「本多の修行時代」

月曜の和尚、本多清寛です。

先日、大学の時の友達や、永平寺での修行仲間が来てくれ、懐かしい話にも花が咲きました。また、いつもに比べたくさんの方が来て下さり、またもやアタフタし続けておりました。いきなりたくさん来て頂くと、びっくりしますね(笑)

僕は、大学を卒業してすぐ、平成20年の2月に永平寺の門を叩きました。修行に来る者は、お寺の門に掲げられている木の板を三回叩く決まりになっています。二月の永平寺は雪だらけでした。かじかむ手に気合いを入れて、思いっきり木槌を振り下ろしました。すると、木槌の頭がポーンと飛んでいき、僕の右手には棒っきれだけが握られていたのです。

「やばい、一回しか叩いていない。けれど、棒で叩いていいものなのか…」

修行の直前、永平寺では「我」を出すことが最も嫌われ、まず自分の判断をしないことが大事だと先輩から聞かされていた僕は、修行の出だしから自分の判断をせざるを得ない切迫した状況になってしまったのでした。

とにかく、棒で叩いてもさすがに音がならないと気づいた僕は、急いで木槌の頭を拾って取り付けました。そして今度はやさしめに叩いて、事なきを得ました(出迎えの先輩和尚さんからは睨み付けられていたらしく、今考えると事なきを得てはいなかったんですが…)。

波乱から始まった修行生活は、たくさんの(自分で招く)困難を経て、三年間ほどで終わりました。その間、いろいろと叱られて辛いことはあったのですが、楽観しかできない僕は「ヘラヘラ」と辛さを躱していました。今考えると、なんとなく修行が終わってしまったように思います。もう少し詳細に自己分析をすれば「辛いことを棚上げして、自分と関係ないものになるように」思考する人間でした。ようするに、自分や他人の責任にならないように務め、その責任がうやむやになるように過ごしていたんです。

棚上げ思考な僕に気が付いたのは仏教をちゃんと学び初めてからで、当時は全く分かりませんでした。叱られている時だけ少し我慢して、あとは知らんぷりするだけなので、傷つきもしないし傷つけもしなかったのですが、自分が変化しないので成長もありません。今でもそうですが、自分が変わることを怖れていたのだと思います。

それに、普通の大学生から修行に入ったので、自分の判断をせず、ただひたすらに人の言うことに従うのはとても辛いことでした。そもそも、僕の場合はみんなと比べてあんまり従ってもいませんでしたけど……(修行仲間には大変なご迷惑をおかけしております)。

永平寺で「我」が嫌われるのは、そもそも自分の我がなかなか消せるものではないからです。自分の判断をせず、先輩の判断に従うというのは簡単そうですが、とても難しいものでした。嫌な先輩もいれば尊敬できる先輩もいます。尊敬できる人の判断は尊重しますが、嫌な人であれば無視したくなる「我」が出てきます。嫌だと思いながら、我を引っ込める。そんな練習を繰り返していると、尊敬できる人の言うことは素直に聞いていたつもりでも、その人の言葉に価値を認めた自分の判断に従っていたことに気が付きます。僕は、尊敬できる人のいいなりになることを自分で決めていただけで、それも「我」の一つでした。

なんか小難しい話になってしまいました(汗) ともかく、同じ釜の飯を食った旧友は有り難い存在です。大学時代の友人も、永平寺時代の友人も、末永く大切にしたい奴らばっかりです。

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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