「パヨクのための映画批評」25

ディーバはつらいよ 

~「グリッター きらめきの向こうに」(”Glitter”、アメリカ、2001年)

本物のアメリカン・ディーバは、歌だけでなく映画にも挑戦するものよ。でも映画って、歌では出てこない、その人の違う面が出てしまいます。今回は、ちょっと資本主義にまみれて、アメリカン・ディ-バ主演映画の中でも失敗作と名高い「グリッター」を通じ、マライア・キャリーさんという当代最高のディーバ人生について考えてみたいと思います。

本作を自作自演されたマライア・キャリーさんは1970年生まれ。オペラ歌手の母からの影響もあり、歌手を志し、当時のレコード会社社長にじかにデモテープを渡すという猛烈体当たりからのデビュー、勢い余って社長と結婚までしてしまいます。日本では「恋人たちのクリスマス」が洋楽史上最高の売上を記録。その後打ち上げロケットの切り離しのごとく、社長との離婚にも成功、アルバムも高評価。そんな絶頂期のマライアさんは遂に自作自演映画「グリッター」に出演するのです。

内容は、自分の80年代から90年代にかけての実体験と願望をスクリーンにぶつけた残念作ね。

本作はコケたと言われていますよね。映画もサントラもコケて、移籍したレコード会社からは「ごめん、クビ」と言い渡され「一瞬で受け取った額としては最高額」に当たる解約金までもらっちゃった(イカれた資本主義システムだわ)。私ね、この作品を劇場で観ちゃったんです。今となっては貴重な体験ですね。始終、歌はいいけど女優としては大根だなと思いつつ観ていたら…何とラストシーンの辺りで劇場からすすり泣きが聞こえて来るじゃないですか…映画の出来がヒドかったから辛くて泣いていたのだろうか。

もう何がヒドいのかというのは色んな人が言っていると思いますが、私は、あの映画は、彼女のコンプレックスと「ディーバかくあるべし」という執念が作品としての完成を邪魔したのではないかと思っています。と同時に、そういう「ディーバの執念」が無いとあんな映画は作れない。

まずね、「ドリームガールズ」のビヨンセと比較したらよく分かりますが、画面に最初に登場した瞬間から、マライアが「マライアだ!」と分かるくらいの華やかな顔で出てきたんですね。本人も何かふわ~っとしたいつもの笑顔で。ごめんよ…初っ端から華がありすぎたら、スターの階段駆け上がる作品ではないわけよ…それは、サスペンスかホラーコメディの展開が無いと厳しいです。これは多分、マライアが自分をどう見せたいのか(逆に言えば当時は素顔を見せることに抵抗があったと思われる)、という意思がありすぎて映画としてのデキを見失ってしまったせいではなかろうか。

あんたッ!そんな甘っちょろい人生じゃなかっただろっ!! 社長との結婚までこぎつけたあの日を忘れたかッ!!!!と言いたいが、浮かれる気持ちも分かるわ~ほおら7オクターブ~ってなるよね。

駄目押しが、キャスト達の地味さ。マライアより容姿がぱっとしない人達をわざと選んだんじゃないだろうか。ストーリーも…ちょっともう思い出せない。かと言って見直す勇気も無い。

彼女はアフリカ系の血とアイルランド系の血を引いた、いわゆるハーフです。若いときはどちらともつかないエキゾチックセクシーで可愛くて、という感じだったのが、離婚した辺りからどんどん白化現象が進行。そして例の映画では遂に金髪に。ちなみに映画では母親を明確にアフリカ系として描いていました。

映画がコケた後、「スルー・ザ・レイン」という「雨に打たれても私は生きて行くのよ」って哀しげなすすり泣きボイスで歌った歌のビデオ見たら、彼女は自分のルーツである「異人種カップル」をまた描いているではないですか。その一方で自分の見た目はどんどんマリリン・モンロー化するという矛盾。人間て面白いよね。

他方で彼女はしばしば「自分をきれいだと思ったことが無い」と語ります。そういう屈折した情念を抱えつつも、何があっても自分の信念を曲げない、彼女は世界対アタシ戦争を生き抜く立派なディーバです。でっかい楽屋や法外な出演料を要求することも彼女にとっては戦い。スキャンダルだってでっかく行きたいよね。社長食ったんだから文句なしだよ。でも、正直2番目の夫が一番彼女のこと愛してたと思うのよね、だから別れたんだという気がする。あの地味で控え目、ホラー映画なら途中で死ぬ役ポジションな彼には、愛を感じる。で次の婚約者からは一方的に破棄されちゃって、そのあとダンサーとしばらく遊ぶ。その様子もちゃんとパパラッチ。一つ一つに手を抜いてはならないの。彼女の場合、肉体の露出に走ったことも容姿のコンプレックスと執念の結果ではないかと思う。

「グリッター」の中で、唯一自然だと思えたのは、歌について、ミュージシャンと議論をしているシーンのみ。そこは彼女の本当の顔が出ていた気がします。私、女優さんというのは、自分の内面や素顔をさらけ出したがっている方が好み。どうやらマライアさんは、自分の内面は見せたくない・見られたくない方なのではないかしら。マドンナさん、椎名林檎さんもそういうところがあり、彼女らの場合は人工的な「自分」をファンの心に映し出すのが上手いので、歌やパフォーマンスに反比例するように、演技とか、とっさのギャグが全く面白くない。

最近のマライアさんは再び恰幅がよくなってきているけど、ハイレグは止めない。何かもう意地なんだと思う。他にも何か映画出てるみたいだけど、皮肉にも「マライアらしさ」を最も表現した映画は「グリッター」だと思う。他のは「演技」してるから、逆に別にマライアじゃなくてもよくねえか、と私は思ってしまい、全く見ていません!  自分が100%やりたいことをすると的外れ、徹底して自分を消すといい評価をもらう、女優としてのマライアさんの不安定感、これからも見逃せません。また自伝か何かをドラマでやるらしいよ。ぎゃー。

今日はパヨクの話じゃなかったけれど、アメリカという、名声と金銭が直結したエンタメ国でバランスを保って生きることの難しさを、7オクターブのラブ・メッセージが教えてくれている気がするの。

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。