二丁目寺の坊主日記 23

「酒場で起こる楽しい時間」

アデイの月曜担当、本多清寛です。

最近、酒場で「坊主批判」を受けてきました!

あまり面と向かって仏教はおかしいと言われることがないので僕にとっては楽しい時間でした。言い方に語弊がありますが、皮肉ではなく自分にとっての仏教を考える上で、本当に勉強になるので人格攻撃以外の批判は嬉しく、テンションが上がります。

で、どんな批判だったかというと「葬儀はコスパが悪い」というものでした。論点は三つ。

1.釈尊は葬儀を否定した(なのに葬儀をやっている)

2.葬儀は気持ちが大事(恐らくここがコスパ部分)

3.私は野垂れ死にがいい(葬儀不要論)

まず、1については間違っています。釈尊というのは2500年前に生きておられた仏さまです。その方の直接的な教えを一番反映しているといわれる経典の中に、大パリニッバーナ経(大般涅槃経)というものがあります。この中に「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。」(中村元訳『ブッダ最後の旅』岩波書店、1980年、140頁から引用)という一文が、葬儀を否定する根拠とされています。

アーナンダはまだ悟っていない弟子、修行完成者とはブッダである仏さまです。つまり、やるべきことがある人は、ブッダの遺骨を崇拝しなくていいと述べられているわけです。考えてみれば、仕事でどうしてもいけない葬儀はあります。弔いの気持ちがあれば、仕事を終えてからお墓参りに行けば良いわけで、釈尊が仰ることは真っ当だと思います。また、この言葉の後、聖人の遺体処理の方法について述べられているので、弔いそのものを否定した言葉ではないことがわかります。

2については、葬儀などの弔いは気持ちが重要で、お坊さんを呼んだり高価な祭壇を整えたりする形式は不要だという批判でした。これについてはその通りだと思います。しかし、普通の人が「死体」を目の前にして弔いをするのはとても難しいです。僕だって、伝統を後ろ盾にして弔いの方法を伝授されたからこそなんとかやれるのであって、何も知らずに弔えるとは思っていません。ある程度の形式は必要でしょう。

今でこそ、悪霊や祟りを感じることは少なくなりましたから、火葬だけすれば良いと思える人もいらっしゃるでしょう。ただ、非業の死を遂げた方を目の前にしたら、大抵の方が畏怖を感じると思います。そういった時は、この世の常識から外れている人に頼むしかありません。それはお坊さんに限らず、なんとかしてくれそうなパワーを感じる人であればいいです。ただ、そういった人も霞を食べて生きているわけではないので、なんとかなったら謝礼はした方がいいと思います。

3については、野垂れ死には辞めて欲しいと懇願する以外に答えがありませんでした。道ばたに死体があったら社会が困ります。どうか誰かに看取ってもらえるような人生を送れるように祈るばかりです。また、葬儀が不要という話も、そもそも葬儀を取り仕切るのは遺族などの親しい人たちです。亡くなった人は成り行きを見守ることしか出来ません。

もし、弔いそのものを不要とするのであれば、僕は悲しい気持ちになります。お世話になった人が亡くなっても、全く何もしたくないという方に弔いを強制することはありません。ただ、弔いに参加しない人を受け入れてくれるコミュニティはそう多くはないでしょうから、生きづらい世の中になってしまう気がします。

というわけで、葬儀はコスパを計れません。死体への畏怖を消し、遺体として弔うことで得られる安心は、コストをかければ必ず得られるというものではないからです。葬儀をすることで、死への恐怖を乗り越えられるのであれば、とてもコスパの良いものなのではないでしょうか。

さて、実際の酒場では、こんなに整理しては伝えられなかったのですが、内容的には同じようなことをお伝えしました。けれど、どうしても批判が止みません。よくよく話を聞いていると、実はお坊さんに憎しみがあったようなのです。たまたま、傲慢で意地の悪いお坊さんの葬儀に出会ってしまったらしく、お坊さん=悪人という図式になってしまっていたようです。

坊主にくけりゃ袈裟まで憎いとは昔の人の言葉ですが、こうなってしまうと話を聞いてもらうことが本当に難しく、その憎しみを解くことはできませんでした。だからこそ、ここで日記にしているというわけです。

ともあれ、確かに葬儀は高いと思っている方が大半だと思います。文化庁が出している宗教法人関連の統計によれば、平成25年の収入は1事業所あたり2100万円程度だそうです。支出は約2200万円。ようするに赤字ということになります。宗教法人は営利事業以外は非課税ですから、節税目的の赤字決算もあまりありません(大きな宗教法人は別)。実は曹洞宗の住職は、3割から4割程度が平日に普通の仕事をしたり、いくつかのお寺を兼務しています。そこで得た賃金をお寺に寄付して、なんとか運営している所もあるくらいです。

なにが言いたいかというと、お寺は儲からないということ。そして、二丁目寺も儲かってないということ。

だ、だれか助けてください!

南無お金くれる人。南無優しい人。南無三。

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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