伏見憲明の書評

松中権 著『LBGT初級講座 まずは、ゲイの友だちをつくりなさい』(講談社+α新書)

 

 本書は、性の多様性を解説し、そこにゲイである著者のライフストーリーを重ね合わせた一冊である。というと、90年代このかた出版され続けている“カミングアウト本”の一つ?」と思う手練れもいるかもしれない。けれど、ゲイといっても十人十色、その人なりの人生があり、そこに執筆者(執筆時)の時代性が色濃く反映されている。

 著者、松中権氏は1976年生まれの電通マン(2015年時)。自身の所属する企業名を明らかにして企業人としてのゲイの実状を著したのは、彼が初めてである。この本によると、松中氏は会社員の枠から出て、2010年にLGBTのためのNPOを設立。ダイバーシティのコンセプトを持つカフェやシェアハウスをオープンしたり、学生のための就活イベントを催してきた。先般、話題となった、渋谷区の同性パートナーシップの条例の成立にも関わっている。

 その活動戦略は、利用できる社会的資源やネットワークを駆使して、多様性の理念を現実の形にしようとするものといえる。具体的かつ社会生活に寄り添ったものであることが、旧来の差別告発型のアクティヴィズムと趣を異にしているだろう。そして、松中氏を中心とした動きが起爆剤となり、今、日本のLGBTをめぐる状況は新しい段階に入った。それは昨今のメディア報道の急増や、パレードの賑わいを見れば明らかである。

 日本の性的マイノリティの運動は、70年代の大塚隆史ら、ごくかぎられた人物らによるカミングアウトや、ウーマンリブのなかに生まれたレズビアンの運動を嚆矢とする。80年代になると、欧米の影響を受けた市民団体(南定四郎氏らのLGA日本)が結成され、1991年には、動くゲイとレズビアンの会による「府中青年の家事件」の裁判が争われた。ここに初めて、同性愛は人権問題にエントリーすることとなり、同時期に活字メディアで「ゲイカルチャー」が盛んに取り上げられたこともあって、一般にもその存在が可視化されるようになった。その後、性同一性障害の問題などもクローズアップされ、同性愛者以外の性的マイノリティも社会に注目されることになった。

 また90年代半ば以降、ジェンダー・スタディーズから派生したクィア・スタディーズなどの言説が蓄積され、アカデミアにポストも獲得していく。フーコーなどにポスト構造主義の影響下にある研究が大半を占める。しかしそうした運動や思潮は、反権力、反国家、反資本主義、反共同性…の色彩を強め、関わる人の少なからずが、”権力関係”に無謬であろうとするあまり、現実社会に対するコミットメントを等閑視してきたかもしれない。それは現状を固定しないまでも、変革への大きな後押しにはならなかった。

 そんな閉塞した性的マイノリティをめぐる2010年代の状況に、社会運動とはほど遠い企業社会のど真ん中から、著者のような「活動家」が現れたのはまことに興味深い。企業や行政を積極的に動員する手法は、既存の社会秩序や権力を否認する思弁的な議論からは(ありがちな)批判の対象にされかねない。しかし今日、松中氏らの活動に牽引され「社会が動いている」のを実感できる事実を、誰が否定できるだろう。そのことは、解放運動型のアクティヴィズムや、言説の生産を担ってきた研究者にも、自らに内省すべき点があることを示していまいか。

 ここに綴られた松中氏の率直な言葉や文体は、LGBTをめぐる2010年代の空気を体現しているだろう。明るく、フットワークが軽い。カミングアウトに関する彼のメッセージに、その肯定的な姿勢がよく表れている。

「……自分に嘘をつかない自分。その自分の眼で見る世界は、これまでとは大きく変わっているはず。失うものを恐れるか、飛び込んでくる未来を楽しむか。いろいろな意見があるけれど、僕個人としては、カミングアウトすることを勧めたい」

(初出・現代性教育研究ジャーナル)