ブス、自分をだます。

こうして「セクシュアリティ」の問題はひとまず解決に向かいましたが、その喜びとは裏腹に、「容姿」に関するコンプレックスは、ますます肥大化していきました。「(たとえ唇のことがなかったとしても)自分の顔が、『ゲイの世界』でモテるタイプではない」とはっきり認識するのに、さほど時間はかからなかったからです。「二丁目に捨てるゴミなし」というありがたい格言(注4)を知り、さまざまな方と出会ううちに「最初のイメージと違って、『ゲイの世界』も、見た目だけじゃないんだなァ」(失礼)と頭では理解できるようにもなったのですが、当時の私には、それはあくまでも「『普通のパーツ』を持っていれば、の話だ」としか思えませんでした。

しかし一方で、私はしぶとく「アタシの顔だって、きっと捨てたもんじゃないハズ」という根拠のない自信と、「一目ぼれされるような人になりたいッ」という無謀な欲望も抱き続けておりました。「他人から『美しい』と判断される」、あるいは「容姿で他人を魅了する」可能性を完全に捨て去るには、私はあまりにも若く、強欲で、プライドが高すぎたのでございます。

あの頃、私は何とかして「アタシはキレイ」という確信を得ようと、さまざまな取り組みを行いました。光の加減で顔に陰影ができ、アラが目立たなくなるような場所で、鏡に向かって色っぽい(と自分で思いこんでいる)表情を作っては、「アタシ……。結構イケるじゃん」と一人で呟いたこともありますし、やはり光の加減などで、自分の顔が(少しだけ)キレイに撮れている写真を眺めては、「うん、かわいいかわいい」と自分に言い聞かせたこともあります。

しかしそういった試みはどれも、私を心底満足させてはくれませんでした。「光」による上げ底なしの鏡や写真を見れば、あっという間にシビアな現実へ引き戻されますし、「いつでもどこでも、照明を顔に当てる訳にはいかない」ことや、「鏡や写真にうつっているのは、意識的に作った顔にすぎず、他人が普段見ている顔とは違う」ことは、自分が一番よくわかっているからです。

自分の目が、いま一つ信用できないとなると、やはり他人の判断を仰がざるを得ません。そこで私は、「周囲の人に意見を求める」という方法もとりました。知り合いの中でもできるだけ善良な方を選び、「アタシに、もっと魅力があったらなァ」などと呟いてみるのです。このような問いかけに対し、多くの方は「そんなことないよ。今でも十分魅力的だよ」と答えて下さいますから(注5)、自分でも一瞬、「ああ、良かったァ。やっぱりね……」と安堵したつもりになるのですが……。これも結局、私を満足させてはくれませんでした。他人の真意というのは永遠にわからないものですし、何よりも「善良な方に対して、ハナからそのような反応を狙っていた」ことは、自分が一番よくわかっているからです。

自意識過剰で、「他人から『美しい』と思われたい」と願っていた当時の私は、とにかく「自分を『ブスだ』と認める」ことを、というより「他人から『ブスだ』と思われている」という事実を認めることを、極度に恐れておりました。そして常に、「他人の目から(唇の形をはじめとした)自分の『ブスさ』を隠そう」「自分が『ブスである』ことに、気づかれないようにしよう」と思っていたのでございます。そんな私にとって、鏡や写真、善良な方々の言葉を恣意的に利用して、自分一人を納得させようとする行為は、タダの気休めでしかありません。「あるがままの現実」から目をそらせようとしている自分に対して、私は心のどこかで、腹立たしささえ感じておりました。

 

ブス、自分を励ます。

またこの頃、「コンプレックス」関係の本や女性誌の特集を見つけると、私は食い入るように読み、自分を励ますための材料を必死で探したものです。しかしそこにも、私を本当に救ってくれるような言葉は、何ひとつ書いてありませんでした。

たとえば「平安時代の美人は、ウリザネ顔におちょぼ口。美の基準などというものは、時代によっても場所によっても違います。現在、自分が『美人』ではないからといって、悲観するのはやめましょう」といった言葉。最初はうっかり「そうよねェ。そもそも美の基準なんて曖昧なんだから、アタシが『ブス』なのは、現代社会の『美意識』が問題なのよ」と納得しかけます。しかし後で必ず「だから何なんだッ。平安時代の例出されたって、何の解決にもならねえんだよッ」といった怒りがこみ上げてくるのです。さすがの私も「いつかアタシが、『美』の基準になるハズ」と思いこめるほど、脳天気ではありませんでした。

