伏見憲明の書評

伊藤裕 著『なんでもホルモン』(朝日新聞社)

 

ある増毛薬を使いはじめた友人が、頭頂は少し黒くなってきたが、こんどは男性器の元気がなくなったとこぼしていた。内性器の疾患に苦しんでいた女性が、治療でエストロゲンを投与するようになったら、少女のように肌がツヤツヤになってしまった……これらは最近、筆者が耳にしたホルモンがらみの話しである。このように、ホルモンというのは案外、身近な問題でもあり、人々に大きな影響を与えている。けれど、我々はその言葉をよく耳にはするものの、結局のところなんだかわからない。それを懇切丁寧に教えてくれるのが本書だ。

冒頭から意表をつかれるが、著者によると、人間というのは「興奮するために生きている」。興奮とは生活の「場面転換」に生じる清々しさ、ワクワクを感じることで、ホルモンとはまさに我々を興奮させてくれる物質。それは「興奮した細胞で作られ、そしてその細胞の外に出て行って、別の細胞に働きかけ、その細胞を興奮させる化学物質」と定義される。

いまのところ、ホルモンは100種類以上発見されていて、それぞれが特定の細胞にだけ作用することがわかっている。著者はそれらの効能をわかりやすく説明し、ホルモンによって人間の性質や行動がどのように方向付けられるのかを個別に示してくれる。もっというと、ホルモンの視点から人間や人間社会を捉え直そうという試みでもある。

それにしても、ホルモンの作用には瞠目しないではいられない。例えば若いマウスと年老いたマウスの皮膚を切開して接着させたままに縫い合わせると、年老いたマウスの心臓肥大が消失し、筋力や持続力が再生されるのだという! これは若いマウスの血中に“若返りホルモン”が含まれていることを示している。

ホモ・サピエンスが生き残ったのは、「幼いまま生きていきていく」のができたからとのことで、そこにもホルモンが関わっている。ざっくりいうと、人間は一気に大人になるのではなく、幼い状態を長引かせることで、より活動時間が確保され、その結果、脳を巨大化させることができた。そしてそのために、成長ホルモンの作用が過剰にならないような仕組みがからだに備わった。

また、ホルモン目線から恋愛を見てみると、恋に落ちている人の脳では、興味を持ったものをゲットしたいという気持ちを引き起こすドーパミンが多く生産され、それが報酬系の脳の部位に働いているのが観察される。だから、「…怖いもの知らずになります。我々の体を安定させるセロトニンの力も落ちてしまいます」。恋愛のあの不可思議な心理状態はこんなふうに作られていたのである!

このように著者は、男女のありようから、癌と職業の関係、ストレスと依存の問題まで、ホルモンを使って理屈付けてしてくれる。まさに、なんでもホルモン!

しかし、筆者は必ずしもすべてをホルモンもという生物学的な問題に還元できる、としているのでもない。実は、生まれた後に受けるストレスの違いによっても、遺伝子の働きは変わる。こうした変化をエピジェネティクスというが、「生活習慣が違うと、エピジェネティクスによって、ホルモンの効き目は大きく違ってくるのです」。つまり、環境よっても、人間のありようは影響され、社会的な条件と生物学的なそれには相互作用があるということだ。

ジェンダー論が社会的文化的な「権力関係」に重心を置いた世界像だとすれば、こちらは物質の影響に重きがある人間解釈だ、ともいえる。乱暴にまとめてしまえば、結局、性を考える上では後天的要素も生得的要素もどちらも必要な視点だし、性も生も多様な力によって構成される現象であるということは間違いない。