東郷健さんが亡くなった際の追悼文 / 伏見憲明(2012)

東郷健氏が亡くなられたことを耳にしたとき、私のなかに浮かんだのは、東郷さんでも死ぬんだ…という微かな驚きであった。それくらい、彼は私のなかで半ば現実離れした存在で、リアリティすら感じない先達であった。いや、先達という表現ではなぞられないような、遠い、出来事そのものだったように思い起こす。

氏よりも三十一年も後に生まれてきた私とて、すでにゲイ・リベレーションに関わって四半世紀以上も文章を書いてきているが、東郷氏は私が物書きとしてデビューする遥か昔に、参議院選挙に立候補している。その一九七一年という年は、アメリカのゲイ革命の端緒となった「ストーンウォールの反乱」からまだ二年しか経っておらず、かの国で最初にゲイとして公職に就いたハーヴィー・ミルク氏が、初めてサンフランシスコ市議会に立候補した七三年よりも早い。そのあまりに先駆的な活動を考えるなら、「時代より先に走りすぎた人物」と評することもできるし、あるいは、「突然変異の奇才」と表現してもいい。

その他、表現の自由をめぐる裁判やゲイ雑誌の発行など、彼の長年の活動のなかからいくつかを取り出せば、日本における性的少数者の運動の嚆矢として位置づけ、賛辞を贈ることは確実にできる。しかし、素直にそういう気持ちになれないところがあるのは、私が幼いときに目にしたテレビでの政見放送の衝撃に因るとも言えるし、また、その後の運動のなかでの東郷さんの存在感の薄さにも理由づけられるかもしれない。

たしかに、一人の「オカマ」として差別的な社会を告発したことは、七十年代初頭には大きな意義と、インパクトがあったはずだ。同時期にウーマンリブの運動をはじめた田中美津氏の名著『いのちの女たちへ』にも、リブの女性たちが東郷氏の講演を聴きに行ったくだりが書き残されているくらいで、彼女たちからも「同じ被差別者」として期待が寄せられていたことがわかる。けれど、そのエッセイには聴衆の反応への批判は記されていても、東郷氏自身についてはそれ以上述べられていない。そのどこか冷ややかな行間に、東郷健氏への共感し難さが隠されている、というのは私の穿った見方だろうか。

正直に言おう。その田中美津氏が後年、女性運動の歴史のなかで評価を高めていったのに比べて、東郷氏の活動がむしろ等閑視されてきたのは、後続世代の狭量にばかり責任があるのではなく、彼の活動自体に肯定するには難しい面もあったように思う。端的に言えば、東郷氏の表現やメッセージは奇抜すぎて、当時の市民感覚の範囲をはるかに逸脱してしまった結果、あまり説得力を持たなかったのだ。それゆえ、当事者の共感を得ることにもほとんど成功しなかったし、反差別運動としても実質的な力を獲得できなかった。もちろんそこにある限界は時代のせいもあるだろうし、そのときの当事者のホモフォビアにも関係しているはずだが、それにしても支持が広がらなかった。同様に破天荒なキャラクターでありながらも、言葉の力で時代を超えて支持を得ていった田中氏とは、活動家として対照的な歩みになったように見える。

しかし、である。もしかしたら、東郷氏の評価をここで確定するのはまだ早いかもしれない。先般、彼の訃報がネット上で流れたときに、意外なことに、彼の活動をリアルタイムでは「体験」していないような若い世代から哀悼の意が表されるのを、私は少なからず目にした。彼が残した演説や芝居の表現に「面白い!」と拍手を贈る声も耳にした。東郷さんの自分自身を曲げず、思うところを貫いていく姿勢や、その自由な生き方は、むしろ現在のほうが説得力を持ち、当事者にも共感を得られるようになってきているのかもしれない。

以前、「週刊金曜日」誌上で、「伝説のオカマ」というタイトルのルポルタージュが掲載されたことがあったが、まさに死して「伝説」になってからが、東郷健の本領発揮だというのは、まんざら間違っていない気もする。自由なようでどうにも自由を実感できない今日、「あっぱれ!」と言うしかないほど自らのままに走り続けた人生に、きっと若者世代は励まされるだろうし、社会に受け入れられなくとも、右翼に攻撃されても、経済的に破綻しても、ゲイの仲間からさえ賛辞を得られなくとも、自分のやり方をまっとうしたのは、やはり、「すごい」としか形容できないからだ。

補足しておくが、私がこの追悼文を書くにあたって意見を伺った人たちのなかには、「いや、伏見さんは過小評価するが、当時、自分は東郷さんや雑民の会のメッセージに共感し、選挙のたびに投票をしていた」と語る方々も何人かいた。私の見方や感受性とは別に、かつても東郷氏や雑民の会の活動を支持していた人がいたこともまた、忘れてはならない事実だ。そして、彼の活動に関する客観的な評価は、今後、時代のバイアスから解かれた世代によって成されるべき仕事だと考える。

ともあれ、あれだけ山あり谷ありの日々を歩み続けたのだから、ご本人もさぞお疲れのことだろう。これからは天国でゆっくりと、その後の日本社会と性的少数者の行く末を見守っていただきたい。ゲイの後輩として、故人に心より感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。(2012)

伏見憲明