「自分の顔を愛してあげましょう」という言葉も、よく見かけました。これに関しても、最初はついつい「そうよねェ。他に愛してくれる人がいないんだったら、せめて自分だけでも、この顔を愛してあげなきゃねェ」といった気持ちになります。しかし後で必ず「だからどうしたッ。そんなに簡単に自分を愛せるなら、誰も苦労しねえんだよッ」といった憤りを感じてしまうのです。「自分の顔を愛する」などという行為は、私には(多少のコンプレックスはあるにせよ)それなりのレベルの容姿を持った、余裕のある人だからこそできることだ、としか思えませんでした。

他にも「誰にでもコンプレックスはあるものです」「たとえコンプレックスがあっても、常に笑顔でいれば、きっと人はアナタに惹かれるハズです」「モテたいのであれば、まず髪型や服装を変える、身体を鍛える、といった努力をしましょう」などといった「アドバイス」がありましたが、美しい方やモテる方に「コンプレックスがあるんですゥ」などと言われると、かえって嫌味だったりしますし、私の場合、笑うとすべてのパーツが思いきり崩れますから、笑顔がまったく武器になりません。また努力で補える顔のマズさには、やはり限度がございます。どれもまったく、参考にはなりませんでした。

しかし、こういった数々の「ブスを慰める常套句」の中でも、私がもっとも惑わされそうになったのは、「外見の良さなどというものは、歳をとれば失われます。大切なのは中身です。明るく前向きに生きて、しっかり中身を磨きましょう」「コンプレックスのある人の方が、他人に優しくなれますし、人間の幅も広がります」といった言葉でございます。もちろん外見に自信が持てない以上、中身にすがるしかありませんから、最初は「そうよねェ。やっぱり大事なのは中身よねェ」だの「ブスの方が他人の痛みもわかるしねェ。ブスに生まれたことを、神様に感謝しなきゃ」だのと、懸命に自分に言い聞かせます。しかし後で必ず「ふざけんなッ。世の中には、何もしなくても男が寄ってくるオンナが腐るほどいるじゃねえかッ。何でブスだけが、そんな努力しなきゃならねえんだよッ」といった怒りや、「いくら中身を磨いたって、男ができなきゃ意味ねえんだよッ。性格の良さだけにほだされる男なんて、この世にいるのかよッ」といった疑問が湧いてくるのです。

そもそも私自身が、「顔さえ良ければ、後はどうでもいい」「顔が好みかどうかで、恋愛対象かタダの友人かを分別する」という極めつけのメンクイで(注6)、しかも「友達でもない、通りすがりのブス」には、かなり冷たいオンナでございます。たとえば電車に乗っていて、誰かが誤ってぶつかってきた場合、相手が好みのタイプの殿方であれば、私は「いいよいいよ。アンタにぶつかられるなら、アタシゃ本望だよ」と思うでしょうし、そうでなければ「ふざけんなブスッ。ヨタヨタしてんじゃねえよッ」と、心の中で激しく罵倒するでしょう。二人の殿方から同じように親切にされたとしても、恐らく「好みのタイプ」に対する評価の方が、「ブス」に対する評価に比べて、百万倍くらいは高くなるハズです。そんな私には、「中身の良さ」は必要条件ではあっても、十分条件であるとはとても思えず、「外見以外の要素に惹かれる人がいる」というのが、どうにも信じられなかったのでございます。

また、世間には「外見が良くて、頭も性格もいい」という恵まれた方なんて、ゴマンといらっしゃいますし(注7)、もともとの顔立ちが整っている方は、歳をとっても往々にして、美しさを保ち続けるものです。このように「世の中は不平等である」という圧倒的な現実がある以上、下手な気休めや理想主義は、何の役にも立ちません。

