ヒルシュフェルトも訪れた浅草のひょうたん池

伏見:現在、LGBTや性を語る時に、性自認とジェンダーと生物学的性と性的指向と、それぞれのパラメーターの組み合わせで性は成立しています、っていう説明をすることが少なくないわけですが、あれ、僕の発案したものなんですね。あの理論というか見せ方というか整理方法って、いまや孫引きひ孫引きになっているからみんな伏見の発明だって知らないんだけど(笑)、どっかの学者や外国の偉い人が考えたわけじゃなくて、『プライベート・ゲイ・ライフ』あるいは『〈性〉のミステリー』(講談社現代新書)からなのね。

三橋:そう、性の4要素論って伏見さんがオリジナルです。

伏見:デビュー作を書いている時に、どういうふうに同性愛を説明したらいいのか模索していたんだけど、小倉千加子さんの著作『セックス神話解体新書』にあった概念にヒントを得て、性のそれぞれの側面をパラメーターとして組み合わせたらうまく説明できる!と思いついた。以来、学者から LGBT 研修の講師までみんなが油断して使っているけど、実は、伏見が執筆しながら考えたテキトーなもの(笑)。

それはさておき、言葉が整理されたり、概念化されることと、実態はまた別のことですよね。ちょっと抽象的なところで聞きたいんですが、セクシュアリティ研究って、ミッシェル・フーコー以降は社会構築主義が主流で、明治以降に「同性愛」「同性愛者」といった概念が入ってきて、「同性愛者」「ゲイ」という主体が成立した云々・・・みたいな議論になっているわけじゃないですか。でも、本当のところ、近代と前近代っていうのがどれだけ違うのかっていう、僕はそこにずっとこだわりを持っているんですよ。確かに、前近代は言葉や概念は整理されていないし、男色のコードに規制もされているんだけど、実態としてそんなに違ったのか、と。だって、戦後でも、まだ男色コードで男同士の性愛が語られていたけれど、実質、実態は今と変わらないでしょ。

「男色」から「同性愛」へ認識が移り変わったのは、明治以降、「変態性欲論」という性科学が入って来たからですよね。

三橋:明治末期から大正期ですね。

伏見:ちょうどそれらの本が出版されていく時期に生まれ育った人の話しでね、戦前、昭和初期も、彼の出身である広島県呉市の公園はハッテン場になっていた。もともとあそこは軍港だから、けっこうハイカラな地域だったと思うんだけど、そんな田舎、そんな時代でもけっこう男同士の行為は盛んだった。ちょっと前に話題になった映画『この世界の片隅に』とまさに同時代の話しで、あのアニメでは牧歌的な町に描かれていましたが、アンダーグラウンドではホモのハッテン公園もあった。それで、僕はそのおじいさんに「当時そこでハッテンしていた人たちは今のホモとどう違うんですか?」って聞いた。そうすると、その人はちょっとバカにしたようにね、「あんた、なに素人みたいなこといってるの。今と全然変わんないよ」って一笑に付された。当時ですら(変態性欲論が浸透する前の世代の)老人もいたし、オヤジ好きの若い人もいたし、マッチョ好きもいたし・・・戦後と何も変わりませんよ、っていわれた時に、果たして言説は実態をどれだけ反映しているのか、反映していないのか、っていうのが僕の問題意識なのね。

三橋:私も、近代におけるセクシュアリティの枠組みの変化みたいなことを自分なりに考えて、断片的には書いているんですけど、なかなか難しいです。大人の男性同士のセクシュアリティは「個人の欲望としてはあっただろうが」、「社会的な枠組みとしてはない」っていうことになります。「男性同性愛」という名前がつくのが大正期で、それ以前は、大人の男性同士の性的関係は、名前がついていないんです。で、昭和6年(1931)にドイツのユダヤ系の性科学者のヒルシュフェルト博士(左画像)が日本に来るんですが・・・。

伏見:彼は戦前のドイツの同性愛解放運動の中心的な人物で、カムアウトはしてなかったけど、明らかにゲイだよね。

三橋:明らかにゲイ。ヒルシュフェルト先生が(あくまで研究のために)日本のそういう人たちに会いたいって希望するので、受け入れ側の人が色々調べて連れていったのが、今は埋め立てられちゃった浅草のひょうたん池(現在の浅草ロック座の東側)。瓢箪のくびれのところに橋がかかっていて、その橋のたもとのベンチに、そういう人たちが集まってくるわけです。今でいうハッテン場ですね。結局、その日は雨降りで、お目当ての人たちは現れなかったという話なんだけど、戦前にも確かに大人の男性同士のハッテン場があったのです。

