パヨクのための映画批評 11

サラリーマンという名の職人~「舟を編む」(日本、2013年)~

現代の日本を代表する人は誰でしょう。私は安倍総理を挙げたいと思います。文字通り日本の顔です。

え? おまいは裏切りパヨクかだって? 体制側かだって? 体制があたしを受け入れてくれるんだったらそうかもね。本当は、天皇陛下と安倍総理の両方を挙げたいけれど話をまとめる自信がない(っつーかおまいの話いっつもまとまんねぇじゃん)ので、総理だけに絞るの。

安倍総理の中に私達が見出しているもの…反発者たちが嫌っているもの、それは「エリート・サラリーマン」の姿よ。サラリーマンというのは日本人の男性の象徴として、海外の人も認識しています。「ズートピア」にも日本人のサラリーマンを象徴するような生き物が出て来ています。別のリーマン性を探していくと、次はSMAPに行き当たります。

さてもう一人、日本を代表するエリート・サラリーマンがいます。日本一の御曹司、豊田さんです。この方、アメリカで自動車業界やべえってなったとき、急に「不具合」発覚して、世界最大のしばかれ会のため、現地に連行されてね。前任者の案件の不具合引き継いだ感じで。現地のスタッフに会えてもう涙とまんなかった人。つらかったね。分かるよ。あたしも本職でしばかれるために呼び出されたら泣きたくなってたもん。お客さん怒らしてな。お金払いたくないですよとか言われてな。

そんな、涙したり神妙な顔で証言したりする豊田さん観てさ、頭ん中「♪風の中のすばる~風の中のすばる~風の中のすばる~♪」なプロジェクトXおじさん、一人や二人じゃなかったはずよ。

さて、今回は、そんな21世紀のサラリーマン映画「舟を編む」を血祭りにしてやりましょう。

辞書編集の仕事をしている主人公男が、新しい辞書を作り始めるが、最後の方で誤植発覚だ何だと色々なトラブルに見舞われても表情一つ変えず、淡々と仕事をこなしていく。

私、この映画を観て何か悟った。サラリーマンの映画でありつつも、サラリーマンが自分のしている仕事を、もらっているお金や、本来の責任の範疇を超え、人生の取り組みにする様が本当によく描けていたから。要は、「職人」になりたいんだよね。

それってもう、ジョークみたいに思ってるのかなー。とパヨクだとさ、思っちゃうのよ、違う。妻も仕事しててね、でも子供いない。だから、旦那は自分の賃金とか度外視して、本来任されている以上の仕事を淡々とやる。表情は変化がない。だって職人だもん。自分の余暇とかどうでもいいはず。ええ、性欲とかもないけど、何故か板前で働く献身的な宮崎あおいが妻なのよ。休みのときも無視して自分の仕事のことだけやってても絶対怒らない妻(しかも収入あり)。

でも、彼はあくまでサラリーマン。職人と呼ばれるにふさわしい、すごいスキルがあるわけではない。彼が何かミスを見つけるときは、時間をめっちゃくちゃかけて探して探して偶然見つかるものなのであり、「短い時間であれ何であれ、絶対見つけるはず」のミスではない。

違う言い方をすれば、日本のサラリーマンの仕事が「職人仕事の偽装」として意味づけられているということ、つまり、「各自が「自分なりに」じっくり取り組む→個々の責任の範囲や、作業プロセスは曖昧→完成品は精巧にできあがる(だが再現性は無い)」という仕組みになっていることがよく分かる。

秀逸なのは、「やべえ、もう直ぐ校了なのにミスみつけた!」というとき。バイトも含めて社員も自主的に「みんなで見ましょう!」と全点チェック始めるわけですよ。あのねえ、部活じゃないんだよ。仕事ですよ。もっと怖いよ、しばかれるんだから。

まあ「君の名は。」みたいな高校の部活延長みたいな映画がヒットする今、ああいう「サラリーマンでも青春きらきら」みたいなのがいいって思う気持ち、分からなくはないわ。でもね、みんな自分の身体の健康と安全という、自分の肉体に対する最低限の責任放り出していることになる。その頭の中「ジャパンすごい」または「風の中のすばる~」。

この映画が評価され、アニメ化までされたということは、好き嫌いに関わらずこの生き方・働き方をよしとする人が非常に多いということでしょう。

 

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。