● 牧歌的な性の風景

伏見:思春期以前、体が成熟する前にも初恋とかってあると思うんだけども、それはどうなんでしょう。

南:唯一の幼馴染みが肉屋の息子で、その肉屋の隣が食堂になっていて、肉丼だとかそういうものを出すの。3階が子供部屋になっていて、そこへ遊びに行くと、しょっちゅう屋根裏で、幼馴染みが私を布団にくるめて上から被さるのをやる。ある意味では肉体接触ですね。遊びですけど。

伏見:南さんの中で性的な感覚はあったんですか?

南:こっちはそういう狙いなの。

伏見:布団の中では、性的な接触はあったと思うんですけど、誰か男性に憧れるとか、胸がキュンとする対象はいたんですか?

南:憧れるって言うよりもね、可愛がられたわけだよ。うちは店員さんを雇っていて、彼が非常に可愛がってくれてね、夕方になると相撲とろう、ってなるわけ。

伏見:店員さんはやっぱり若いわけですか?

南:若いわけ。二十歳いってないんですよ。それで、相撲っていっても転がすというより抱きつくような感じでね。

伏見:ほぉ。

南:向こうもそれが好きだったんですよね。

伏見:それって、向こうは同性愛者?

南:同性愛者かは分かんないけども。でも、性的に目覚める前に肉体接触ってあるじゃないですか。親に甘えるのと同じ様で、そのいい相手だったんじゃない?

伏見:へぇ。その店員さんのことはなんて呼んでいたんですか? お名前で呼ばれてた?

南:あんちゃん。

伏見:あんちゃん、良いですねなんか(笑い)。

南:ふふふ。(笑い)

伏見:じゃあ、小学生の南さんにとってあんちゃんは胸がキュンとする存在だった。

南:そうそう。相撲やろうって誘われるのが待ち遠しかった。

伏見:あぁ。じゃあ、相撲のあんちゃんが初恋っちゃ、初恋っていう?

南:まぁそうだね。(笑い)

伏見:でもそういう感情に対して後ろめたいとかはなかったんですか?

南:なかった。何もないですよ。相撲をとるということがもの凄くセクシーだと思っていたんですよ。ていうのは、その人は相撲をとる前に全部を片付けて、円を描くわけだ。そうすると、「ちょっと待ってよ。」って言って、トイレに行くわけね。

伏見:うん。

南:それで、帰って来るとこの辺(股間)に滴りが付いているんですね。

伏見:ほぉ。

南:それで、それを見るともの凄く胸がときめいたの。

伏見:あんちゃんは同じ家で暮らしていたってことですよね。一緒に寝るってこともあったんですか?

南:それはできないの、あんちゃんは離れに泊まっていたから。絶対にその中に入っちゃいけないって言われていた。だから、唯一あんちゃんと接触できるのが相撲の時(笑い)。

伏見:南さんは子供の頃は「同性愛」とかそう言う言葉は知っていた?

南:聞いたことない。

伏見:男らしくなくて、なんか言われるということはありましたか。

南:ないない。

伏見:周りにもそういうことでいじめられた子っていなかったんですか?

南:いなかった。面白い記憶があってね、ちょうど私の家の斜め前に、お琴のお師匠さんがいたんですよ。男性の師匠。お風呂屋さんが始まるのが3時からで、師匠は、銭湯に毎日3時に行くんですよ。銭湯の湯道具を抱えて、着流しでしゃなりしゃなり歩くんですよ。それを近所の人たちは「お琴さん」って呼ぶんですよ。彼は女性的であるってことで有名だったの。でも、それを非難がましく言ったり、石をぶつけたりするんじゃなくて、琴のお師匠さんだから優秀な人だってことも含めて、「お琴さん」と。挨拶なんかも柔らかなんですよ。私も、不思議な人はいるもんだなって思ったんだけどね、それに対して、こっちが違和感を覚えるってことはなかったですね。

伏見:その方っておいくつくらいの方だったんですか。

南:お琴の師匠をするくらいだからね、40前くらい。

伏見:ご結婚はされてたんですか?

