「パヨクのための映画批評」8

選択肢の増大=自由がもたらしたもの~「めぐりあう時間たち」(”The hours”アメリカ、2002年)~

私の好きな映画ジャンルはホラーやサスペンスなので、どうしても間口が狭くなりがち。今日は誰もが納得の作品、「めぐりあう時間たち」についてお話したいと思います。ゲイの間でも「これはすごい」と言っておけば意識高い系漂って安心っていうクオリティ。10年以上経っても色褪せない。

実は私、本作がどういうメッセージを持った映画なのか、全体としてうまく説明ができません。今でも本作について断片的にしか知らないのかもしれない。「女性が観ると年齢に関係なく色々なことを考えるらしい」というのが経験則から分かったので、どうやら「女性という立場についての映画らしい」ということはぎりぎり理解しました(この体たらくなのにエラッそうに映画についてゴタク述べてきた…それが私よ)。

本作はシンプル。20世紀、3つの時代を生きた女性3人の「ある1日」が描かれます。

公開当時、「キャッチコピー「人生はいつでもミステリーが云々」というのは正しい評価じゃない」と当時付き合っていた人が言っていたため、私は今もそういうバイアスで観てます。ちなみに、私は映画館出た後「何の映画だったのかねえ」とつぶやきました。すると一緒に観た彼は「これは実存の問題を描いた映画。めっちゃ感動した」と私の知らない単語で感想を述べたものです。

気持ちの暗いうねりは不穏な音楽でも表現されています。フィリップ・グラスさん、実はホラー映画「キャンディマン」の音楽担当。ぎゃあ怖い。景色も曇天の1日。更にもう1日、ニコキ=ヴァージニア・ウルフのある壮絶な日(世界対あたし大戦が滲む)が最初と最後で挟み撃ち。ぐはぁ!

1930年代のイギリス、1950年代のロサンゼルス、2000年のニューヨーク。この順に女性の人生において、選択肢の幅と自由がどんどん広がっていく様子が残酷なまでに対比されます。

普通のアメリカ映画であれば、「古い時代や同時代の別の場所の貧しさや不自由を見て回った後に、うちに帰って「自分とこの生活のよさ」を再確認する」というモチーフが繰り返し出てくる…って「ドナルド・ダックを読む」というサヨク本に書いてあったわ。

余談だけど、その意味では「セックス・アンド・ザ・シティ2」は、そのモチーフによって「豊かなNY女性たちが「イタい人」に見えてくる」という点が秀逸です。最後流れる歌「True colors」がうすら寒く聞こえるもんねあれ。

でもねえ、そこはアメリカン・意地悪文学姐さん、マイケル・カニンガム先生が本を書き、イギリス人(この方バイセクシャル)が作った映画なだけあって、ヴァージニア・ウルフ様の表情同様、始終気難しい。カニンガム先生、原作本では、HIVの問題がひと段落し始めた時期を背景にしたNYのややお高い系ゲイの様子の書き方とか、攻めてます。「あーあんたはいいわよね・・・あたしなんてもう何のために生きてるのか見失ってるってのに」っていうクラリッサ(メリル・ストリープ)の溜息が。

本作、時代が下るにつれて自由な選択肢がどんどん増えて行くんだけどさ、その途中段階のブラウン夫人(ジュリアン・ムーア)のひき潰されかけた心がすごく痛いのね。あとちょっとしたら、「ビッグ・アイズ」(2014年)で描かれたように、ポップカルチャーと自由(離婚)がやってきて、ヒッピーの時代も来てさ…でも間に合わなかった。今なお生きている…そして自由を謳歌しているように見えて、少しずつボタンかけ違えて生きちゃってるクラリッサを何とも言えない目で見つめるのよ。「You are a lucky woman」って切ないよ。

最後ね、クラリッサは笑顔になって部屋の電気消すの。そこにウルフの台詞が重なる。明日に希望や変化を託しながら、でもやっぱり「今のまま」を続けてしまう。それが地球上で最も豊かで先進的で自由な人生なのでしょう。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。