二丁目寺の坊主日記 25

アデイの月曜担当、本多清寛です。

前回の日記で「死の解決法は平常心を保つ日常のことかも?」ってことに気が付きました。ただ、そもそも「心」ってものがよくわかりませんよねぇ。喜怒哀楽、心が動く時はなんとなく分かりますが、平常心を言葉にするのは難しいです。

そういえば、枯れ木のようなご老僧が、とりあえず落ち着いて休めって仰っていました。きっとそこらへんに平常心のポイントがありそうです。

実はこの落ち着いて休むことの大切さをお盆のお参りでだいぶ味わえたんです。「お寺からです」といって仏間に上がり、お経を読む。そして「どうもどうも」といって去る。たったこれだけなんですが、お参りしたお家では漂う空気がふっと緩みます。ちょっと涼やかな感じです。今年のお参りは、二丁目寺で問われた死を考えていたせいか、いつもよりも感じられました。

あるお家でのこと。仏間にあがると、その家の方がパートナーを亡くされていることに気が付きました。仏壇のロウソクを着け、線香を立てようとした時「もし僕が妻を亡くしたら・・・。」そう考え始めてしまい、線香を持つ手が止まったんです。後ろでは「ふぅーっ」という深い吐息が聞こえました。

それは、あきれたようなため息ではなく、これから供養が始まるんだと噛みしめているような息でした。僕は、その息のおかげで落ち着くことができ、お経を読み始められました。いつもの読経より、少しだけ遠くに響く声になっていたように思います。

この吐息には何が詰まっていたのかは分かりません。ただ、亡くされたパートナーに対する気持ちが感じられました。供養が終わった後のすっきりとした顔は、死の辛さを幾ばくか乗り越えたようなお顔に見えました。

・・・僕もこんなふうな顔ができるようになるだろうか。結婚する前、友達には「死んでも生きててくれそうだから結婚する」とか言っていた僕。たぶん、彼女は悲しんでくれるとは思うし、ちゃんと僕を背負って、ちゃんと捨てて、とりあえず死ぬまで生きてくれそう。だけど、彼女は大丈夫でもこっちは大丈夫なのだろうか?

のろけ話で恐縮ですが、僕のツレって凄いやつなんですよ。初めての買い物デートの日。ちょっと目を離した隙にふらっと消えるんです。僕が途方に暮れていると、急に携帯電話が鳴りました(何回かけても繋がらなかったんですよ!)。ちょっといらつきながら居場所を伝えました。そこに表れた彼女は、なぜか服装が替わっていました。しかも、第一声が「どう?」。僕は唖然として「お、おぅ」としか答えられませんでした。これ、披露宴で話した逸話なんですが、なんと彼女はこの話を覚えていなかったというオチです。

こんなヤバい奴なんで、僕が死んでも生きていそうと思うわけですが、裏を返せば僕がいなくても大丈夫ということです。ただ、いなくても大丈夫なんだけど、一緒に居たら良いことが起こりそうなんです。しかも、この一緒に居たら良さそうってことを互いに信じているから、日常が楽しくても楽しくなくても大丈夫なんだろうなと思っております。

よく考えてみたら、「死んでも生きててくれそう」というより「死んでも一緒にいてくれそう」な奴なのかも。生きている間は、一緒にいるから大丈夫だろうし、死んでる間は弔いながら一緒にいてくれるはず。それが信じられているから僕は落ち着けているし、落ち着けるから平常心が保てる。死は怖いけど死んでも大丈夫な気がする。

つまり、死の解決法は誰かに死んでも一緒にいてもらえること?

これって結婚の如何に関わらず、死んでもつるんでくれそうな人が周りにいたらそれでいいし、そういったパートナーが居てくれたら最高な偶然です。逆に結婚したからといって、死ぬまで一緒に居られるのかは分からない。いつまた死の苦しみが復活するか分からない。だから、とりあえず毎日修行だってことなんですね。

んー、やっぱり死そのものの解決ということにはなりませんが、気は楽になりました。

死んでも大丈夫そうに感じられる時は落ち着いているようです。

というわけで、さんざんのろけ話を読んで頂き誠に申し訳ありません。(たぶん)もうしません。

最後に告知を。

8月のお盆を過ぎた営業日(8/21月)に、アデイ法要をやります!

二丁目で出逢った心に残るあの人のご供養をしたい方、実家には帰りたくないけどお世話になったあの人の供養はしたい方、セクシャリティはもちろん、宗旨宗派宗教が違っても功徳は変わりませんので、お参り出来る方はアデイまでお越し下さいませ。当日不参の方でも、DMを送って頂けば対応いたしまーす。

南無釈迦牟尼佛。読者各家先祖代々 並びに 読者所念諸霊 に回向す。

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。

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