南:結婚はしてない。

伏見:あぁ。じゃあ、今考えるとどう見ても…みたいな。

南:もちろんもちろん。だから、周りの人もそう言うことは知ってるわけですね。

伏見:え、それは同性愛だっていうことですか?

南:そうそう。だって、着流しでしゃなりしゃなり歩いて行くわけですからね。挨拶するときもさ、男っぽく挨拶するわけじゃないし。

伏見:昭和の初めの頃、歌舞伎の女形みたいにしゃなりしゃなりしていると、周りはその男性が男が好きな人だって思ったのかなあ。

南:それは、そうかもしれない。でも、女性っぽい男性だってことはハッキリしてるんですね。

伏見:お琴さんに対して侮蔑的な意識は?

南:いや、全然ない。

伏見:僕は小さい頃に男がピアノやってるだけで、女っぽいとバカにされたんですけど(昭和40年代)、南さんのもっと大昔(昭和10年代くらい)の田舎で、お琴をやっている男を「変な奴」とか「気持ち悪い」って感覚は持たなかったんでしょうか。

南:ないと思いますね。

伏見:その方は周りの方に好かれていたんですかね?

南:好かれてますよ。だって、ご挨拶が丁寧なんだもん。

伏見:はぁ。

南:どちらかと言うと教養人みたいに見られてたからね。大泊って町は色々面白い町でね、樺太に文化が最初に入ってくる町なんですよ。そうするとね、色んなタイプの人がそこに集まってくるわけ。それだから、お琴の師匠なんていう商売も成り立ったんだと思うんですよね。

伏見:幼い時分から自分は変わっていた、っていうような傾向や嗜好ってありましたか?

南:学校に行くのに郵便局長の息子を迎えに行って、勝手口から「さいとうくーん」って名前を呼ぶと、「ちょっと待って!」と小便して、支度して出て来る。勝手口の近くにあった便所から聞こえてくる小便の音に聞き耳をたてるのが、好きだったんですよ(笑い)。

伏見:(笑い)それ小学生ですよね?

南:小学校。

伏見:その斎藤くんって言うのと、あんちゃんって言うのはどっちが早いんですかね?

南:あんちゃんが先。

伏見:斎藤くんに対する気持ちは恋ですか?

南:恋もありますしね、そいつは変わったことができて、例えばハーモニカを吹ける。当時ハーモニカを吹ける人なんて誰もいませんからね。それから、やっぱり文化的な素養があったんですね。だからそいつと一緒に歩いていると楽しかった。

伏見:なるほどね。なんか、小学校くらいで性的なタームっていうのはあったんですかね? 例えば「変態」とか、当時でいえば「M検」とか、まだ性的な言葉は耳に入っていない?

南:小学校の間は入らないね。中学入ってからだね、それは。ただ、小学校の時の性的な経験で、ものすごく印象に残っている記憶がある。

伏見:ほう!

南: 6つくらい離れている近所の菓子屋の息子がガキ大将なんですよ。そいつが夏に私を誘って、歩いて10分くらいのところにある小高い山に行った。その日はね、なんだか知らないけど蒸し暑い夏だった。立ち入り禁止の柵を超えて、中へどんどん奥へ入って行くと、鬱蒼とした木のある原生林があって、その辺りで急に止まるんですよ。「どうしたんだろう」って、思ってみていると、彼がズボンを脱ぎ始めて下は真っ裸になっちゃったの(笑い)。それでオナニーを始めたの。

伏見:おー! 彼はその当時何歳くらいなんですか!?

南: 16かそのくらいじゃないですか。

それで、ついに最後まで見せつけるわけ。僕はそれをじっと見てました(笑い)。それだけですよ。こっちは何も手を出したりなんかするわけじゃない。それで、終わったら、さぁ帰ろうって山を降りた。

伏見:南さんは、見ていてそれが恥ずかしい行為というか、エッチな行為だってことはね分かったんですか?

南:うん、恥ずかしいっていうか物凄い胸がドキドキして。

伏見:じゃあ性的なものだってことはなんとなくわかったっていう。

南:言葉ではないけど、そういう感覚はありました。あと、なんか、恐ろしかったんですね。

伏見:山の中で、年上の人が突然パンツを脱いで、しごき始めたらたしかに(笑い)。

南:そうそう。(笑い)

伏見:その時南さんは何歳くらいなんですか?