いずれにせよ、「容姿に関するコンプレックス」が、「自分の顔が、他人からどう見られているか」「自分の顔を愛してくれる男がいるか」といった恐れや不安と直結していた私にとって、「社会のせいにする」ことも「自分を愛する」ことも「中身を磨く」ことも、すべては問題のすり替えとしか思えませんでした。それどころか、力づくで「コンプレックス」を解消しようとする行為にはどこか無理があり、「あるがままの現実」から目をそらせようとしている自分に対して、やはり心のどこかで腹立たしさを感じてしまったのでございます。

 

ブス、片想いを繰り返す。

「あの頃は病んでいた」としか思えないほど、「ゲイの世界」にデビューしてからの数年間、私はひたすら「恋愛」を求めておりました。長い間封印していた反動で、「誰かとつきあう」ことに憧れる気持ちは、心の中で暴れまわっていましたし、「自分が、他人にとって魅力的である」ことを何とか確認したかったせいでもあります。(ある程度は社会による教育の産物かもしれませんが)「好みのタイプ」というのは基本的に、理性ではどうにもならないものです。だからこそ「誰かに愛されることこそが、『誰にも愛されないのではないか』という不安や、容姿に関するコンプレックスを乗り越える、究極の手段になりうる」と、当時の私は考えておりました。

しかし何でも、「欲しい、欲しい」と思っているうちは、なかなか手に入らないものでございます。その頃、私は「相手」を見つけるために、さまざまな方法を試みたのですが、ゲイ雑誌の文通欄や伝言ダイヤルを利用して見知らぬ殿方と会っては、(お互いに)落胆し、「ハントショットゲーム」(注8)に参加しては、「こんなところで、見てくれだけでつきあいはじめたって、どうせすぐに別れるに決まってるよッ」と心の中で毒づきつつ会場を後にする、といった具合で、一向に成果は挙がりませんでした。

何度となく失敗を繰り返した挙げ句、ようやく「アタシはやっぱり、『外見一発勝負』には向かない(というより、相手にもされない)らしい」と悟った私は、徐々に「相手と親しくなり、情を移らせる」という手段に望みをかけるようになりました。「外見以外の要素に惹かれる人がいるかどうか」については半信半疑でしたが、もはやそんなことを言ってはいられません。性格は何とか演技でカバーできますが、外見はもう一度手術でも受けない限り、変えられないからです。「外見だけで惚れさせるのが困難でも、『(外見なんてどうでも良くなるほど)中身で惚れさせた』という実例さえ得られれば、それでいい」と、私は考えはじめておりました。

ところがこれも、情を移らせるつもりが、誤ってこちらばかりが一方的にハマってしまったり、「中身の良さをアピールしよう」と焦った挙げ句、タダの「うっとおしいブス」になってしまったり、と、なかなかうまくいきません。しかも当時、「恋愛も、努力すれば報われる」という世迷いごとを信じていた(というより、信じようとしていた)私は、相手の「好みのタイプ」が明らかに自分とは異なる場合でも、「可能性は、ゼロじゃないハズッ」としゃにむに突進していきました。そうして何発も無駄弾を打っては失敗し、「やっぱりダメかァ」とますます自信をなくしていったのでございます。

そんな私の「恋」(というより、片想い)は、大体いつも、以下のようなプロセスをたどっておりました。

まず、二丁目のお店や友達の紹介、パソコンネットのパーティーなどで知り合った、好みのタイプの殿方に狙いを定めます。最初のうちは「相手をいい気にさせたくない」という同性としてのライバル心や、「すぐホイホイ惚れてしまうような、安いオンナだと思われたくないわッ」というプライド、そして「『ブスのくせに、俺に色目使いやがってッ』と思われたらどうしよう」という恐れなどがあり、あえて無関心を装ったりしてみるのですが、徐々に妄想は広がります。しかも私の場合、はっきり拒絶したりしないような、一見「いい人」をターゲットに選びがちですから、余計に厄介です。「いい人」に優しくされて先走り、相手の一挙手一投足を、どこまでも自分に都合の良いように解釈しては「彼はアタシを、いい友達だと思っているの? それともちょっとは好意を持っているの? ああ、わからないッ」と身悶えしてみたり(傍から見れば一目瞭然)、「もしあの人とつきあったら、浅草の花やしきに行ってェ、水上バスに乗って隅田川を下ってェ」と、デートのシチュエーションをこと細かに頭の中でシミュレーションしてみたり、あるいは「何故かしら。心がホンワリ暖かい。これが恋ね……」と勝手に幸せぶってみたり、「アタシの心をこんなにも惑わせるあの人……。一体何者なの?」と勝手に翻弄されてみたり……。

