「二丁目寺の坊主日記」 僧侶&牧師によるお悩み相談スペシャル!

政治でも法律でも経済でも解決しえない、心の問題があります。今回、アデイの月曜担当・本多和尚と、アデイではおなじみの牧師・けんたろうさんに、(自称)バイセクシュアルの若者の悩み相談にのっていただきました。新興宗教の問題も絡んだ彼の「痛み」に、伝統的な信仰の言葉はどのように寄り添えるのか。

価値が相対化され、真実が見えづらい現在、ときには神仏の教えに耳を傾けてみるのも必要ではないか思い、この記事を企画してみました。

 

相談者 / バイセクシュアル?男性・27歳社会人

「自分は男性としか経験がありませんし、いまままでは女性のことを性的対象として見たことはないと思います。でも将来はふつうに女性と結婚して子供を得たいと考えてもいます。だから、セクシュアリティはバイセクシュアルということにしています。

うちの両親は共に某新興宗教の信者で、教団内でのお見合いみたいな形で結婚しました。ただ、あまり夫婦仲は良くならなかったみたいで、ぼくと兄が小学生の頃には別居してしまいました(離婚は教義によってできないことになっています)。そのことで母は益々、信仰にのめり込んでいったように思いますが、ぼくには優しい親でしかありません。

子供の時分ははっきり意識しなかったのですが、近所などではそんな我が家を奇異な目でみる向きもあり、宗教のことは外では知られてはいけないとずっと怯えていました。実際、世間ではその宗教は評判が悪く、ご利益があるからと騙されて?物品などを買わされる被害などが、ニュースで流れることもありました。

兄は中学の頃から不登校になり、家庭内暴力を振るうようになりました。弟のぼくを殴ることもままありました。それは、弟が兄よりも成績優秀で、それゆえ母親の愛情を独占してしまうことにも起因しているかもしれません。ぼく自身、兄に対する当て付けでいっそう勉学に勤しんだように振り返ります。

成人してからはほとんど交流がなくなりましたが(ぼくが一方的に避けているともいえるけど)、兄は精神のバランスを崩して、女性にストーカー行為をはたらき、今は心の病として措置入院がなされています。

ぼく自身はどうも恋愛関係が苦手で、好意を持っている相手に告白されても、セックス以上の関係に踏み込んでいくことができません。好きなのに自分から逃げてしまうのです。それもこれも、もしかしたらそんな家庭で育ったからかもしれません。

どうしたら、人並みに恋愛を楽しむことができるのか。同性愛を禁じる宗教を信じる母に、セクシュアリティのことは黙っていたほうがいいのかどうか。…答えの出ないことばかりです。

何かアドバイスをいただけたら幸いです。」

 

僧侶篇・回答者 本多清寛(しょうかん)和尚。

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。妻子ありのノンケ男性。

 

初めまして。本多清寛と申します。禅宗の僧侶です。ご質問を拝見いたしまして、質問者さんはとても冷静で、聡明な方だと感じました。ご両親や兄弟の責任にせず、自分の行動や思考を客観視されておられるのはすごいと思います。

ただ、その反面で自信がないことに悩みがあるんじゃないかと感じました。冷静であるからこそ、多様な選択肢が思い浮かんでしまい、どれを選択して生きていくかに悩んでいらっしゃるのではないでしょうか。これは僕の勝手な妄想ですが。

さて、ご相談の内容は

①人並みな恋愛を楽しむにはどうするか

②お母さんに対してのカミングアウト

だと思います。まずは①から考えてみます。

〈①について〉好意を告白されても、セックス以上の関係に踏み込むことができないということですが、それはおそらく恋愛だけの話ではなく、人間関係においても同じようなことをされているのではないかと思います。おそらく、好きなのに逃げてしまうというだけではなく、嫌いならもちろん避けるし、好きでも嫌いでもない人であってもあえて関係を持とうとは思わないのではないでしょうか。誰にも近づいていこうとは思っていないけれど、好意を持って近づいてくる人に対しては、何か申し訳ないという気持ちが生まれてしまう。だから悩む。

もし、僕の妄想が正解だったとして、①の質問を言い換えてみますと「母以外の人間との関係は信頼できないものに感じられ、他の人間を避けている。しかし、それではいけないと考えるようになったので悩んでいる。」という相談になると思います。

とすれば、①への僕の答えは「悩むのは当たり前のことですので安心して下さい。辛いですが、それはとても良い状態なので自信を持って欲しいです。できれば、自分と他人と繋がりを持つことを楽しんでみて下さい!」となります。

〈②について〉もし、お母様が信仰よりも家族を優先できる状態ならばカミングアウトしても良いと思います。逆に同性愛を禁じる宗教を何より重んじていれば、同性愛者である息子を責める場合と、息子を産んだ自分を責める場合が考えられます。最悪、息子か自分が死なねばならないと思い詰めてしまうことも考えられます。もし、お母様が思い詰めてしまうような状態であれば、カミングアウトよりも先に、宗教団体から離れてもらうようにすべきかと思います。

そもそも、宗教には良いも悪いもありません。宗教によって促される人間の行動にのみ良い悪いがあります。住職という立場にあっても、他者に迷惑をかけ続けたり、害したりする人もいますから仏教徒すべてが善人とは言えません。同じように新興宗教の信者が全て悪だと思うのは勘違いです。大切なことは、その宗教を信じていることが良い結果を引き起こしているかどうかです。質問者さんに対してお母様が優しかったという事実は良い結果であり、奇異の目で見る近所の人や、別居する父がなんと言おうとも、その優しさは真実です。

でも、優しいお母様がずっと優しいかどうかは別です。②の答えにはなっていませんが、大切なことは「お母様が優しい人間で居られるように付き合って行く」ということだと感じます。その付き合い方の1つとして、カミングアウトを考えて欲しいです。

僕が気になったのは、質問者さんとお兄さんの関係です。“兄は精神のバランスを崩して、女性にストーカー行為をはたらき、今は心の病として措置入院がなされています”という文は、“女性にストーカー行為をはたらき”という文が無くとも成立する文章です。僕がここから読み取ったのは、ストーカ行為をはたらいた兄は自業自得であると言いたい質問者さんの感情です。これは僕の妄想ですから違うかもしれませんが、もしそうした感情があるとしたら、お兄さんとの関係を一度考えた方がいいかもしれません。冷静に「精神のバランスを崩したから」と仰っていますが、バランスを崩した原因が兄の自業自得だと考えていれば、お兄さんを責めているのと変わりありません。

責めたいと思うのは仕方ないことだと思いますが、誰かを許せずに生きていくことは質問者さんの人生に良い影響を与えません。物理的に暴力を振るわれない限りは、近くで過ごし、話をすることがあっても良いと思います。どうしても許せないと考えるならば、その許せない気持ちをちゃんと感じてみてください。許せないと思うときは、自分がどんなことを考えているか、許せないと思ったとき何をしたくなるか、暴力的になるのか、あるいは何もしたくなくなって、無気力になるのか。身体はどういう状態か、固くなっているのか、熱くなっているか、何も感じなくなるのか。身体と心は不可分ですから、五感で何を感じているのかも含めて、許せないという感情を見つめてみてください。

仏教は努力の宗教と呼ばれます。それは、自分がどうするのかを考えなければいけないとされるからです。そして、その考える指標が「悪いことをしない。良いことをする。」です。ポイントは悪いことをしないようにするのが先という点です。悪いことが理解できれば、自然と良いことが分かります。恋愛もセックスもカミングアウトも家族との関係も、まずは悪いことをしないと決めて始める。どうかそうして欲しいです。(了)

→ 牧師篇へ続く!