南定四郎という巨人 4

80代半ばの南氏と同世代のゲイの先輩たちは亡くなられた方も少なくないし、記憶を失ってしまった人もいるだろう。つまり、終戦後の東京のゲイシーンを知る人々はもうあまりいない。筆者が取材したイプセンのマスターも百歳まで長生きをしたが、数年前に鬼籍に入った。夜曲のことなどを教えてくれた、某大学の学長を務めたご老人も長い闘病の末すでにこの世にはいない。多くの資料をご寄贈いただいた過日の事情通とも連絡が取れなくなって二十年もの月日が経つ。過去の記憶が消えていく中での南氏の証言は貴重だと言っていい。私たちがどこから来たのか、その道のりに想いを馳せないでは自分たちの未来を語る資格はないだろう。(伏見憲明)

 

「終戦後の東京ゲイ体験」

 

初体験の感想は、「そういうことだったのか!」

伏見 横浜に転勤されて、どこにお住まいだったんですか?

 下宿は東京で、横浜へ通ってたんですね。世田谷の東松原というところに住んでいました。たしか22歳でしたね。

伏見 昭和28年に上京されたわけですが、ゲイシーンで最初に踏み入れたのはどちらですか。

南 だからイプセンですよ。

伏見 ハッテン場とかも含めてイプセンがデビュー?

南 はい。初めは全然知らないから、ハッテン場なんて。

伏見 どういう経緯でイプセンに行かれたんですか。

南 横浜の検察庁を辞めてね、ちょうど開局間近だったニッポン放送で仕事を始めたんです。下宿先は秋田の時の同級生の家で、彼は疎開で秋田に来てたんですね。それで東京に家があって、お父さんは代議士だったんですけど亡くなって、お母さんが女手一つで子供を育てるのに下宿屋を開業した。その同級生っていうのがニッポン放送の開局準備に携わっていて、番組制作のプロデューサーになったんです。そういう関係で、私が検察庁を辞めてブラブラしてるから、ラジオドラマの音響効果の仕事をやらないか?って誘われた。私も演劇が好きで、演劇に関わることをしたかったからね。

伏見 ニッポン放送ってラジオ局ですよね。フジテレビができるのよりももっと前のこと。

 その音響の現場で知り合ったスタッフの中に、ゲイがいたんですよ。その彼がなんとなく私に目星をつけたんです。ある時、彼が(新宿要町にあった)イプセンの前まで私を連れてって、「あそこだよ」って指差して教えてくれたんです。だけど、その日はイプセンに行かずに、彼とホテルに泊まったわけ。その関係は、1回だけなんですけれどね。

伏見 そうすると、秋田から東京に憧れて出てこられて1年くらい横浜に勤めていたんだけど、その間はバーとかには出ていないわけですか。

南 出てない。

伏見 勢い余って出て来たわりには、1年ぐらいは行動せず。

南 だって東京の地理がわからないんだから(笑)。勤めていた時には世田谷と横浜の往復だけですよ。

 伏見 役所の転勤で来たものの、本当は自分の志としては演劇関係のことをやりたかった、ってことですか?

南 そうそう。

伏見 それでラジオの音響スタッフの中に同年代がいて、その中にゲイがいた。相手がゲイかどうかっていうのは、当時カミングアウトっていう言葉もないはずなんですけれども、どういういきさつでわかったんですか。

南 いや、僕のほうは知らないですよ。向こうが私をそうだと思って、誘ったんでしょうね。要するにね、モーションかけてきたわけ(笑)。とはいえ、すぐホテルに行くわけにいかないから、「東京を案内してやるよ」ってなことで、あのへんに連れ出し、「あそこがイプセンっていうゲイバーだ」といった話を振って、こっちがその話題に乗るか乗らないかを観察したりしてたんでしょう。それで、「あ、これは大丈夫だな」と思って、ホテルに連れて行った。

伏見 南さんは、どの段階でその彼がゲイだって思ったんですか。

南 それは「あそこがイプセンでゲイバーだ」っていうことを教えてくれたとき、「あ、この人はそうなんだな」と思ったんじゃないかな。

伏見 それまではセックスの経験はないわけですよね。

南 ないです、そう。

伏見 それが初体験で。

南 初体験です。

伏見 彼はゲイバーという言葉でイプセンを指したんですか。(→現在の新宿三丁目にあったイプセン外観。©︎伏見憲明)

 そうそう。

伏見 僕だったら初体験ならもっと警戒すると思うんですけど、南さんはどういう感じだったんですかね。

南 音響制作の仲間は9人いて、彼らはゲイにみんな関心があったみたいなんですよ。三島の『禁色』の話しなんかをしょっちゅうしてた。あの小説に出てくるゲイバー「ルドン」のモデルになっているバーは「銀座の小野楽器の裏にあるんだよ」とかね。私もふだん女の話しなんかしないのに、そういう話題になると耳を傾けていたから、それで察したんじゃないですかね。

伏見 当時、『禁色』は、演劇関係者とかの間で話題になるような作品だったですか。

南 うん。三島由紀夫はやっぱり、注目の作家だったんですよ。で、音響の仲間の中には小説家志望のやつもいて、ラジオの現場は金がもらえるからって来てた。

伏見 イプセンの前に行って、そのときには入らなかった。なんで入らなかったんですか。

南 だって向こうが誘わなかったから。僕が「入ろう」なんて言わないからね。

伏見 向こうは早くヤりたいみたいな感じだったのかなあ。

南 うん、そう。

伏見 え、でも当時、男同士で入れるホテルはあったんですか。

南 彼はそういうのは詳しくって、「どこのホテルなら大丈夫だ」って。ホテルの人も顔見知りらしくて、入ったらすぐに部屋を案内してくれた。

伏見 それはどこのホテルだったんですか。

南 記憶がないんですよ。おそらく歌舞伎町辺りだと思うんですが。イプセンから歩いていけるところだから。

伏見 そこで初体験を済ませたわけですが、男性との本格的なセックスはどうでしたですか。

南 僕はまったくのマグロで、自分から手は全然出せなかった(笑)。ホテルに入るのも恐ろしくてしょうがなかったですよ。ベッドでは向こうが積極的にいろいろ手を出してきて、あっという間に終わった。それで夜が白々と明けたら、彼がさっさと帰ろうって言うんでホテルの前で別れて、私は世田谷に帰った。それから職場で顔を合わせても、何もなかったかのような感じでそのことについては話をしない。

伏見 肉体関係は1回だけだったんですか。

南 そう。

伏見 あっという間に終わったにしても、南さんにとってはどういう感情体験だったわけですか。

南 いやー、向こうがフェラチオをしてきたんですね。初めての体験だったから、「あ、すごいな。こういうことだったのかあ!」と思った(笑)。

伏見 イヤとかじゃなくて。

南 そうじゃない。

伏見 ホテルに入る時は怖いって言ってましたけど。

 その時はもう緊張してね。終わってから彼が、「初心者なのね」って言ったのがものすごく印象に残ってる(笑)。

伏見 ほー。その後、その人とイプセンに行ったわけでもなく?

南 行かない。彼はそれから別の男を漁ってたんでしょう、きっと。

伏見 当時は1回だけの関係っていうのが多かったわけですよね。

南 そうそう。

(昭和28年7月23日の内外タイムス / このイプセンに関する記事がきっかけとなって、新宿の伊勢丹裏、要町にゲイバーの出店が増え、それが昭和33年の売春防止法の施行なども重なり、二丁目という街を成立させるきっかけになった。)