● 戦争からも遠く、差別も切実でなかった少年時代

伏見:うちの父もそうなんですが、もうちょっと上の世代だと、昭和のエログロナンセンスとか、マルクスボーイってことになると思うんですけど、南さんの頃って物心ついた頃から戦争へ向かうって感じでしょう?

南:いや、そうじゃない。戦争っていうのは小学校4年5年の12月じゃないかな、パールハーバーが。

伏見:でも、満州事変だとか5・15だとか、2・26だとかっていうのは…

南:そういうのは、樺太にはあんまり関係ないんですよ。ずっと、離れているところだから。

伏見:あぁ。それじゃ、政治的に軍国主義になっていくって感覚はあまりなかったんですか?

南:ないです。だから、中学校に入ってからですよ。中学校には軍事教官なんていうのがいましたからね。そこで始めて軍国主義的なものを目にしましたから。

伏見:当時、樺太は南樺太と北樺太に分かれていて、ソ連の人たちは身近だったんですか?

南:白系ロシア人っていう人がいたんですよ。彼らは肌が白いんじゃなくて、共産主義の赤に対する白ですね。革命によって逃げてきた人たちだから、金持ちのロシア人なんです。

伏見:へぇ、そうなんだ!

南:その子供なんかが学校に来てたんですね。白系ロシア人の子。

伏見:それは北樺太から南へ来たって意味ですか?

南:そうそう。国境を越えて来たの、走ってね。走って来たのかは知らないけど(笑い)。北樺太は山ばっかりで、街がないわけですから、南へ下って、住み始めた。

伏見:革命があって、大陸から北樺太まで流れ落ちて、住むところがないから国境を越えて南樺太に定着した。

南:そうそう。

伏見:子供の時に白い肌をした青い目の人たちに接していたんですね。

南:はい。

伏見:彼らと日本人の関係っていうのはどうだったんですか?

南:その人たちは、牛を飼って牛乳を絞ってそれを売る。それから、パンを作って販売をする。それがとても美味しいパンでね。でも彼らは大泊からちょっと離れたところに住んでいて、町中にはいないんですよ。ただ同然の土地を自分で切り開いて、住宅を建て、牛を放牧したりなんかして、それで食い扶持にしていた。

伏見:それって日本の政府的にはどうなんですか?

南:黙認していたみたいですよ。そんなに大勢じゃないですからね。

伏見:なるほど、学校には白系の子供もいた。いじめられたりしなかったんですか?

南:いや、私の学校にはほとんどいなかったんですけど、楠谿小学校ていうのが山寄りにある学校で、多くはそこに通っていた。

伏見:あの、南さんは小さい頃って、学校に上がる前っていうのは近所に幼馴染みたいな人はいたんですか?

南:幼馴染はいっぱいいましたけど、友達というのは一人しかいなかった。肉屋さんの息子。それは私よりね、2つ年上の人だった。1つかな?

伏見:僕なんかは子供の頃って、オネエな傾向が濃厚だったので、男の子よりも女の子と遊んだりとか、女の子的な遊びの方に夢中だったんですけど…

南:それは私にもありました。だから、男の子の友達はその子で、あと女の友達が3人くらいいました。ママゴト遊びをすると必ず呼びに来るんだ。

伏見:じゃあ南さんは、あんまり男の子っぽい遊びはしなかった?

南:しないしない。(笑い)

伏見:当時は男の子たちはどういう遊びをしていたんですか?

南:野球とメンコですね。

伏見:当時もう野球とかやってたんですね。

南:えぇ、やってました。

伏見:そういうのはあんまり好きじゃなかった?

南:好きじゃなかった。大っ嫌いだった。

伏見:だけど、おままごとは好きだった。(笑い)

南:そうそう。

伏見:それって、僕が子供の頃は女の子の中で男が一人いたら囃し立てられて、いじめの対象になったりしたんですけど、そういうことは?