南:恐らく小学校3年かそのくらいじゃないですかね。

伏見:でも、ドキドキしたことだけは覚えていた?

南:そうそう。

伏見:ペニスの形も目に焼き付いて。

南:そうそう先がちゃんと亀頭が出てたからね。父親と同じ形してるんだって思ったからね。父親とは銭湯に行くから。

伏見:そういえば、銭湯へ行くとみんな性器を出しているわけじゃないですか? そこは小学校の南少年にとってはドキドキの場なんですか?

南:銭湯はドキドキの場じゃないんですよ。何故かっていうとね、私は性器に対して、強い劣等感を持ってるんですね。私は3歳の時からヘルニアだったんですね。だから、自分のも見せたくないし、人のも見たくなかった。

伏見:幼年期は、家庭の雰囲気だったんですか?

南:会話のない家庭だったんですよ。

伏見:それはどうして?

南:父親が無口でしょ。父親が口を開くときはなんか気に入らないことがあって、怒る時だけなんですよ。母親は活気な方だから口答えをするのが会話っていう感じでね、だから父親に口を聞いたことはほとんどないね。

伏見:でも、お母さんが勝気だったとしたら、お喋りで家の中が明るいとかそういうことじゃないんですか?

南:そういうことはない。笑わすようなことはないですよ。父親も笑うようなことはないね。

伏見:昔の家庭はそうかもね。

南:そうそう。弟と遊んだこともほとんどありませんね。兄貴と遊んだことはあるけど。兄貴は私を相手にして柔道の稽古をしたから。技を掛けられたから、受け身が随分うまくなったんですよ(笑い)。

伏見:町の雰囲気としては、例えば差別とかはないんですか? 関西だったら部落差別とかあるじゃないですか。

南:差別はないんですよ。ていうのはね、朝鮮人の方が住んでいたんですね。りゅうくんっていう友達が洗濯屋の息子でいてね、声がよくて歌の上手い子だったんです。彼が私の家へも遊びに来ることがあって、母がうどんを作ってご馳走してあげた。たまたま肉を入れたら、肉の入ったうんどんなんてはじめて食べたっていうから、おかわりを勧めたら、二杯も食べた。それで、彼を家まで送っていったら、日本人と朝鮮人の居住区の境界で、彼が別れの歌を歌ってくれた。学校唱歌だけど。

伏見:民族で居住地区が分かれていて、あっちへ行っちゃいけませんよとか、この人はちょっとみたいなことがあったのかな。

南:それは暗黙のうちにあったみたいで、だから「ここで別れるね」って。

伏見:それは、差別ではない?

南:まぁ、差別って言っていいでしょうけど。

伏見:例えば、南さんのご家庭で、朝鮮人の子供だから付き合っちゃいけませんみたいなことは?

南:そういうのはないね。りゅうくんが来たら、歓迎するくらいだから。じゃあ、特別にうどんを作りましょうっていう感じで。

伏見:その子とは小学校が一緒だったんですか?

南:一緒だった。

伏見:小学校の中で、例えば朝鮮人だからっていじめはない?

南:全然ないね。特にその子は歌がうまかったからね。だからみんなが、「りゅうくん歌って」って頼む。

伏見:関西とか差別が厳しい地域と違って、樺太は…

南:みんな逃げて来た人たちや、本州では失敗して一発当てるっていう連中だから。

伏見:みんなよそ者で、上の階層もあんまりいないんでしょうね。

南:いないです。いないです。

伏見:そういう環境で育ったのは、南さんの後の性格に影響を与えているのかもしれませんね。

南:きっと潜在的にね。

(続く)

 

南定四郎 ・1931年、南樺太生まれ。1974年にゲイ雑誌「アドン」を創刊。1984年「IGA日本」を設立以降、日本のゲイ解放運動において先駆的な役割を果たし、パレードや映画祭、HIV啓発運動などを実現。現在、沖縄在住。

 

近影・撮影/ 中野泰輔

他は現在の樺太の風景など(資料画像)