伏見方丈記 其の七

「未来を背に現在を往く」

 

front-runner年若いゲイの友人がカナダのモントリオールへ恋人と旅行に行った。そして現地からこんな電話をくれた。「どうもモントリオールでは昔オリンピックが開催されたみたいなんですよ」

彼の、史跡でも発見したような物言いに、一瞬頭がくらくらした。モントリオール五輪は1976年開催で、私はそのときすでに中学生だった。日本が金メダルを獲った男子体操や女子バレーボールなどいくつかの競技の光景も記憶に残っている。「この前」というほどではないが、「あのとき」というくらいには身近な過去だった。しかし89年生まれの彼にとっては、それは「歴史」というのに十分な昔話に違いない。

そういう年齢差を感じるとき、私のなかには諦めにも似た脱力が広がる。アデイに、私の過去の仕事を知らない若いゲイが来たときにもよく覚える感慨だ。彼らの何人かはまだ自分の内側に自らのセクシュアリティへの嫌悪を抱え、それを、若さゆえの傲慢さも重ねてこちらに投影してみせる。お気楽なオネエ芸で接客している私を見つめる彼らの瞳には、そこはかとない軽蔑や嫌悪が浮かんでいて、その「昔ながらの抑鬱」に、私は内心ため息をつく。

かつてだったら、そういう痛みを減じさせるためにさまざまな言葉を弄してもみただろうが、五十歳を超えた私にはそのエネルギーも、親切心もあまり残っていない。ただ、彼らが私に多少なりとも関心を持ち、手がかりや処方箋を求めてきたら、埃をかぶった机の引き出しから、何か役に立ちそうなものを探して出してあげたいと思う程度である。先回りして年長者が答えを差し出すのは鬱陶しいだけだろうし、なにより、自分の経験値を振りかざすような真似は格好が悪い(と自覚するくらいには羞恥心がある)。

話しが少し逸れてしまったが、問題はモントリオールである。友人からの電話のあとで私の記憶の断片がいくつかが繋がった。ような気がして、本棚から十数年も開くことがなかった一冊の本を取り出した。パトリシア・ネル・ウォーレン著『フロント・ランナー』。1974年にアメリカで刊行され、当時はまだクローゼットのなかに足場を置くしかなかった同性同士の愛を高らかに謳い上げた、ゲイ小説の不朽の名作である。世界中で一千万部以上のベストセラーになり、日本でも90年に(ジャーナリスト・作家)北丸雄二氏によって翻訳出版され、私もそのときに読んでいる。

たしか、その物語の舞台がモントリオール五輪だったような気がして、久しぶりに読み返してみた。

語り部のハーランは1935年生まれの元海兵隊員で、四十歳になったときには新進大学の陸上部のコーチをしていた。そこに三人の優秀な学生ランナーたちがやってくる。彼らは以前に所属していた大学を、ゲイであることが発覚したことで放逐され、ハーランを頼って再入学してきたのだ。彼がゲイであることを神経質に秘してきたのは、かつて、教え子の嫉妬からゲイ疑惑を噂され、最初の就職口を追われた過去があったからだった。

それゆえ、ハーランは新天地では仕事とゲイとしての行動を厳格に分けて、張り詰めながら暮らしてきた。が、入部してきた三人の若者のうちの一人、ビリーの蒼くまっすぐな求愛にあらがうことができず、激しい恋に落ちてしまう。そして、そのことでハーランはまたしてもホモフォービックな社会のなかで苦境に立たされることになる。

保守的だった陸上界の上層部の不興を買い、才能に恵まれているにもかかわらず、教え子たちはオリンピックに出場するのを陰に陽に妨害される結果となった。コーチもアスリートたちも自分自身のため、そしてゲイの権利のために、立ちふさがる障害にめげず走り続けようと挑戦する。結果、ビリーはオリンピックに出場する権利を得て、モントリオール五輪の1万メートルで見事、金メダルを獲得するに至る。が、次に走った5千メートル決勝の途中、狂信的な保守派のテロによってトラックの上で射殺されてしまう……。

90年代にこの作品を読んだときには気にしなかったのだが、考えてみれば、これが執筆された時点ではモントリオール五輪は開催されておらず、著者は、SFとまでは言わないが、近未来の夢物語として描いていたのだ。70年代初頭というのはまだゲイ革命の端緒になった「ストーンウォールの反乱」から数年しか経っておらず、米国ではプライドパレードが開かれるようになっていたが、いまほどにはゲイリブや性的少数者の運動は広がりや力を持っていなかった。オリンピックに出場するような選手のカムアウトなど想像外で、空想にしても初めて文字に書き起こされたものが、この『フロント・ランナー』だったと言える。

しかしこの未来予想図にだんだんと現実が追いつくようになり、ゲイリブは巨大な政治運動に展開するようになり、有名人やアスリートのなかにも堂々カムアウトするものが現れるようになった(オープンリーなフィギュアスケートの男子選手を「ジョニ子!」などと気楽に応援することができる現在は、70年代では確実にSFの世界だ)。この小説の最後には、人工授精によるゲイやレズビアンの新しい家族が描かれるが、今ではそうした試みは米国では珍しいことではなくなっているし、それ以前に、ビリーが暗殺されたのと同様、78年には米国で初めて公職に着いたハーヴィー・ミルクが実際に凶弾に倒れている。そう、『フロント・ランナー』は、ミルクの事件よりも前の作品なのである!