南:そういうことは何もなかったね。

伏見:それはどうしてだろう、僕からすると不思議。

南:そんなこと何もなかったんですよ。極自然でしたね。近所は商店の子供ばっかりだったからね、そんなに乱暴ではないんですよ。

伏見:今では幼稚園とかありますけど、当時は小学校の前は特に行くところはなかったんですか?

南:幼稚園はあったんですよ。お寺の幼稚園ね。お坊さんが経営していて。だけど、どういうわけか知らないけど、私は幼稚園に行かなかった。弟たちは幼稚園に入ったけど、店番をさせられていた。

伏見:店番で本読んでいたとおっしゃっていましたが、読み書き算数みたいなものは小学校入る前からできたんですか?

南:そうですね。お客さんとのやりとりみたいなことはやってましたね。お釣りを渡していましたからね。

伏見:じゃあちょっと賢い子だったんですね。

南:そんなことないけど(笑い)。

伏見:小学校に入るのは8歳?

南:そうですね、8つですね。

伏見:8歳で入って、当時は男女席を同じくせず、みたいな時代だと思うんですけど、小学校に入ると男女別なんですか?

南:教室は一緒だけど、席は別ですね。

伏見:でも授業は一緒に受けていた。

南:一緒ですね。

伏見:あんまり男女別みたいなものには厳しくなかった?

南:全然厳しくなかったですよ。女の子の頭を叩いた記憶がありますからね。女の友達の方が多いしね。女の子は家のことをよく喋るの。「今朝起きたらこういうことがあった、ああいうことがあった」って。それをじっと聞いてるんです。私はほとんどものを喋らない方だった。

伏見:それは気が弱いとかそういうことですか?

南:まぁ、そうなんでしょうね。

伏見:お父さん似ってこと?

南:うん、父親はものを喋らない。

伏見:気性的にお父さんに似ているんですね。

南:そうそう。

伏見:女の子と仲良くしていると、男の子からハブにされたりとか、いじめられたりとかって普通はあるけど、そういうのはなかった?

南:ありませんね。

伏見:あんまり皆ギスギスしてない時代だったんですかね?

南:小学校三年の時は僕は級長だったから。

伏見:優等生! 樺太の場合、当時は小学校があって、その上は旧制中学が?

南:旧制中学があるんですが、その間には中学を受けて落ちた人が行く学校があるんですよ。尋常高等小学校学校。二年制のね。

伏見:南さんは、小学校を卒業して、

南:すぐ中学校です。

伏見:中学に行く時って、試験がありますよね?

南:受験勉強はやりましたよ。

伏見:樺太には中学の上はあるんですか?

南:ない。樺太にはない。

伏見:そうすると、その上に行こうとすると、本州とか?

南:そうそう、札幌

伏見:札幌の北大とか?

南:えぇ。

伏見:南さんは、次男だし、家は継がなくていいから大学へ行きなさいとか、そういうご家庭だったんですか?

南:それがね、そうじゃないんですよ。父は私に家を継げと言うんです。長男の兄はその商売が嫌いだったの。絶対に店番をしないんですよ。店番を言われると逃げちゃう。だから父親は長男は諦めて、私に家を継げって。

伏見:僕の父は南さんと同世代で、男らしさに対する強迫観念みたいなものがあったんですけど、そういうのは?

南:私の兄は男らしさに対する憧れみたいのがあって、それで予科練に志願したくらい。彼は柔道で、当時樺太で第1位なんですよ。もの凄くマッチョマンに憧れた人でしたね。対して私は、本当にそれが嫌いだった(笑い)。

伏見:当時の男の子にとっては、そういう軍人さんは憧れですよね。

南:そうそう。

伏見:お兄様はそれに憧れて。南さんはそれに対してはどうだったんですか?

南:港へ軍艦が帰ってくると、みんな正装で外出してくる。士官の格好っていいわけでしょ。だから、なるんだったら海軍の士官になりたいと思ったけど、綺麗な格好をしたいだけ(笑い)。

伏見:後付けになるかもしれないですけど、その感覚の中にはホモセクシュアルな感覚ってあったんですかね?

南:僕はあったんじゃないかと。あのスタイルが格好いいと思ったんだよ(笑い)。