こういったひとり芝居を繰り返しているうちに、否が応にも「恋心」は高まります。しかしその頃になると、相手にとって自分が、すっかり「ブスだけど、いい友達」という存在になっているのがわかりますから、下手な行動を起こして、関係が壊れてしまうのが、恐くて仕方ありません。そして結局、「告白もできずに『いい友達』のまま終わってしまう」、「いつしか会う機会がなくなってしまう」、あるいは「勇気を振り絞って告白し、見事に玉砕してしまう」といったオチがつき、私の「恋」は次々と、闇へ葬り去られていきました。

当時の私は「ひとりで過ごす時間を大切にして自分を磨き、やがて来る恋愛に備えるのよッ」などと自分を叱咤激励しては、一方で「でも、すっかり一人に慣れてしまって、ますます縁遠くなったらどうすんのよッ」という不安にかられ、ひたすらジリジリとしておりました。美貌も色気も自信も持ち合わせていなかった私にとって、「若さ」は「武器」どころか、「せっかくの二〇代に、男もロクにできないなんてッ」という焦りのもとにしかならなかったのでございます。

 

ブス、男とつきあう。

こうして男ができないまま、したがっていま一つ、自分(の容姿)に自信がもてないまま、月日は過ぎていきました。春の匂いのする生暖かい風に「何かいいことがあるかもッ」と期待を抱いては肩透かしをくらい、だんだん強くなっていく陽射しに「今年は、いつもと違う夏にしてやるッ」と意気ごんでは粉砕され、「年内には男を作ろうッ」と決心しては一人淋しく年末年始を過ごし、いくつ季節を見送ったかわかりません。初体験は、「二丁目デビュー」を果たしてから一年半後に何とか終えていましたし、一カ月程度の「おつきあい」まがいの経験をしたことも二、三度はありましたが、それらは私を満足させてはくれませんでした。いずれも「燃えるような想い」とはほど遠く、「一緒にいると落ち着く」という境地に至ることもないまま、あれよあれよという間に終わってしまったからです。そして……。時が経てば経つほど、さまざまな要素が私を追いつめるようになり、「恋愛したい病」はますます悪化していきました。

まず、男とまともにつきあったりするよりも前に、思想やら女装やらといった「ゲイ・カルチャー」にズブズブとはまってしまい、友達ばかりが無意味に増えていく自分が許せませんでした。当時の私には、「誰かに愛される」以外のことに価値を認める余裕がありませんでしたし、「男の一人もいなくて、果たして自分は『ゲイ』と言えるか」という、妙なプレッシャーも感じていたのでございます。

また、「セックス経験が少ない」ことに対する欲求不満やコンプレックスもありました。容姿だけで殿方を魅了する自信もなければ、(経験が少ないだけに)セックスに対する自信もなく、しかも心のどこかでセックスを「特別なもの」としてとらえていた私には、「つきあう」という前提なしに、バーなどで好みのタイプの殿方を気軽に誘うことなど、とてもできません(誘われれば話は別ですが、そんな機会はもちろん、皆無でございました)。それこそ「一八歳で、七〇人くらいの人とヤッた」人がいる世界で、私は自分だけが取り残されているような気がしてなりませんでした。

しかしその頃、何よりも私を苦しめていたのは「プライド」です。たとえば、口さがない友人たちから「森村(エスム)って、本当に男にモテないよねェ」などと言われた時。あるいは知り合ったばかりの方に「彼氏はいるの?」と問われて、「今は……というより、ずっといないです」と答え、相手から「その顔じゃ無理もないねェ」とでも言いたげな、哀れみに満ちた表情で見られた時。私は悔しさに歯噛みをし、「いつか見てろッ」と(アテもないのに)心の中で毒づいたものです。

