ゲイタウンとしての新宿二丁目のはじまり

伏見:僕は最初 91 年に『プライベート・ゲイ・ライフ』(学陽書房)でカミングアウトして、本を出すようになりました。それで自分のいいたいことをいったら、今度は、「自分たちはどこから来たのか?」という問題意識が芽生えて、歴史について調べなきゃって思い立った。その後、取材を始めて、資料をあたったり人を紹介してもらったりだとかするようになった。そんな中で三橋さんと話しをしたのかな。あれ、最初の対談の時はそういう話しはしていないの?

三橋:いえ、私もそこらへん、どうだったかなと思って読み返したんですけど、最初に伏見さんとお会いした時はまったく歴史の話はしてません。伏見さんが「ゲイの考古学」の連載を始めたのはいつですか?

伏見:96年とかかな?

三橋:もうちょっとあとじゃない? そんなことない?

伏見:僕がゲイの歴史を調べ始めたのは 92 年なんですよ。『プライベート・ゲイ・ライフ』の後、学陽書房で今度はルポルタージュを出すってことになって、印税を前借りして取材を開始した。でもこれが難航した挙句、学陽での単行本化は挫折して、数年後「バディ」へ持っていって「ゲイの考古学」というタイトルの連載になった。それも単著としてはまとめられず、2002年に出した『ゲイという〔経験〕』(ポット出版)の一章として収録してしまった。

三橋:『ゲイという〔経験〕』で読んだから、私はけっこうあとのような気がしたんだけど、そうだったんだ。私が本気でトランスジェンダーの歴史を調べようと思ったのが、98、99年なんです。

伏見:あ、そうなんだ。じゃあ、最初の対談の時には関心がなかったんですか。

三橋:わざと封印していたの。私はもともと歴史を勉強した人だから、トランスジェンダーの歴史に興味がなかったわけじゃないんだけど。封印を解いたのは、色々な理由があるんだけど、一番大きいのは、医学カテゴリーである「性同一性障害」が流行し始めて、伝統的な女装世界が衰退して消えつつある危機感を抱いたから。こういう世界がなくなっちゃう前にできるだけちゃんと記録しておこうと思った。

伏見:三橋さんには繁華街にあった女装コミュニティへの愛があるんですよね。

三橋:うん、自分を受け入れて育ててくれた世界だから、愛着は強い。それと、この10年くらいやってる仕事は、伏見さんの「ゲイの考古学」からすごく影響を受けているんですよ。マニアックな人名なんで、みなさん聞いたこともないと思うんですけど、1950年代、60年代に活躍したゲイライターといったらいいのかな、鹿火屋(かびや)一彦っていう人がいるんです。

伏見:はいはい。

三橋:その鹿火屋一彦さんのことを伏見さんは追跡して、住んでいたところまで突き止めたんですよね。

伏見:そうそう。まだ僕も元気だったので、足で探しました(笑)。ゲイライターとして自分みたいな仕事をしていた人が何十年も前にいたことに興味を持った。

三橋:それで、私は今、鹿火屋のことを調べているんですよ。

伏見:あぁ、そうなんですか。

三橋:それと、もっとメジャーな話だと、新宿 2丁目というゲイタウンがどうやってできたか、ということ。この街がいつどういう風にできていったかを、ちゃんと調べて書いた方って伏見さんが最初なんですよ。

伏見:アハ、僕も昔はけっこういい仕事をしていたんですね。

客席:(笑)

三橋:で、いまだにそこらへん、誰も超えていない。

伏見:今回、三橋さんに会うので、ゲイの歴史の勉強をし直そうと思って、砂川秀樹さんの博士論文をまとめた『新宿二丁目の文化人類学』(太郎次郎エディタス)とかを読んだんだけど・・・

三橋:私もそこらへんを期待して砂川さんの本を読んだら、ゲイタウンの歴史のところはほとんど伏見さんの引用なんですよ。だから、現在の私の関心っていうのは、伏見さんが調べたことを、もう一度ちゃんと調べ直してみたいっていうことなんです。

2015年に出した『性欲の研究・東京のエロ地理編』(井上章一・三橋順子編、平凡社)にも新宿のことをかなり取り上げました。私は新宿ゴールデン街の成り立ちについてのかなり長い論文を書いたし、社会学者の古川誠さんも、この店(アデイ)のすぐ後ろの太宗寺界隈の戦前の歴史を書いています。そこらへんから、二丁目ゲイタウンがどうやってできてくるかっていうテーマにつながっていくのです。

