伏見憲明の書評

乃至政彦 著『戦国武将と男色』(洋泉社・歴史新書y)

 

「同性愛」は時代や地域に限定される概念で、日本でも明治以降、西洋の文化が輸入されることで広まった。近代以前は、この国では男性間での性愛を「男色」と呼んでいたが、それは年長の男性と少年との関係を指し示すのであって、現在でいうところの「同性愛」と同様に論じることはできない。

という議論も、もはや定番になりつつあるが、では私たちは「男色」そのものについて理解しているのか、というと、これが心もとない。自分たちの国の性の歴史について、わかりたいとも思って来なかったのである。

本書『戦国武将と男色』は「男色」をテーマにしていて、主に戦国時代の武士におけるそれを扱っている。鎌倉時代までは公家や僧侶のあいだで嗜まれていた「男色」が、室町時代になって文化として武士階級の上層に取り込まれ、それが次第に一般化していく過程を、一次資料を渉猟することで筋立てていく。肝は、戦国期の男色に関する学説の多くが、江戸期に書かれた二次史料を元にしており、そうした記録をそのまま根拠にすることはできない、という批判だ。

著者は一次史料をたんねんに読み解き、「男色」は戦場から生まれた…であるとか、武士の嗜みであった…とか、多くの武将が男色関係で出世した…といった通説・俗説を、ことごとく退けていく。例えば、一般的にも流布されている、織田信長と森蘭丸の念者・稚児関係などは、森蘭丸そのものの実在がたしかではない(!)とのことで、「歴史学ではそろそろ退けられるべき俗説」だと、ばっさりと斬り捨てられる。

興味深いのは、近代以前、日本は同性愛に寛容であった、という見方は一面的で(外国の宣教師らが驚いたように男性どうしの性行為は珍しくなかったが)、実際は、江戸時代に書かれた書物でも、「主従の武家男色を肯定的に扱っているものは意外なほど少なく、多くは『傾国の物語』を匂わせる筋書きで、佞臣ねいしんや無能者が功もなしに出世して、御家の前途を狂わせる設定にされている」。

また幕藩体制下では、毛利家や上杉家、吉川家などでは現実に男色の禁止令が出されていた。その理由は、当時、若衆や小姓などをめぐる喧嘩、騒動が絶えなかったからだという。ちなみに、幕府も承応元年(1652)に「衆道之儀」による無体を禁じている。「一、『修道之儀』につき、町人の少年児童や小姓に文を送って『無体なる儀』を申しかけることは、堅き御法度である。今後それでも違背する者があれば、きっと曲事とする」

著者はとくに言及していないが、ここでは、キリスト教圏のように同性間の性愛が罪だから禁じられたわけではなく、男どうしの絆によって社会秩序が乱される影響が問題視されている。性愛を内面的な倫理に抵触するものと観ているか、行為による効果を気にしているのかの違いだろう。そこを比較分析することで、西洋と日本のセクシュアリティの本質的な差異を論じることもできるはずだ。

ただ、しかし、同性同士の性愛関係が通史的に自然な生理としてはありえなかったのか、という素朴な疑問も残る。「女色」の場合は、それを風俗や文化としてとらえる以前に、自然なものとされるのだから。本書の議論は、記録に現れた男同士の関係を繋いでみせるわけだが、社会において可視化されなかった同性同士の欲求や行為がなかったとは言えない。「同性愛」に生物学的な根拠があるとしたら、そうした視点もまた必要になるはずである。これは、昨今のセクシュアリティ研究全体への違和感である。

ともあれ、本書の意義は何より、男色研究がいまだ研究の体を成してない水準であることをつまびらかにしてしまったことにある。その指摘は、今後の研究発展における大きな前提となるだろう。