伏見憲明の書評

エスムラルダ・KIRA 著『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』(ポット出版)

 

「日本って欧米に比べて遅れているから」

という常套句でLGBTの置かれた状況を語ることに、どうにも違和感を感じてしまうのは伏見だけだろうか。最初のカミングアウト本ともいえる『プライベート・ゲイ・ライフ』を上梓して、四半世紀以上が経つ。その間、この国の性をめぐる状況を見続け、ときに前線をときに隅っこを歩んできたが、そんな一人のゲイが抱く感慨は、日本は性秩序に関しては変わる社会だし、案外ものわかりのいい国だ、というものだ。

実際、伏見がコミットしたこの数十年の間だけでも、ゲイや性的マイノリティをめぐる状況は大きく変わった。世間の空気のやわらぎはもちろんのこと、メディアの人権的な配慮、記事の数、ジャーナリズムやアカデミアにおける言説生産、同性愛者の自己肯定感の上昇、性同一性障害の社会的な認知、そして本年の渋谷区・世田谷区の同性パートナーシップに対する制度的な手当…。もちろん満足とはいかないが、90年代以前と比べたら雲泥の差ともいえる好転だ。運動的には、この国がどんなに抑圧的で差別に満ちているかを語ったほうが盛り上がるわけだが、そういうロマンティズムはあまり意味がないと思う。

統計を引用するのは好きではないが(←眉唾物な調査が多いし、質問項目いかんでどうにでも回答を引き出せるから)、ニューズウィークが取り上げた「世界価値観調査」(2010-2014)というのに「年齢別の同性愛への寛容度」という比較があって、それによると、60代の寛容度では韓国に次ぐ悪い結果だが(上位から、スウェーデン→ドイツ→アメリカ→日本→韓国の順)、20代となると、日本はスウェーデンに次ぐ順位となっていて、アメリカやドイツよりもよほど寛容だという結果になっている。これ、平均値ではともかく、世代(時代)によって大きく考え方が変化していることの一つの証左であるし、「欧米」が必ずしも日本よりもパラダイスではないことも物語っている。

そんな見方をいっそう確信させてくれる本が、エスムラルダ・KIRA著『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』(ポット出版)だ。2015年メディアで大きく報道され社会的な注目を集めた、渋谷区と世田谷区ではじまった同性パートナーシップ制度に関するルポで、著者のエスムラルダ氏はそれに関わった人たちへのインタビューを通じて、その成立過程の詳細を明らかにしている。それほど長くないレポートで、案外さらりと読んでしまうひとも少なくないと思うが、伏見のような手だれからすると、これほど興味深い記録はなかった。

そこでキーになっているのは、当事者よりもむしろ、彼らをサポートしようとした非当事者の動きだろう。当事者サイドの貢献を低く見積もるつもりは毛頭ないが、最初の渋谷区のケースで法案を発想したのはLGBTに友人を持つ議員であり、そこからはじまった試みが他のリベラルな議員やサポーターらの協力も得て実現したことは、本書を読むと明らかだ。著者も書いているが、当事者の側は未来のことならともかく、現在の時点で制度的な保障が実現可能だという感触を持っていたものはほとんどおらず、実際、婚姻などを求めて裁判闘争や行われていたわけでも、運動が大きく盛り上がっていたわけでもない。

シニカルないい方をすると、多数の当事者がそれほど強く願っていたわけでもないのに、社会のほうから歩みよってきたようにも見える。日本の性的マイノリティの状況は、当事者運動の拡大というより、「欧米」のLGBTヘの受け入れの水準に呼応して水位を上げていくのが実際で、今回のこともある程度、LGBTの制度的な認知を可能にする社会的な条件が整ってきたということだろう。もちろん、日本のLGBT運動などの積み重ねがあることも忘れてはならない。伏見のようなアクティヴィストにしてみると忸怩たる思いもないではないが(笑)、でも、だからダメだというわけではなく、こういう実現の仕方こそ、きわめて日本的ということができるかもしれない。

本書や、今回の渋谷区・世田谷区のことから教えられたことは、日本では対抗的な運動によって無用に対立軸を作るよりも、(個人的な関係性それも情緒を基盤にした)ネットワークを広げていくことで、社会を動かすことがある程度、可能であるということ。また、アイデンティティの政治学よりも、ゆるやかなネットワークの政治によって、まだ実現できることがあるのではないかという展望である。そういえば以前、地方政治家をやっている伏見の友人に、「当事者のほうから具体的な要望を持ってきてもらえるなら、こちらでもできることがあるかもしれないが、それがないとね」と残念がられたことがあった。もしかしたら、いちばん問題なのは、当事者自身がトラウマの檻に閉じこもって、そこにある希望を見ようとしないことにあるのかもしれない。

そんな社会論、文化論も考えさせてくれるエスムラルダ氏らの本は、日本における一つの政治的実験の資料としてとても貴重である。状況を不可能性の構造としてとらえるか、変革を可能にするための前提と認識するかで、同じ絵を見てもまったく異なる解答を引き出すことができるだろう。さて、次に誰がどんな希望の灯を灯すのか。すべては私たち自身のやる気と行動にゆだねられている。

(2015)