南定四郎という巨人 3

南定四郎という人物を考える上で無視できない要素が、ミソジニー(女嫌い)だろう。それは昭和初期に生まれた男性のなかでは取り立てて偏向した傾向ではなかったかもしれないし、あるいは、ゲイリブ以前には、「女嫌い」は男性の同性愛を解釈する際に(当事者にとっても、社会にとっても)説得力のある理由づけとして機能していただろう。今日でも、文脈は多少異なるが、フェミニストが男性同性愛者を批判する場合に、ミソジニーとそれを結びつけて語ることがままある。そういう意味で、南氏は「ある種のフェミニズムが期待する典型的なゲイ像」を体現している側面があり、自身もそれを否定していない。

ゲイであろうがトランスジェンダーであろうが、あるいはフェミニスト自身であろうが、それぞれが抱くミソジニー(や過剰なミサンドリー)は、既存の性秩序を変革すべく運動に軋轢を生じかねない宿痾であり、今後、運動を展開していく世代にとっては乗り越えざるを得ない課題でもある。「南定四郎という巨人」の内側にあるこうした時代的、個人的な限界を、我々はどう克服していくことが可能か。それを考えるためにも、氏の長きにわたる人生から(批判的にも)学ぶことはある。

PART3「路面電車でハッテンして」

ホモフォビア(同性愛嫌悪)、ミソジニー(女嫌い)

伏見 「同性愛」っていう言葉、概念が、南さんの中に入ってきたのはいつになるんですか。

南 それはね、高校3年ですね。

伏見 どういうきっかけで?

南 土崎港から電車で30分ぐらい行くと秋田市があって、そこには本屋があるんです。土崎港にも本は売っていたんだけど、専門店ではなくて、他のものと一緒に売られてた。その秋田の本屋でたまたま見た雑誌が「風俗奇譚」だったんです。その中に、東京の京橋に「同性愛者の巣窟」があるというルポルタージュが載っていた。かびやかずひこさん(*1→P2末)が寄稿したものでね、それを読んで初めて、「あっ、同性愛というのは俺のことなんだな」と思ったんです。ここに書いてあることはそっくりそのまま自分だ、と。

伏見 京橋のお店は何ていう?

南 私があとからいろいろ人に聞いた話によると、あれは「シャングリラ」というお店がモデルになってると。でも、ほんとに「シャングリラ」というのがあったのかどうかわからない。

伏見 当時、かびやかずひこさんはゲイバーに関するルポなどを風俗雑誌などに盛んに寄稿していたライターですよね。

南 そうそう。やっぱり、あの人が道を開いてくれたということですよね。欲望に名前があることを教えてくれた。「同性愛」という名前。

伏見 それまではモヤモヤしていたということなんですか。

南 やっぱりヘンだということだね。モヤモヤしてるときは、苦しいというよりもヘンという感じ。ほら、高校の同級生なんかは、女の子の話をしてるわけですよ。それが本当にイヤだったから、そういう時には彼らのそばに絶対寄りつかなかった。

伏見 女性の話をしてる同級生たちは、もう経験はあったんですか。

南 いや、経験はないけど、つきあいはあった。夏休みのときに盆踊り大会があって、ハンカチに香水を含ませていって、自分の好みの女性の前でパッとそれを叩くと相手が寄ってくる(笑)って自慢げにしゃべってたやつがいたけど。

伏見 南さんは女子と話しをするのもイヤだったんですか(笑)。「女嫌い」ということ?

南 そうですね。私は高校で演劇部を立ち上げたんだけど、劇は女の人がいなきゃ成り立たない。だけど男子高だから、女生徒がいない。そうするとどこからか助っ人を連れて来ざるを得ない。一番最初にやった作品はフランスの喜劇『署長さんはお人好し』で、それは女性役が1人だったから、1人だけ連れてくればよかった。たまたま小学校の教師をしてる若い女性が土崎港に住んでいて、彼女は「ハイカラ」というか、その町では評判の「田舎町らしからぬ人」だったの。その人を誘ったら「面白い。やるわ」って手伝ってくれたんです。それで男4人に女1人で演じた。だけど、彼女はやっぱり女の匂いを漂わせるわけでしょう。私は白粉とか化粧品の香りがイヤでしょうがなかったから、そばに行かなかったの。当然、ラブシーンなんかはできなかったですね。

