「パヨクのための映画批評」7

リベラル社会モデルの敗北

~「ズートピア」(”Zootopia”、アメリカ、2016年)~

今回は、ディズニー映画「ズ―トピア」について考えてみましょう。

アメリカ帝国主義の権化であり、将軍様のご子息さえも憧れたディズニーという存在。ディズ論はパヨク的には抜きがたいのよね! 同じ意味で、スピルバーグとルーカスの映画についてもいつか考えたいわ。

さて「ドナルドダックを読む」というウルトラパヨク本(元は1973年の著書)の中で、「ディズニー化とはすべてが金銭に変えられる世界である」と正体見破られているように、ディズには理念なんかこれっぽっちもありません。だからこそ、ディズニーの女たちは時代に合わせて変化します。「おしゃれキャット」のように、ねこヒロイン母が旅先で男たらす上に、月光の下でのラブシーンを娘に見られちゃうという時代もありました。そして1989年、人魚姫で王道物語への先祖帰りを試みます。原作爆破の勢いで地上にしがみついて海に帰らなかったアリエルがディズニー帝国の力思い出させてくれました。その後はケモナーヒロイン(今年、実写化)、先住民、中国人、黒人、髪の長い引きこもり、魚、少女戦士、雪の魔法少女、ウサギの警官、そして今はポリネシアン少女がマッドマックスともののけ姫を足してナウシカで割り算されたような状態に至っています。

では理念的に空洞のディズが「うさぎの警官」を通じて表現したことは何だったのでしょう(おまい、前振りで半分終わってる)。「ズートピア」の世界へ・・・

動物たちが仲良く暮らす世界、ズートピア。「うさぎは警官なんかになれない」と言われたウサギのジュディは一念発起、念願の警官に。そこで出会ったキツネの詐欺師、ニックと一緒に、ズートピアの平和を根底から揺るがす事件の解決に挑みます。

本作、のっけから建国神話の劇を子供がやります。これアメリカの映画で時々観るシーン(日本では、くにつくり=性行為だから子供向けじゃないよね)。「肉食獣の凶暴性が収まって平和に暮らせるようになった」という進化を経て「リベラルの平和」が実現されていることを冒頭で確認する。そこで、本作を「思想教化プログラム」として観ることにしたわ。で、平和だと退屈だからその「凶暴性」を甦らせたらどうだいっていう話なんだけども、最初はディズ初、まさかのゾンビ系ホラーかと思ったわよ私。

余談だけど、動物系アニメが絶対超えない一線があるの。それは異種交配。それだけは止めて! 何か扉開いちゃう!  日本の動物かわいいアニメ「メイプルタウン物語」(1987年)では、鹿か何かを指して「あの女の人」と言ってたので、実はあれは人間なのが動物に見えているだけなのよ~ララララ~聞こえない~

異種交配以外の多様性を抱擁するウルトラリベラル国、ズートピア。うさぎの隣人のキリン2頭は明らかにゲイカップルで、毎晩争う声が聞こえるんだけどあれって・・・なので、LGBTフレンズも安心よ。その平和揺るがすのはあくまで彼らの生理にとって「外」のもの。凶暴性=テロを発揮させる原因を心の外にあるもの、防ぎのようない事故として描写してしまった本作、もちろん理想は破たんしなかった。ハッピーエンド。うさぎときつねの「友情」が示唆されます。まさかの異種交配手ぇ出そうとしてないか?  続きは同人誌で!

ところで、この映画を観た直後、アメリカのフロリダ州で銃乱射事件が起きました。LGBTフレンドリーの、まさに多様性を尊ぶリベラルの牙城みたいなクラブで、一人の若者が50人もの無関係の人達を殺し、同じくらいの人を傷つけ、自分もその短い一生を終えました。彼の動機は一体何だったのでしょう。疎外感? ムスリムだから? 「男らしくない」と言われたから? ホモフォビアを抱えたゲイだったから? 残された私たちには空想しかない。でも、これは分かった:リベラル系の思想は即席テロリストの発生を防がない、「ノーマル」でありたいと願いながら疎外感を感じている人の心を追い詰める可能性があり、それ故に、「ノーマル」になれない人の憎悪は「リベラルのシンボル」に向けられやすいということ。

リベラルの社会モデルはあの夜、私の中では敗北しました。だからと言って無意味だとは思わない。そこまで見抜いた上での2017年アカデミー賞アニメ部門の受賞だったのかしらね。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。