おしえてLGBT !!」第4弾は、トランスジェンダーの歴史研究の第一人者で、LGBT ムーブメントのフロントランナーの一人でもある、

三橋順子さんを迎えての歴史講座!

「新宿二丁目ができるまで」

インタビュアー・伏見憲明

 

日本のLGBTの流れは2010年代から始まった?

伏見:僕、ここ10年くらいは半隠居状態で、店が忙しかったりとか、ギョーカイにうんざりしていたとかあって(笑)、表舞台にはあまり出なかったし、さして勉強もしていなかった。だから、たまたま三橋さんのツイッターなど拝見して、そうだ、ここらで少しLGBTの歴史の知識を更新しておこうと思い立ちました。

ところで、最初にお目にかかってから20年くらい経ちますか?

三橋:これが最初にお会いした時の対談が載っている雑誌『imago』(青土社)、広い意味でのマインドサイエンスの総合誌です。もう今はないんですけど。1996年の2月号で、実際の対談は1995年12月でした。

伏見:ひゃー!

三橋:伏見さんもあんまり変わっていないですね。

伏見:いや、健康面は満身創痍ですよ。三橋さんはますますお美しくなられたと思います。

三橋:21年前はお互い幾つだったんだ?ってことを考えると怖いですよね。

伏見:だって(スタッフの褌こうだいに向かって)幾つなの?

こうだい:25です。

客席:(笑)

三橋:「生まれてません」とか言われたら困るなって思たけど、生まれてはいたのね。当時、伏見さんはまだ30代前半ってこと?

伏見:かもしれない。僕もまだお転婆盛りな頃で(汗)。

三橋:いやもう、伏見さんは現役バリバリで、90年代のクィア・スタディーズの、まさに牽引者という感じの時ですね。

伏見:そんなこといってくれるのは三橋さんくらいですよ。今、店に来る若い子なんか、僕が本を書いていることも知らないからね。この前なんて「本出してるんだよね」って言ったら、「ない、ない〜」と笑われて信じてもらえなかった。二年も通っているお客さんなんだけど(笑)。

三橋:私にとっては、この対談がメジャー雑誌——怪しい女装雑誌とかじゃなくて、一応、本屋で売っているような雑誌でのデビューでした。だから本当に伏見さんに世に出していただいて、育てていただいたようなものです。

伏見:そんなことはないけど・・・90年代中頃の僕は、ゲイばかりでなく、いろんなセクシュアリティ/ジェンダーの人たちの共通の土俵を作ろうとしていた「クィア期」でした。いまでいうところの「LGBT 」みたいな。(「金八先生」に登場するFtMのモデルになった)虎井さんの『女から男になったワタシ』の原稿も、僕が青弓社に持っていった。彼は僕に会う前から小説を出したり、FtMの活動をしていたけれどね。

三橋:虎井まさ衛さんってFtMとして日本で一番最初に活動を始めた方です。

伏見:僕が  91 年にゲイとしてカミングアウトをして、色々なメディアに呼ばれたり、講演なんかに行ったりすると、「怪しい人たち」が寄って来るんですよ。最初はゲイとかレズビアンとかバイとか比較的近いところだったんだけど、ある時、会場に虎井さんがいらっしゃって、「こんな人もいるんだー!」と驚いた。あとハッシーさんなんかも当時会っている。

三橋:あぁ、インターセックスの橋本秀雄さんですね。だから順番があって、伏見さんがゲイで一番最初に出て、次に掛札悠子さんがレズビアンで、そのあとトランスで誰かいないかみたいな話になって、FtMで虎井さん、MtFで私。

伏見:そういえば、蔦森樹さんや、麻姑仙女さんっていう方もいたよね。フェニミズム系のMtFで。

三橋:麻姑さんは私の先輩。京都で活動していた方。私、1998年に「『性』を考える-トランスジェンダーの視点から-」という論考(シリーズ 女性と心理 第2巻『セクシュアリティをめぐって』 新水社」)を書くのだけど、麻姑さんが降りた穴埋めだったんですよ。

伏見:あと、嶋田啓子ちゃん。あの人は自分のことをあえて「トランスジェンダーじゃなくて、オーバージェンダー」と僕との対談でいっていて、思えば、今のXジェンダーの走りみたいな感じだったかもね。