伏見 南さんの中で「女嫌い」は非常に顕著な傾向だと思うのですが、それはいつからなんですか。

南 子どもの頃からそうですよ。小学校に入ってからは、女の子と遊んだっていう記憶はないから。

伏見 ゲイリブ以前は、男性同性愛は「女嫌い」とパッケージで語られることが多かったと思うんですけど(*2)、現在では、ミソジニー(女嫌い)と男性同性愛はとりあえず(重なることはあっても)別の問題だと認識されるようになった。ゲイでも女性と仲いい人はいっぱいいるし、というかむしろその方が多いぐらいだから、二丁目も女性客で賑わっている。僕の世代なんかだと、ノンケの男よりは女性との関係性の方に親和性があるゲイは少なくない。

(*2)小倉千加子「すべての男は女嫌いだけれども、それが肉体化されるまでに顕在化してきてる人をホモと呼ぶんです。男と寝たいことに気づいている男と、男と寝たい自分に気づいてない鈍感な男とがいて、鈍感な男をノーマルと呼んでるだけですよ」(『男流文学論』1992 筑摩書房 )←90年代に入ってまでもこのように分析している著名なフェミニスト心理学者もいた。(伏見)

南 なるほど。むしろ僕はそういうのが不思議でしょうがない(笑)。

伏見 もうちょっとそのへんを語って欲しいです。

南 中学1年のときに、セックスについては知識として覚えたけれども、処女はきれいだけれども、処女じゃない人はクモの巣のようなものが子宮の上に張りついてて、それが病気の元になるんだろうって(笑)そう思い込んでたんです。

伏見 南さんは幼少の頃から部屋で本を読むのが好きな、ワンパクじゃないお子さんだったわけですよね。とすると、女性的な部類に入る。なのに女の人は嫌いだったという。

南 それはね、当時、女性は性の塊で不潔だと思い込まされていた。戦前は、性病を病む男というのはものすごく差別されたんですよ。梅毒の男が近所に1人いたんですよ。その男に対して、親が陰口を叩くわけ。いやらしいとか不道徳だとか。近所の人たちが集まっては、お茶飲み話にも出るわけですよ。それを子供だった自分は聞いてるわけ。だから女とセックスするとそういうことになるかもしれない、っていう恐ろしさがまず先にあっての、拒否感なんじゃないかなあ。

伏見 後年HIVの啓発活動を日本で最初に展開する南さんが、若い頃、性病を忌み嫌っていたのは皮肉なことですが(笑)、それも時代の限界ですよね。80年代から南さんなんかが頑張ったからこそ、今、性感染症に対する偏見や差別は相当減じた。

でも、女嫌いに関しては、子供の頃でも身近なところに、ご親戚の女性もいらっしゃっただろうし、妹さんだっている。そういう女性とは普通に話したりしなかったんですか。

南 いや、もう寄ってくるとイヤだった。ちょうど同じ年のいとこがいたんですよ。父親の妹の娘が同じ年だったの。そうすると向こうはね、馴れ馴れしく寄ってくる。ところがこっちは全然もう応じない。イヤだったの。

伏見 そこまでの嫌悪感ってなんなんだろう!(笑) まあ、三島由紀夫なんかも多分にそういうところあったのかもしれないけど、それって世代的な問題もありますよね。うちの父も南さんと同世代ですから、そういう傾向はあって、女性的なものを毛嫌いしていたし、「いさましい」なんて言葉をやたら使っていた。僕の子供の時代(昭和4,50年代)だって、似たような性差別はまだ全然残っていたから、今の若い世代よりも戦前の状況も想像はできる。後で考えると、父の場合、女性嫌悪というより恐怖だったのかもしれないけど。

南 そういうのもあるでしょうね、うん。

伏見 南さんと昔よく二丁目なんかで交流していた同世代のゲイにも女嫌いの人は多かったんですか。

南 多い、多い。私は後に女性と結婚するんですが、その時でも、向こうがこう手に触れたりすると、それがイヤで。

伏見 えー、かわいそう。そもそも相手はゲイだって知らずに結婚しているわけでしょう。でも、エロスって、一度、日常から排除したものを取り入れるところの欲望だから、そこに欲求がなければキモい行為になりますよね。ゲイだって、タイプでもない男のチンコとか触るのは嫌なものですよ、大抵(笑)。

南 だから、離婚した元妻は、なんてひどい男だろうと思ったはずです。

伏見 自分が女性とセックスできないかもしれないという恐怖感があるから、女性に対する拒否感が生じたということではないんですか。

南 全然違います。

伏見 あ、違うんだ。どんな感じなんでしょう。

南 戦前は女性は男性よりも劣った存在だと一般的に認識されてますよね。本を読んでもそうだし、大人の会話の中でもそうだし、父親が母親に対する態度だったり…。そんな環境で育つわけですから、そもそも男というのは女性を対等には考えられない、感じない。それで、性的に目覚めてくると、女性というのは性的存在、性的動物だというぐらいに見えちゃうんですよ。不潔な要素がいっぱいあるんだって(笑)。男は清潔だと思ってるんですよ。