74年当時の私はというと、まだ十一歳。性の芽生えのようなものが生じる年頃ではあったが、ゲイのアイデンティティなど持ちようもなく、だけど、十分に女性的な男の子で(笑)、周囲からは奇異の目で見られ、すでに軽蔑と排除の対象になっていた。私自身、男と男が愛し合うなどという現実があろうとは考えもつかず、日本ではそんな奇妙(クィア)な夢想さえできない時代であった。けれど、モントリオール五輪の頃、つまり中学に入ったとき、私はすでに理性では抗しきれないような感情を同級生に抱いていたはずだ。それは恋としか言いようがない胸の痛みを伴っていたが、周囲にはもちろん、自分にもその感情の理由を明らかに(カムアウト)することはできなかった。私は不可避に、そして意図的に、自分を混乱した思考のなかに置くしかなかった。

さて、パトリシア・ネル・ウォーレンがSF的な想像力を駆使して生み出した五輪とは別に、モントリオール五輪は78年に実際、開催され、それから何度も四年目の五輪が巡ってきて、カナダのあの夏は歴史の地層にすっかり埋もれてしまった。あれから二十五年!も経って生まれたゲイ(私の友人)がいつの間にか大人になって、恋人と連れ立って行ったモントリオールには、もはや痕跡のなかにしかアスリートたちの饗宴も存在しなかった。そして、ウォーレンが四十年も前に頭の中に描いてみせた五輪も、もはや過去の輝かしさのなかにしかない。その二つの忘却に戦慄して、私はウォーレンが 90年代に著した続編、『ハーランズ・レース』を手に取らずにはいられなくなった。

harlans『フロント・ランナー』から遥か二十年後(1994)に出版されたこの作品は、ビリーの死後のハーランの人生をあつかっている。彼がいかに、愛する者を欠いた大きな喪失感のなかを生きたのかを、新しい恋と、ホモフォービックな社会との深刻な軋轢をまじえてミステリー仕立てに描いている。さらには、80年代に降ってきたAIDSという惨劇。病に倒れ死にゆく友人とともに走っていくハーランのその後は、未来の光に向かっていくことが信じられた70年代のラブストーリーとは打って変わって、酷く内省的で、陰鬱でさえある。しかし、それがこの時代の現実であり、振り返らざるを得ない記憶でもあった。

ところで、80年代以降はもう私の思春期、青春期と重なる。つまり、ゲイとしての私の歩みと同時代の、太平洋の向こう側の世界だ。「ゲイとして」などという表現自体、久しぶりに記したように思うが、そう書かざるを得ないような時代状況でもあった。少なくとも私にとってはーー。ちょっと口幅ったい言い方ではあるが、私が「フロント・ランナーだった」日々のはじまり、と言ってもいいかもしれない。あの頃のことを最近の私はいささか抹消したい気分になっているが、あれもまた捨て去ることができない生きてきた痕跡なのだろう。今、どんなにお気楽な中年を気取ってみても、私のなかには「ゲイとして」にこだわった日々が、腐りはじめた落ち葉のように堆積している。それはいまはまだ腐臭を放っているが、いつか腐り切って沃土になるのかどうか。

そうして、『ハーランズ・レース』の日本での出版(1997)からでもすでに二十年の歳月が経とうとしている今は2017年。ハーランが実在していたらすでに八十歳にもなるはずだが、多くの男たちを魅了したその肉体美も、老いの際に見る影もないだろう。『フロント・ランナー』の最後でビリーが残した遺伝子によって誕生した赤ん坊ですら、四十歳を過ぎていることになる(残念なことに、その子のことを著した『Billi’s Boy』は日本では翻訳刊行されていない)。米国のゲイリブに大いに影響を受けてカミングアウトした私のデビュー本からでさえ、四半世紀が過ぎ去った。

未来は現実になり、いつしか過去の墓碑(エピタフ)にさえなった。ここ数年の私は、自分がもはやどこを走っているのか、いや、走っているのかどうかもよくわからない。まるでコースを見失ったランナーのように時間の迷路をさまよっている。レースには必ず終着点があるが、死が生きることの外側にしかないとすれば、過去になった未来を背に現在を往くしかないのだ。

伏見憲明