伏見方丈記 其の六

同世代の歩みに思いを馳せる

 

私は同窓会が大の苦手である。理由はいくつかあって、一つは、小学生の記憶も、大学時代の出来事もいまだ生々しいかぎりで、素直に郷愁に寄りかかれないからだ。旧友と再会しても、当時の感情がそのまま解凍されたように立ち現れて、自分のなかの切実さと、友人たちの大人の対応とが折り合いがつかず、ちっとも思い出に浸れない。

それに、必要な友人とは切れずに付き合ってきているはずで、なつかしさも旧友の消息を一通り聞くまでのこと。あとは話しをしていても、「なんだ、こいつは」みたいな感情を押し隠すことにあたふたしてしまう。あと、90年代以降、伏見がいちばんお転婆だった時代には遠巻きにして声もかけてこなかったくせに、いまごろなんだ、という屈折した思いもなきにしもあらず(←了見が狭い)。

そんなわけで、同窓会のたぐいには参加しないようにしていて、できるだけ旧友たちとは距離を取っていた。だから、大学時代の同窓から A Day In The Life に集まりたいという連絡が来たときも、面倒だなあ…というのが正直な気持ちだった。それなのに引き受けてしまったのは、2月は水商売にとって客枯れの厳しい月。ましてやママが自ら毒舌で客減らしをしているアデイ であるから、ここで予約客を見込んでおくことは背に腹はかえられない選択だった。物書きとしても、五十代になった同世代の現在に興味がなくもなかったが。

大学時代の筆者

なので、気が重かったのだけど、当たり障りなくその数時間をやり過ごせばいいと自分を納得させて、少々緊張しつつその日に臨んだ。実際、集まった彼らの前ではできるだけ省エネ対応で、ドリンク作りで忙しいふりをして話しの輪に入らないように努めた(←ほんと、感じが悪い)。友人らは四半世紀以上の月日を経て、さすがに見た目は劣化していたが(←ひとのことは言えない)、老け込んだという印象ではなかった。むしろそれぞれの現場でしたたかに生き抜いてきた逞しさが、表情から見てとれた。

そのうちの一人が近づいてきて、意外なことを口にした。
「去年、LGBTのパレードに参加したんだよね。楽しかったよー」
彼は若い日の印象では、そういう社会運動とは無縁な男だと記憶していたので、面喰らった。
「ど、どうして?!」
理由はこうだった。彼が勤めている外資系の企業ではダイバーシティの政策に取り組んでいて、その一環で、LGBTのパレードに協力しているのだという。大学の同窓生と、まさかそんなところで接点を持とうとは考えもつかなかった。軽やかな口調でそれを語る彼に、この四半世紀で社会が変化したことをつくづく実感した。

それから、もう一人、学生時代にはそれほど近しくなかった友人にも、予想もつかないカミングアウト?をされた。
「本棚に置いていた伏見の本を、大学生になった息子が見つけて、オヤジなんでこんなの持ってるの?って驚かれたんだ」
その友人が自分に関心を持って本まで読んでくれていたことも想像外だったが、二十代の姿しか知らない彼に、すでに大学生の息子がいることに不思議な気持ちになった。
「だから、この本の著者は大学の友だちで、カミングアウトの火付け役になったんだ、って説明したら、へぇー!って」

大学を卒業したのが87年。あれから時を経て、それぞれが生きる環境も異なった。私は自分が思っていた以上に自己中心的な人間だったようで、人のことは「自分を遠巻きにして」などといじけて見ていたくせに、他の連中の人生に思いを馳せることはなかった。一人一人が切実な時を重ねて、今日まで生きてきたはずなのに、それに思いが及ばなかったのだ。改めて、同世代が歩んできた歳月を想像すると、自分自身が歩んできた時間に重ね合わせて切なくなる。とにもかくにもここまで日々をつないできた「私たち」を、褒めてやりたい気持ちになった。

そして、デビュー作に記していたはずなのに自分ですっかり忘れていた事実を思い出した。私がゲイであることを社会的に主張できたのは、大学に入学したての頃、同級生にカミングアウトして、そこで自分が受け入れられた経験があったからだ。まだカミングアウトなどという行為が一般的ではなかった当時だが、とくにそのことで排除されるわけでもなく、むしろやりたい放題にキャンパスライフ(←死語!)を送ることができた。そういう彼らとの日々が、その後の自分を支えたのだった。

いまさら御礼をいうのも気恥ずかしいし、同窓会でもらった立派な肩書きの名刺に返信するのも気後れするので、ここでさりげなく、ありがとうと記すことにしよう。

伏見憲明