伏見 今、そんなことを言ったら世間から袋叩きにあってしまうが(笑)、ウーマンリブ以前、ましてや戦前、戦中だったら、それが一般的だったのかもしれませんね。戦後のフェミニストの回想などでも、女性自身も自分を劣った存在だと思い込んでいた。南さんが子供の時分はもう70年前のことだからなあ。肯定するわけではありませんが、その世代に生まれたら感化されないでいるのは難しいでしょう。だけど、現在そういう言葉を女性に向けたらそれは批判されて当然です。

でも、女性性が苦手な南さんも、自分自身の「オトコ性」は作ったものだとおっしゃっていましたよね。

 そうそう。

伏見 ということは、それまでは自分が女性的だったという認識があったということですよね。そのことに関しては嫌悪感がありましたか。僕なんか子どもの頃から、何よりのコンプレックスが「女性的だ」ということでした。

南 それはね……やっぱりあるかもしれません。ありますよ。うん、だからね、高校時代でも、私はトップには立てないんですよ。例えば、演劇部を立ち上げても部長にはなれない。副部長とか、常に次席クラスなんだ。まずケンカが大嫌いだから、争って何かになろうなんていう気がまったくない。女房役に徹することに自分の価値を見出していた。だからやっぱり女性的だったと思います。自分が女性的だからこそ女に対しては好感を持てないのかもしれません、きっと。それでトップに立てない俺はなんなんだろうと、いつもそう思ってたんですね。

伏見 トップに立てないことはコンプレックスだったんですか。

南 そう、そう。それを周りも承知してるんですよ。「おまえはいつも副官役だからね」って。

伏見 女性性に自分が浸食されるみたいな恐怖感というのがあったんですか。

南 きっと、そうでしょうね。だから向こうは褒め言葉で言っていても、「女房役」と言われるのがイヤだったよねえ。「おまえはいつも女房役だから、おまえがいれば安心だよ」って言われるのがほんとイヤだった。

伏見 態度とか仕草も、ちょっと女性的だったんですか。

南 きっとそうなんでしょうね。自分ではそうは思ってなかったけど。

伏見 言われたことはないんですか。

南 1回、言われたことはありますよ。高校を卒業して勤めたときに。19か20歳ぐらいの頃、東京に出てくる前ですけど、昼休みにみんなバレーボールやったり野球やったりしてるでしょう。そのときに、同僚を集めて野球チームを作って監督になったやつがいたんですよね。そいつがさ、とにかくメンバーを1人でも増やしたいもんだから、ぶらぶらしてる同僚を見たら「おい、来い!」とか誘ってくる。私はスポーツなんか嫌いでバレーボールも参加しなかったんだけど、無理やり「おい。投げてみろよ」ってキャッチボールをさせられた。そうしたら、「なんだよ、おまえのそれ。踊りを踊ってるみたいじゃないか。ちゃんとやれ!」って言われた(笑)。こっちは普通にやってるのに。それでハッと気がついた。自分は女性的なんだ!と。それからは、男らしくなるために、外を歩く度にガラスに映ってる自分の姿を男らしく矯正して歩いてたね。

伏見 でも逆に言えば、そこで指摘されるまでは、気づいていなかった(笑)。

南 そうそう、気づいていなかった。

伏見 じゃあ、まあ、あんまりコンプレックスでもないじゃないですか。僕なんかだと、自分でもはっきりわかるべったらオネエだったから、子どもの頃からずっといじめられもしたしコンプレックスを抱えていたけど、南さんはそんな「重度」ではないわけですよね。ただおとなしい男の子みたいな感じ?

南 もちろん、おとなしい子ですね。

伏見 周りの男の子たちもそうなんですか。ノンケの男も女性に対する嫌悪感はあったんですか。

南 男たちはみんなスケベなんだもの。女と思ったら引っかけようと思ってるんだから。

伏見 じゃあ蔑視があったからといって、性的なものがなくなるわけじゃないじゃない。ノンケの場合には、蔑視というものと性的なものが同居してるわけでしょう。でも南さんは蔑視と嫌悪しかなかったということかなあ。

南 そうです。

伏見 それはやっぱり根深いものですか。

南 根深いね。まあ、生理的なものもあるだろうし、苦手なんでしょうね。

伏見 むかしの男性同性愛者は、「女嫌い」を自らの欲望の言い訳、理屈づけにしていたという面もあったと思うんですよね。それくらいしか自分の「性癖」を簡単に説明できるロジックがなかったし、他に自己を肯定する言説がなかなか見つからなかったから。

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