そんな私の男日照りが極限に達したのは、三年前のことでございます。この年は、秋風が吹く頃になっても、ヒメハジメさえ終わらせることができず、半ば自暴自棄になった私は、「もういいッ。男なんて要らないッ。こうなったら、今年はヤラずに終えてやるッ。万が一にも誰かと結ばれそうになったら、除夜の鐘が鳴り終わるまで待ってもらうよッ」と周囲の人々に宣言しておりました。ところが……。人生というのは、本当にわからないものでございます。それから間もなく、心から「素敵だなァ」と思った殿方との、生まれて初めての「おつきあい」が始まり、私は周りから「この嘘つきオンナッ」と罵倒されることになってしまいました。

その方は、私がよく通っているバーのお客さんで、スラリと背が高く、目鼻立ちの整った、非常に愛らしい顔をしておりました。何度か顔を合わせるうちに、容姿の美しさとソフトな雰囲気にすっかり魅了されてしまった私は、「ダメよアタシッ。惚れちゃダメ……」と少しだけ苦悩した後で、「よし、決めたッ。とりあえずこの人にチャレンジしてみて、玉砕したら、今年は本当に男づくりをあきらめようッ」と勝手に志を立て、デートに誘ってみたのですが……。思いがけず、相手の方から承諾を得ることができ、私たちは週末ごとに、水族館や映画館へと足を運ぶようになったのです。

しかし、これまでの度重なる「失恋」経験が、すでにトラウマにさえなってしまっていた私は、「こんな素敵な人が、アタシなんかを好きになるわけがないッ」と考え、相手の優しさがタダの人類愛からくるものなのか、それとも「好意」からくるものなのか、いま一つはかりかねておりました。最初の頃などはデートから帰るたびに、「嫌われるようなことをしなかっただろうか」と自分の言動を反芻し、同時に相手の言動を逐一思い出しては、何とかその中から自分に対する「好意」のかけらを見つけだそうと、必死になったものです。

相手の方から「つきあおう」と言われたのは、二人きりで会うようになって三週間が経ち、「また今回もダメかァ」と半ば諦めかけた頃のことでした。私との交際に踏み切った最大の理由は、「(外見ではなく)性格が気に入ったから」だったようですが、そんなのはもはや、問題ではありません。私は心から満足し、「世の中にはこんな奇跡みたいなこともあるんだなァ」と、すっかり有頂天になっておりました。

翌日から、夢のような日々が始まりました。「好きな相手からのメッセージが、PHSや留守電に、一日に何件も入っている」というのも、「素敵な殿方から大事にされる」というのも、常に追いかける一方だった私にとっては、とにかく初めての経験です。秋から冬へ向かって、日に日に風は冷たくなっていましたが、それさえも私には、心の暖かさを引き立てる演出のように(勝手に)感じられました。

しかし一方で、それまであまりにも縁がなかったために、私は「恋の幸せ」になかなかなじむことができませんでした。「恋人と遊園地へ行く」「恋人とクリスマスイブを共に過ごす」など、長年暖め続けたプランを嬉々として実行に移しながらも、「この『夢』はいつか、醒めてしまう時がくるのではないだろうか」という不安を、常に心の中に抱いていたのです。また、なまじ「性格が気に入った」などと言われてしまったことも、プレッシャーになっておりました。その「性格」が、私の性悪な本性などではなく、力の限り「いい子」を演じていた時のものを指しているのは明らかだったからです。

しかも、矛盾した話ではありますが、「相手との関係を、ずっと続けたい」と願う一方で、私の脳裏を時々、「でも、本当にこの人で良いのだろうか」という考えがかすめることがありました。もちろんその度に、「こんなアタシを愛してくれる人なんか、そうはいないよッ。大事にしなきゃ罰が当たるよッ」と、自分に言い聞かせてはいたのですが……。私は「永遠」を強く望みながら、心のどこかで、「永遠」を恐れてもいたのです。

相手の方からの連絡が急に途絶えがちになったのは、つきあいはじめてから二カ月後、年が明けてすぐのことでした。私のアンビバレントな心の状態が、知らず知らずのうちに事態を良くない方向へと進めていたのか、私が「つきあい」に対して抱いていたファンタジーに、相手がうんざりしてしまったのか、あるいはなりゆきでつきあうようになったものの、相手が本当はそれほど私のことを「好き」ではなく、熱が冷めてしまったのか、理由は今でも定かではありませんが……。そして、不安を抱えていただけに、「とうとう来たかッ」とひどく焦った私は、「相手の気持ちを知ろう」「相手の気持ちを取り戻そう」と躍起になり、ますます事態を悪化させてしまったのでございます。

