伏見方丈記 其の十一

母の気配

貴方は霊魂を信じますか? 

って唐突に、何なのー!? と思われるでしょう。いや、伏見自身はオカルトに関しては信じるような信じないような、それがあるという確信もないけど、絶対にないと言い切るのもむしろ「科学的」ではない…と漠然と考えてきました。

亡くなった母ともよく茶飲み話しでそういう会話をしていたのですが、あるとき、彼女がこんなことを口走ったんです。「どうせあたしは遠からず死ぬんだから、あの世なんてものがあれば、ちゃんと向こうから連絡してあげる。もし音沙汰がなければ、ひとは死ねば消えてなくなっちゃうだけってこと」。もちろん、「それ面白いね、必ず、その計画を実行してよ!」と頼んだ息子でした。

ほどなくして、母は88歳で亡くなり、マザコンの伏見は向こうからの連絡を心待ちにしていました。けれど、待てど暮らせどあの世との「交信」どころか、日常で母の気配を感じることすらありません。消滅してしまうなんて…こんな寂しいことはないけれど、やはり、心というのは脳の物理的な現象にすぎず、霊魂なんてものは存在しない、という結論に大きく傾きかけていました。

ところが、こんなことがあったんです。

一年ちょっと前のことです。伏見のバーでバイトをしていた(そして伏見の小説「百年の憂鬱」のモデルになった)ゲイの友人が、若干27歳にも関わらず難病に罹り、もはや余命いくばくもないという連絡がありました。彼は大学卒業後、故郷のアメリカに帰国していて、貧乏暇なしの伏見は渡米する余裕なんてなかったのですが、彼の無念を思うと、お別れに行かない選択肢はありませんでした。それで彼の友人やアデイのお客さんたちのご厚意もあって、急遽、ニューヨークへ旅立つこととなりました。

旅の前日、キャリーバックに荷物を詰めながら、さすがに太平洋を渡って異国へ行くのだから、多少の現金は手元にないのは不安だよな、と気づきました(遅い)。往復のチケットやホテル代は旅行会社に振り込んであったのですが、10万円くらいは財布に入れていかないとねー、と慌てて通帳を見てもそんな金はない(←ハハハ、丸腰で生きている53歳だよ!) でもね、こういうときのためにリボルビングはあるわけで(汗)、リブ釜ならぬリボ釜としてはATM詣でに参るのに躊躇はありません。それで「じゃあ、ちょっくら銀行まで…」と腰を上げた刹那、とある方から、母のお金を僅かながら預かっているという電話が突然来たんですよー!

(仔細は略)そうしたらほんとにへそくりみたいなのが10万円ちょっと確認できて、おかげさまでリボる必要もなくなり、その金をまんまと財布にしまい込んで、アメリカヘ行くことができました。前日に見つかるっていうのがね、なんとも、不思議なことがあるものだなあ…と驚きました。もっと早くお金の存在がわかっていたらきっとパチンコに消えてしまっていたし、旅行の後だったらあまり意味がない。この絶妙なタイミングときたら、まるで放蕩息子の性格を熟知した母が図ったみたいで怖いくらいです。

そんな母のことを、LGBTのパレードが開催される度に思い出します。取り立ててスポットライトが当たることもなかった彼女の人生ですが、唯一、他の誰もがやらなかったことをしたのがパレードでした。それは1995年のこと、日本で初めて、ゲイの子供と一緒に公道を歩いた親になったのです。この頃では親の会なども盛んになってきましたし、パレードを共に歩く家族も多くなりましたが、22年前はそんな親は他におらず(というか、当事者だってまだ数百人程度しか歩かなかった時代)、母の姿を見た参加者はずいぶん驚いたみたいです(後になって何人もから言われました)。

当時、すでに70代。息子としてはちょっと誇らしい気持ちがありましたが、母にしてみたら、そういう問題ではなかったと思います。なんと言っても彼女は大正生まれの女で、戦前の教育を受けた保守的な主婦。パレードに参加したのは人権や政治的な理念に共感したのではなく、可愛い息子への付き合いだったはず。もっと言えば、同性愛のことだって、大切な息子を傷つけないように必死に受け入れている「ふり」をしていたのだと思います。それが彼女の精一杯の愛情表現だったのでしょう。だから、パレードを歩いたことにもとくに感慨がなく、マッチョや女装の行進を観て、「おかしな人たちがいっぱいいるのねえ」と感想をもらしたくらいでした。

生前は、そういう母のかわらぬ本音にちょっと苛立つこともあったのですが、今振り返ると、多くを求めすぎていた自分は幼かったなあと反省します。たとえ親子でも、あるいは親子だからこそ、理解し合えないこともあるし、人はそうそう世代の価値観を乗り越えることはできないものです。「ふり」をし合うことで傷つけ合わずにすむのなら、それを愛情や誠意と受け止め、納得しておくのがちょうどいいのかもしれません。少し寂しい感じもしますが、むしろ、すべてを理解しほしい、すべてを受け入れてほしいと押し付けるほうが、傲慢だったりもするのです。(これ、カミングアウトはいけない、とかそういう意味ではないので誤解のなきよう。)

そんな人生の機微を教えてくれた母も鬼籍に入ってすでに4年以上が経ちます。今朝、ベランダをのぞいてみたら、彼女が遺していった鉢植えが一つ、淡い色の花を咲かせていました。レインボーパレードをさりげなく気にしているようなそのたたずまいに、久しぶりに母の気配を感じた息子でした。

伏見憲明