伏見:自分がそういう問題に関心を失ってしまった後、研究がどう進んだかっていう点に、僕は興味がある。三橋さんは他にも『女装と日本人』(講談社新書)っていう大変素晴らしい本も出版されています。以前、書評を書かせていただきました(アデイonline に再録)。

三橋:ありがとうございました。あの書評はとてもうれしかったです。『女装と日本人』は2008年の出版ですけど、お陰様で7年で1万4千部売り切って、2015年に2刷がでました。

伏見:名著なのでもっともっと読まれてほしいし、これを読まずして「LGBT 研修」とかしてほしくないのよね(笑)。この本、タイトルは「女装」なんだけど、昔はゲイの問題も女装もトランスも未分化だったからゲイの歴史でもある。

三橋:そうなんです。これを書いた時は一応「女装」で書いたんですけど、結局 1950 年代以前は未分化なんですね。分かりやすくいうと、美輪明宏さんはご自分のことをゲイっておっしゃるけど、美輪さんがいっているゲイって 50年代、せいぜい 60年代までのゲイなんですよ。21 世紀に二丁目でいっているゲイとは範囲っていうか、意味がかなり違う。そんなことも、今はどんどん分からなくなってきているんで、書いていかないと。

伏見:美輪明宏についての論文も含め(『美輪明宏という生き方』青弓社)、三橋さんのお仕事を今回拝見して、改めて凄いなあと感心しました。そしてつくづく僕ってやっぱり研究者じゃないよなあ、って思ったのね。ものを調べたり、集めたり、整理したりとか、本当に興味がないっていうか。

三橋:でも、すごく追跡するじゃないですか。

伏見:それは・・・ちょっとストーカー気質があるからじゃないですか(笑)。

客席:(笑)

三橋:あの鹿火屋一彦の古いアパートをつきとめていくところなんて、とても探偵っぽいですよね。

伏見:「ゲイの考古学」の重要な情報源の一つは、イプセンのマスターなんですよ。イプセンっていうのは二丁目で最初にできたバー。二丁目っていうか要通り、今の三丁目なんですけど、このゲイタウンが形成される最初のきっかけになった店。

三橋:末廣亭の裏側というか、明治通りの一本東側の道ですね。今はパチンコ屋になっているあたりだと思います。当時の文献には「ゲイ喫茶」って出てきますね。

伏見:マスターによると、彼はコーヒーが好きで、最初はふつうの喫茶店をやりたかった。ところが、始めてみたら、(三島由紀夫や江戸川乱歩など含め)結局ゲイばっかりが来るようになっちゃって、それでゲイバーっていうことになった。

三橋:お酒はあとからだったの?

伏見:一緒に出していたかもしれないけど・・・それは経営者の定義、意識の問題かも? それで昭和28年に『内外タイムス』っていう夕刊紙にイプセンを「男色酒場」として報道する記事(左下画像)が出たら、ものすごい反響で、その記事によってゲイの人たちがわんさか来るようになった。イプセンが繁盛したことで、違うところでやっていた蘭屋とか、シレとか、別のバーが要通りに参入するようになった。

三橋:『内外タイムス』という新聞は、サラリーマンが仕事帰りに買って読むタブロイド判の夕刊紙です。一面は政治記事なんだけど、二面あたりから記事内容がどんどん怪しくなっていくんですよね。蘭屋っていうのはもともと銀座方面にあったのが、なぜか新宿に来たのか、よくわからなかったのですが・・・。

伏見:それはね、この記事が発端だったようです。

三橋:なるほど、時期的にそうですね。

伏見:もともとイプセンのマスターと蘭屋とかシレのマスターも知り合いだったみたいで、そういう関係もあって、みんな集まってきた。それで、三島由紀夫が名前をつけたラ・カーブとかも出店していく。

三橋:蘭屋も最初は御苑の近くの千鳥街に移転してきて、じきに要通りに移っているからここ(現在のゲイタウン)じゃないのです。最初は、今二丁目のゲイタウンっていっているエリアの周辺にポツポツとゲイ系のお店ができるんです。

伏見:それで、まぁ昭和 33 年(1958)に、売春防止法が施行になって娼家の灯火が消えて、そこにゲイバーが進出していったわけですね。