「素直な自分を感じる」

アデイの月曜担当、本多清寛です。

さて、新年度がはじまりました。そこで、今までずっとできてなかった『今月の禅語コーナー』をやっていこうかと思います。

というわけで、今月は【直心是道場】です。

この言葉は、直心であればそこが修行道場であるということを示した禅語です。修行道場というと、森山幽谷にある静かで荘厳な場所を思い浮かべますが、そういった特別な場所が必要なのではなく、道を求める素直な心さえあれば、この世の全てが道場になるのだという言葉です。新年度が始まる四月にぴったりですね(手前味噌)。

なるほど、心さえしっかりしていれば、どこだって修行ができるというのは真実だとは思います。けれど、心がいつもしっかりしているなら、修行すら必要ないじゃんとも思います。というか、素直になれないから悩んでんだよ!と思っておりました。

この禅語は、ある問答のなかで出てきた言葉なのですが、その問答を見てみましょう。

〜むかしむかし、古代インドの北の方にあった国でのお話〜

仏「おーい、光くん。維摩(ゆいま)さんとこにお見舞い行ってくれないかね。」

光「えぇ、、、あの人ですか。仏さま、申し訳ないんですが、あんまり行きたくないです。というのもこんなことあったんですよ。」

(回想)

光「あ、維摩さん。こんにちは!今日はどこからいらっしゃったんですか?」

維「我、道場より来たる。」

光「・・・(まじかよ)。えーっと、道場っていうと何処の道場です?」

維「直心はこれ、道場なり。偽りなき心が故に道場なり。」

光「・・・(始まっちまった、やべぇ)。」

維「行動を起こすことは道場なり。よく物事を理解できるようになる道場なり。」

 「また、深信は道場なり。功徳が増していく道場なり。」

 「また — 。そして — 。これも — 。・・・ 

  だからこそ全てが道場なり。よくよく仏法を学ぶべし。」

光「・・・(早く帰りてぇ)。」

(回想了)

光「というわけで、私は維摩さんのお見舞いに堪えられそうにありません。」

という感じの問答です。実際の経典にはもっと厳かな文章で書かれていますが、僕が光くんの立場だったらという視点を加味して書いてみました。

さて、この問答では、どこから来たと聞かれているのに、維摩さんは心の話をしてます。空気が読めないにもほどがあります。けれど、光くんのためを思って話を始め、とうとう仏教の要点を全て語ってしまいました。光くんも困惑しながら聞くことになりました。実は、この話を近くで聞いていた五百人の天人が仏教に帰依したと伝えられています。つまり、真実を語った良い話だったということです。

どんなにいい話であっても、聞く人の心によって伝わり具合が変わります。光くんも、聞いていた時は早く帰りたかったのかもしれませんが、言葉をよく聞いていたからこそ、仏さまに回想を話すことができました。かなり長い回想なのですが、それを覚えているということは、何かが引っかかっていたのだと思います。きっと、素直になった時にその引っかかりが理解できるようになるのでしょう。

【直心是道場】とは「素直な自分になった時、その場所が森山幽谷にも勝る道場になっている」ということを示した禅語です。それは「素直になれ!」と命令しているわけではなく、「素直ってすごいよね。道場になっちゃうよね。」という共感を目指す言葉だと感じます。共感なのでしなければいけないものではありません。

でも、あまり共感できなかった光くんは仏教をきちんと理解していない人物として経典に描かれています。ということは、共感できなければ仏教は理解できない。けれども、それが責められているわけでもない。それは、仏教と出会う人の縁が熟す時を待っているようにも見えます。

というわけで、今月の二丁目寺では【直心是道場】をお伝えしたいと思います!

ちなみにこんな小難しいことよりも、タイ料理の美味さとか、坊主フェチについて話すことの方が多い場所になりつつあります。ご安心下さい。

新年度もよろしくお願いいたしまっす!

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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