それから、正式に別れることが決まるまでの一カ月間は、私にとって最も辛い時期となりました。「今、アタシが頑張れば、何とかなるかもしれないッ」というはかない希望と、「別れることになったら、どうしよう……」という思いとが、心の中で常にせめぎあっていたからです。凍てつくような寒さや、重苦しい鉛色の空は、もはや淋しく苦しい気持ちを煽るものでしかありませんでした。私は半ば廃人のようになり、「『この人で良いのだろうか』なんて二度と思いませんから、どうか彼を返して下さいッ」と、何かに向かって毎日必死で祈ったものです。

今から考えると、当時、私をあんなにも必死にさせていたのは、「相手が『好き』だから別れたくない」といった気持ちだけではなかったような気がいたします。いや、むしろ「つきあっている相手がいる」という状況に対する執着や、「このつきあいが終わってしまったら、果たして『次』は来るのか」という不安の方が、大きかったかもしれません。

いずれにせよ、その方とのつきあいが完全に終わってしまった後、私の中で、何かが確実に変わりはじめていました。「誰かに愛されたい」「誰かとつきあいたい」というがむしゃらな欲望が、まるで憑きものが落ちたように、すっかり影をひそめてしまったのです。あれほど「誰かに愛されてはじめて、容姿に関するコンプレックスを乗り越えることができるのだ」と思いこんでいた私ですが、結局「相手の方が、本当は自分のことをどう思っていたか」は問題ではなく、「(たとえ束の間でも)『好きなタイプの男』が私を『イケる』と思い、私とセックスをしたいと思い、私を大切に思ってくれた」という事実が残っただけで、すっかり満足してしまったのでございます。

その後、私は縁あって、何人かの方とおつきあいをさせていただきました。いずれも、私の身勝手さから終わりをむかえてしまいましたし(結局、性格もブス)、もちろん独りでいる時間の方が圧倒的に多いのですが、それでも「誰からも相手にされるわけがない」と思いこんでいた頃には、想像もつかなかったことでございます。

ひょっとしたら昔、自分の顔や唇をどうしようもなく「醜い」と思っていたのは、他ならぬ私自身だったのかもしれません。

 

ブス人生

ここ数年、私は「ブス」という言葉を愛用しております。朝、会社で同僚のOLに会えば、「ウルトラブス、おはようッ」と元気に挨拶をし、仲の良い友達が失恋すれば、「相手がようやく、アンタのこの世のものとも思えないブスさに気づいたってわけねッ」と慰める、といった具合に……。もちろんその分、周りからも容赦なく「グレートブス」だの「史上最強のブス」だのと言われるわけですが、それは私にとってはむしろ、爽快ですらあります。

「ブス」を多用する、このコミュニケーション方法は、古よりゲイの間に広く浸透しているものです。ここでは「ブス」は基本的に、相手の実際の容姿の美醜とは無関係に用いられるわけですが、私にはお互いを「ブス」呼ばわりすることが、下手なプライドや余計な倫理をのっけからぶち壊し、人と人との生身のぶつかりあいを可能にしているような気がしてなりません。また言葉というのは、使えば使うほど意味が薄められていきますから、「ブス」「ブス」言い合っているうちに、だんだん感覚が麻痺してきて、「まあ、ブスでもいいかァ」といった気持ちにもなってまいります。

これは、「自分自身とのつきあい」においても、言えることかもしれません。

最近になって私は、ようやく「自分は、外見で人を惹きつけるタイプではない」「どんなに美しい人を羨んでも、その人にはなれない」という事実を素直に受け入れ、自分のことを堂々と「ブスだ」と言えるようになりました。「『良い』ところも『悪い』ところもひっくるめて、自分は自分でしかありえない」という当たり前のことに、三〇年近くかかって、やっと思い当たったのでございます。それが「誰にも愛されないかもしれない」という不安が辛うじて払拭され、気持ちに余裕が生じたせいなのか、自分が以前ほど「恋愛」に価値を置かなくなったせいなのか、「一人の人間が手にできるものは、限られている」ということに気がつきはじめたせいなのか、定かではありませんが……。

