二丁目寺の坊主日記 その11

「出家を止めないで〜」

アデイの月曜担当、本多清寛です。曹洞宗(禅宗)の僧侶です。写真は幼い僕が、出家しようとするのを止める女学生です。嘘です。

さて、今週は「出家」というキーワードが急上昇しておりました。やはり、清水富美加さんのような有名人と、新興宗教として有名な幸福の科学のかけ算は、社会にインパクトを与えたようです。僕が一番、気になったのは「出家」という言葉が逃げるという意味で伝わっていることなのですが、みなさんにとってはいかがでしょうか?やはり、世間から逃げることでしょうか。

清水富美加さんの直筆メッセージを見ると、追い込まれている様子が伺えます。ここに感情移入する人にとっては、清水さんの出家はしかたのないことに感じられるでしょう。逆に、芸能活動から逃げたことに反感を得る人にとって、後始末をせずに出家する姿が逃亡のように感じられると思います。

正直、僕は幸福の科学を良く知りません。ただ、出家は仏教でも大切にされているものです。今度のニュースによって出家という言葉が単に逃げるという意味になってしまうのは心苦しい。それで日記を書いてみました。

まず、社会の模範的には「出家して逃げるなんてけしからん。求道の心を持ち、聖なる思いを持って出家すべきだ」と言いたいところだと思います。しかし、そもそもの出家は宗教を信じるために俗世を離れることではありません。尾崎豊風に言えば『この支配からの卒業』という意味です。

出家の語源は「pravrajita」(サンスクリット語)という言葉で、その根っこには「踏み出す」という意味があります。ようするに、しがらみに支配されたり、精神的な悩みに支配されたり、そういった支配から逃れるためにその場から動くことが「出家」の根源的な意味になります。

仏教でいうところの出家は、縁が重なり合って初めて出来るものだと考えられています。たとえ、不義理であったり、非道徳的なことだったり、倫理に反していたとしても、出家したいという気持ちがあるならばそれを認めます。酔った勢いで出家をした僧侶だっているくらいです。もちろん、世界の真理を追究するために出家することもあります。仏教教団の決まりでは、後ろ指をさされないように出家することが推奨されていますが、それは絶対ではありません。

2500年前、お釈迦様は息子を残して出家しました。それは、後ろ髪を引かれ、頭皮が剥がれるほどの悲しみだったと思います。当然、たくさんの人に出家を止められています。現代的な常識から考えれば、子育てが落ち着いてから出家するべきでしょう。それでも自分の苦しみを解決するための唯一の方法が出家だったのでした。その出家によって、数え切れない人々の救いとなる教えが現代に残ったわけです。ただ、出家によって救われたお釈迦様でも、出家すればすぐに全てが許されるとは仰いません。

弟子の一人にアングリマーラという殺人鬼がいます。99人を殺し、その指を首飾りにするような人間でした。その100人目にお釈迦様を選んだのです。しかし、反対に説き伏せられたアングリマーラは出家し仏弟子となったのでした。そのアングリマーラは修行中、何度も迫害に遭います。石を投げつけられ、棒で滅多打ちに会いながら修行を続けるのです。それを見たお釈迦様は「耐えなさい」と告げられました。

これはアングリマーラへの報いです。自分が行ったことの報いをきちんと受けなければならないとお釈迦様はいいます。

仏教では自業自得の論理があります。悪いことをすれば必ず悪い報いを受けます。しかし、それは重くなったり軽くなったりするんです。軽くするには善行を積むことが必要です。善行とは他者を害さずに他者と生きることです。そうすることで、良い縁は増大し、悪い縁は縮小していきます。「出家」したからといって、何でもすぐに片付くわけではないのです。

僕自身は「出家」の志そのものを否定したくはありませんし、どんな形の「出家」もまずは認めることからだと思っています。そして、出家する人は「出家はゴールではない」ということを考えなければならないと考えています。「出家」しようがしまいが、やるべきことはやらなければならないし、他人に迷惑をかけたならば償うことが必要です。アングリマーラは「出家」によって自分の行為を反省できたからこそ、迫害から逃げずに償いをし、迫害した人々から布施してもらえるような僧侶になりました。それは、皆に認められるような生き方をしていたからに他ならないと思います。

今回のニュースではいろんなことを考えましたし、この日記もなんとも宙ぶらりんです。もし、何か気づいたことがあれば教えて下さい。それでは!

 

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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