三橋:嶋田さんは三和出版の『ニューハーフ倶楽部』って雑誌のグラビアモデルで活躍された方です。そこらへんをみんな伏見さんがまとめられて。

伏見:なんか「ヘンタイ置屋の女将」みたいな(笑)。

三橋:対談集があったじゃないですか。

伏見:『クィア・パラダイス:「性」の迷宮へようこそ』(翔泳社)ですね。それが後にちくま文庫に入って、『変態〈クィア〉入門』(筑摩書房)っていうのになった。

三橋:私は文庫版から追加で入れていただきました。

伏見:「ゲイ中心主義」なんて批判をしてくる向きもあるけど、あの時代、僕以上に他の性的マイノリティのことでも一生懸命やった人はいないと思うんだけどね。デビュー作の次は、バイセクシュアル女性との対談本だったし、レズビアンの媒体を作るお手伝いもしたし、トランスやインターセックスなどの人にもたくさん座敷を用意した。三橋さんのことは、初対談のことはもちろん覚えているんですけど、なんで知り合ったのかを覚えていない。どこで知り合ったんですか?

三橋:今日ここに来る途中、考えていたのですけど、すごく昔の話だからよく覚えてない。作家の松本侑子さんってとても綺麗なお姉さんがいるんですけど、たぶん松本さんの仲介だったように思う。

伏見:三橋さんは松本さんとは知り合いだったの?

三橋:あれ、そう言われると、松本さんとは伏見さんのトークライブで知り合ったのかな? そうすると、伏見さんとどこで知り合ったのだろう?

伏見:路上で出会ったのかも知れないね。

客席:(笑)

三橋:路上で出会っても、お互い声は掛けないと思うけど(笑)。あっ、思い出した! 仲介したのは嶋田啓子ちゃんだ。映画の試写会の会場で「伏見憲明さんて知ってますか」って言われたんだ。それで「その内、紹介します」って話になって。でも、ちょうど、世の中も「クィア」っていうくくりで、いろんな人への需要があったし、伏見さんもそれをドンドン掻きたてていたし、どっちにしても出会っていたでしょう。でも現在の LGBT の活動を担っている人って、90年代のクィア・ムーブメントをほとんど無視するんですよね。まるでなかったことのように扱う。

客席:(えぇぇ)

三橋:日本の LGBT の流れは 2010 年代から始まった、みたいなとんでもない認識。私が今回伏見さんと二人でトークするのは21年ぶりなんだけど、対談の依頼をお引き受けしたのは、そこらへんの違和感がすごくあったから。つまり、伏見憲明が 90 年代にした仕事はもっとちゃんと評価・認識されるべきだっていう思い。

伏見:最近の活動家系で僕の仕事を知っている人なんていないんじゃないかなあー(笑)。

三橋:そういう子たちが生まれてなかったり、まだ幼稚園だったりというのは確かなんですよ。それが時の移ろいというものなんです。でも私は「もうちょっと勉強してよ」って言いたくなる。

伏見:学者にみたいに勉強をする必要はないんだけど、「府中青年の家事件」とか、ああいう歴史も知らないで講演とかメディア露出とかをしているなら、もうちょっと知ってほしいなって感じはある。一応、外に対して恥ずかしくないように。

三橋:無償で活動している方はともかく、お仕事にしようとしている方は、もうちょっと勉強しないとね。

伏見:だけど、かくいう僕も10年くらいほとんど勉強していなくて(汗)、今日は三橋さんに色々教えてもらおうと。

三橋:伏見さんにお目にかかった最後は2004年だったと思うのです。『セクシュアル・サイエンス』という性科学系のインターネットマガジンの座談会。だからもう13年くらい伏見さんにお会いしてませんでした。その間は、伏見さんが小説を書いたりはしながらも、あまりこの界隈に関わらなかった時期ですよね。

伏見:そうです。自分の問題意識があんまり社会的な方に向かなくなったっていうのが1つと、あと本当に疲れちゃったっていうのがあったりもして。

三橋:なんで疲れたんですか? そんなに(笑)。

伏見:うん、「クィア学会の件」みたいな許しがたいことや、あまりに不愉快なことが多かったから。

客席:(笑)

      伏見による企画・編集『クィア・スタディーズ 96,97』(七つ森書館)
        寄稿者に三橋順子、日比野真、上野千鶴子、棚村政行、虎井まさ衛、クレア・マリィほか