そして……。自らを「ブス」呼ばわりするようになった時を境に、私は自分の容姿について、あまり悩まなくなりました。目をそらそうとしている間は、気になって仕方がなかったのに、いざ正面切って向かい合ってみると、案外どうでもよくなってしまうのですから、本当に人間というのはおかしなものです。

もちろん、一目ぼれすることこそなくなったものの、私のメンクイは相変わらずですし、容姿に関するコンプレックスが完全に昇華されたわけでもありません。気になる殿方と会っている時には、やはり「少しでも唇のデコボコが目立たないようにしよう」と思っている自分がおりますし、街中で口唇裂の方を見かけると、どうしても目をそらしてしまいます。かつて美しかった方が輝きを失っているのを見かけて、ついつい嬉しくなってしまったり、男が絶えない友達に「アンタ、いつかしっぺ返し食らうよッ」と呪詛の言葉を吐いてしまったりするのも、コンプレックスや嫉妬心の現れである、と言えましょう(注9)。

しかし、ひょっとしたら「コンプレックス」なんて、完全に解消できるものではなく、また無理に解消する必要もないのかもしれません。むしろ「せっかくブスに生まれたのであれば、コンプレックスぐらい持たなければソン」という気さえいたします。少なくとも私は、満たされないものがあるからこそ、いつか帳尻を合わせようとして、必死で生きているからです。たとえその「いつか」が永遠にこなくても、強欲で夢見がちな私にとって、「明日こそはッ」と思い続けられるというのは、案外楽しいことなのでございます。

これまで、さまざまな思いこみや錯覚、カン違いによって、さんざん自分を縛ってきた私のことですから、ひょっとしたら今も、別な方法で自分をダマしているだけなのかもしれません。しかしとりあえずは、「ブスとして、腹くくって生きるのも悪くないかァ」と思いはじめている、今日この頃でございます。(了)

「ブス人生」注記

(注1)「ホラー系女装」としてショーをやる時は、「この顔で良かったかも」と、少しだけ思います。

(注2)もっとも当時の私にとって、その行為はタダの嫌がらせとしか思えませんでした。

(注3)単に、初めてゲイ・バーを訪れた私が舞い上がり、正常な判断力を失っていただけかもしれません。

(注4)「ゲイ」の好みは細分化されており、「誰からも相手にされない人」なんて存在しない、という意味。

(注5)「本当にそうだよね」などと、間髪入れずに真実を述べそうなバカは、はじめから相手にしません。

(注6)それが「ブス同士は嫌」という近親憎悪の感情によるものなのか、「自分にないものを持っている人がいい」というメンタリティによるものなのか、あるいは「『あのブス、モテないもんだから、あの程度で手を打った』と周りに思われるのが嫌」という、下らないプライドによるものなのかは、定かではありませんが。

(注7)もっとも、「性格がいい」と言われる人は、「性格をよく見せるのが上手」なだけだったり、本当に「性格がいい」人は、タダのバカと紙一重だったりするので、判定は難しいのですが。

(注8)数年前からクラブのゲイ・イベントなどで盛んに行われるようになった「集団お見合いゲーム」。会場には多くの参加者がおりますし、誰かとゆっくり話す時間もありませんから、お互いに関する情報はほぼ「外見」のみ。ブスにとっては鬼門です。

(注9)単に私が、意地悪なだけかもしれません。

 

エスムラルダ(Esmralda)

日本のドラァグクイーン、女装パフォーマー、随筆家|エッセイスト、コラムニスト、脚本家、編集者である。一橋大学社会学部卒業。森村 明生(もりむら あきお)名義で『英語で新宿二丁目を紹介する本』(ポット出版)、エスムラルダ名義で『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』(ポット出版/KIRA氏との共著)などの著作があり、雑誌やWebの連載、漫画原案等も多数。2002年、ヘブンアーティスト(東京都公認大道芸人)の資格取得。

撮影・中野泰輔