↑ ひょうたん池の畔のベンチ(大正期)。昼は市民の憩いの場、夜はハッテン場。
↑ 大正10年(1921)の浅草公園。ひょうたん池の東畔(赤丸印)出会い、東(右)側の繁みへ。

伏見:三島由紀夫も『禁色』で書いていたけど、戦後ばかりでなく戦前も日比谷公園のあたりがものすごく盛んで、なんとなく邪の道は蛇で、そういう場所に集まっていた。永井荷風も戦前のハッテン場のことを記している。そういう実態がどこまで遡れるのか。

三橋:それが問題なんですよ。

伏見:文字情報として、大正期には蔭間の売春がどうしたとか、そういうのは残っているんだけど、男性ジェンダー同士の欲望に関しては記述がほとんどない。だけど、今の僕みたいな「同性愛」の欲望を持ってる人がいなかったとは、到底思えない。欲望はある程度は抑制されていたはずですが、男の性欲の量を考えると、絶対にどこかに表出したはずで、それはそれなりの規模だったと想像するんです。女色は通史的に存在するのが大前提で語られるわけですが、男色は風俗的な現れとしてしか記述されないことに、それは違うんじゃないかっていう直感がある。だって「同性愛」には生物学的基盤だってあるかもしれず。そうすると、文字に残された言説の中で見えてくる「男色の歴史」とは違う、名前の付いていない欲望を想定していないとマズイんじゃないか、って思うわけ。

三橋:私は「『台記』に見る藤原頼長のセクシュアリティの再検討」(倉本一宏編『日記・古記録の世界』思文閣出版)という論文を書いているのですけど、頼長って完全に成人男性同士の関係なんです。左大臣にまで昇った最高クラスの貴族なのに、身分の低い武士や護衛役の男に犯されて喜んでる。

伏見:あの方は、チャタレーだよね、ある意味(笑)。

三橋:日本の伝統的な男色の形だと、必ず成人男性が少年を犯す、あるいは年長の少年が年少の者を犯すって形で、年齢階梯制がすごくシビアに機能しているはずなのに、頼長はそれがまったくぐちゃぐちゃなんです。頼長は明らかに「社会システム」にない「個人的な欲望」を発揮しちゃっているわけです。でも、それは頼長が最高権力者だからやれたことだと思うですね。そうじゃない普通の人がそれをやれるかといえば、難しかったんじゃないかな。

伏見:規制はかかっていたと思いますが、でも、自分たちの過去を考えても、そうはいってもエロってやっぱり溢れ出ていくわけから、アンダーグラウンドなところには何か「場」があったんじゃないか、って僕は想像する。だって、情報もなく、規制の厳しい第二次世界大戦中、あるいは戦前だってハッテン場はあったんだから。

三橋:それは、ないわけはないと思います。

伏見:僕、『男色大鏡』を分析したことがあったんだけど、『男色大鏡』もほとんどが年長者と年少者の一過性の恋。

三橋:年齢階梯制がしっかり機能しているんです。

伏見:ところが一つ違うエピソードがあるんですよ。とも白髪で二人老いていくって話があった。そうすると年長者と若衆って関係じゃない物語もあった。だから、男同士の関係だけがある時代にいろんな形式で存在するというよりは、欲望としてはずーっとあるんだけど、それを定式化する言説や文化に合わせられたものだけが見えてるんじゃないか、って思うんだよね。

三橋:だから、社会のシステムと個人の欲望の表出は別だってことです。

伏見:なるほどね。それじゃあ僕の考えとそんなに変わらない。ただ、言説化されていない性を「個人的な欲望」と表するのがちょっと自分的には。「個人的」とするにはもっと欲求の総量が大きいと思うのね。

三橋:それはだって、どれほど禁じようが世界各地にゲイは必ずいるわけで。フレデリック・マルテルっていうフランスのジャーナリストが書いた『現地リポート世界LGBT事情』(岩波書店)っていう本があります。『週刊読書人』に書評を書いたのですけど、彼は世界53カ国を調査しているんですね。日本語で読める本で、世界のゲイを一番調査しているのはマルテルの本と、サムソン高橋さんの『世界一周ホモの旅』(ぶんか社)なんですよ。

客席:(笑)

伏見:なるほど!!

