二丁目寺の坊主日記 18

アデイの月曜担当、本多清寛です。

さて、今日はクレヨンしんちゃんの話です。

おそらく、幼児向けアニメとして知っている方は多いと思いますが、映画の評価が意外と高いことをご存知でしょうか?

今回、僕が見たのは「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」という映画です。特に前評判などを見たわけではなく、子どもに見せるために適当に選んだだけで、むしろこの映画を見るまではクレヨンしんちゃんの映画が面白いとも思っておりませんでした。

この映画は、野原家の父である、ひろしがロボットになってしまうというお話です。グラマラスな女性に騙され、悪の組織に捕まってしまうひろしは、ぼったくりに逢う情けない父親の典型を象徴しているかのようです。

この物語の「肝」は ”心は人間、身体はロボット” になった時、人は何を人だと感じるのかという点にある気がします。ロボットになったひろしは、妻のみさえに最初は拒否されます。姿形が変わったら、別のものだと感じるのでしょう。しかし、ロボひろしが家族の危機を救ったことで、みさえの評価は一変します。家族愛がもう一度復活したわけです。

しかし、家族愛が生まれたその夜、ロボひろしは暴走してしまい、危ないという理由で庭の犬小屋に寝ることになります。何が起きるか分からないものからは離れるしかないのかもしれません。ロボひろしも、自分のせいで家族を危険にさらしたくないということで、犬のシロと寝るのですが、犬と人間は同じ家族でも扱いは違うということを表しているようにも思え、人間の家族とそこで飼われる犬の間に、ロボひろしが置かれているように感じました。

僕が面白いと感じたのは、イメージによって人は人という判断をするのではないかと感じたシーンです。映画のクライマックスで、悪の軍団とロボひろしの巨大ロボ対決をしていた時、グラマラスな女性が「あはぁ〜ん」となる場面があります。そうすると、対決していた野原家の男性陣と、悪の軍団の男性陣が一斉にその女性を見て鼻の下を伸ばします。そこで戦いは一時停止してしまいました。その様子を見ていた、妻のみさえなどの女性達は「男って本当バカね」とため息を吐きます。

普通に見ていれば笑うべきシーンなのですが、「男」で括くられてバカにされた者の中には、ロボひろし以外の悪のロボットも入っていました。そのロボットも含めてバカにしたみさえ達の判断に興味を惹かれたのです。バカにされた「男」という存在は、互いの正しさをぶつけて戦っている最中に、性欲に踊らされて物事を見失う「男の性(さが)」を表しているかと思います。その男の性というもので、人間もロボットも括られたわけです。ここに人間らしさの手がかりがあるような気がします。

みさえ達にとっては、身体がロボットであろうがなかろうが、グラマラスな女性の艶やかな声に反応する存在は、「バカな男」であり、そこに当てはまるものであれば、すべからく「バカな男」の評価を下すべき存在です。しかし、それはみさえ達が持つイメージであり、グラマラスに反応することが、本当にバカなのか、本当に男なのか、それは分かりません。これって、やっぱり人が何かを判断する時、自分が持つイメージにおいてしか判断できないということだと思うのです。

多様性と一言でいうと簡単ですが、多様性の全てを理解するのは不可能です。大切なことは、自分のイメージにそぐわないものを簡単に排除せず、野原しんのすけ(五歳)のように、楽しみに変える力なのかもしれません。

そんなことを考えた、レインボーウィークでございました。

南無なむ。

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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