。……今日は太田さんのおかげで若い子の感じもちょっとだけわかりました。長い時間、どうもありがとうございました。

客席:(拍手)

太田:わかっていただけたのでしょうか? こちらこそありがとうございました。

(終了)