三橋:しかも、調査対象がきれいに上半身と下半身に分かれている。マルテルは一切下半身事情は書かないでゲイ解放運動のことしか書いてない。一方、サムソンさんは、ゲイ解放運動には一切関心なく下半身事情ばかり書いていて実に対照的。両方読めば、世界のゲイ事情はかなりわかると『読書人』の書評に書きたかったのだけど、書評で他の人の本を紹介するのはちょっとマズイかなって思ってやめました。それで、私がサムソンさんの『世界一周ホモの旅』を読んで一番驚いたのは、ゲイは世界中どこにいっても同じことをしている。あれって、文化伝搬論じゃ説明できないんですよ。

伏見:そう、わかる。90年代の社会構築論以降、本質主義っていうのが親の仇みたいな扱いをうけているけど、僕には本質主義ってバカにならない感じがある。たとえばね、日本のゲイも(女装の方はよく知らないけども)古くから歌舞伎が好きとか、華美なものに憧れるとかいった文化を形成していた。それに対して、ヨーロッパやアメリカのゲイはオペラやミュージカルじゃないですか。マイノリティだから現実逃避で夢見がちな嗜好が形成された、という議論があったとしても、同じ被差別者でも部落とか障害者の男性にも華美な文化への嗜好が顕著に見られる、とか聞いたことがないし・・・。そういう共通性って、本質論に関わってくるような。

三橋:弥生時代の遺跡から出た女装のシャーマンと思われる人骨も、他の女性のシャーマンよりもキラキラなんです。装身具が一番多いんです。偉いシャーマンほど装飾過剰、キラキラって、世界のあちこちに見られるわけで、はたして文化伝搬論で説明できるのか? 人類の歴史のかなり早い段階で成立した極めてベーシックな文化で、だから普遍的だと考えた方がいいと思うんですよ。

伏見:その弥生時代の遺骨の話を三橋さんのご著書で初めて知って、本当に驚いたっていうか面白かったんだけど、トランスはホモの歴史より古く辿れるかもしれませんね。見た目に現われるから。とくに女装は物証が残る(笑)。

三橋:私が国際学会などで「2000年の歴史を誇る日本の女装文化」っていうのは、決してデタラメじゃないんですよ! ここ何百年の話じゃ絶対にないわけ。それに、世界のまったく離れたところに似たような事例がある。たとえば、女装の人が結婚式に関わるのは、私が知っているだけでインドとインドネシアとメキシコにある。インドとインドネシアはね、ヒンドゥー教の流れで文化が伝わったのかなって思うけど、メキシコはどうにも説明がつかないでしょ。あの広い太平洋を渡っていったって考えるのは無理。だからやっぱり単純な文化伝搬論ではいえないですよね。

 

神に近いダブルジェンダー

伏見:もう1つお聞きしたいんですけど、日本文化の双性原理っていうのを三橋さんは唱えているわけですが。

三橋:双性原理っていうのはですね、いわゆるダブルジェンダーの人が、一番偉い、神に近いという原理です。ものすごく手前味噌な理屈なんです。

客席:(笑)

三橋:双性とは男であり、女である状態。ジェンダーがダブっている状態、それは普通の人とは違うわけで、普通と違う人(異人)には普通の人と違う能力(異能)があるっていう考え方、だから神様とコンタクトできる。神様とコンタクトができる人、つまりシャーマンには 2パターンあって、男でもあり女でもあるパターンと、人であり動物でもあるってパターン。どっちも普通じゃない。

伏見:ほう!

三橋:だから、鹿の角とか鳥の羽根をつけているシャーマンは動物系のシャーマン。動物とダブっているわけ。男だか女だかわからない、あるいは両方みたいな格好、さっき言ったやたらと装飾過剰でキラキラ女装している弥生時代のシャーマンみたいな人は、ダブルジェンダー系のシャーマン。そういう人が神様とコンタクトできる。じゃあ神様とコンタクトをしたかったらどうしたらいいか? と、逆に考えると、ダブルジェンダーになればいいわけです。男性が女装する、女性が男装すればダブルジェンダーなれる。現代では男性が女装することは女に近づくこと、女性が男装することは男に近づくって水平移動的に考えるけど、そうじゃなくて、斜め上の双性(ダブルジェンダー)に近づくんですね。ダブルジェンダーって明らかに変なんだけど、現代の日本でもなぜか割とありがたがられる。

伏見:そうですよね。このアデイonline での大塚ひかりさんの連載「変態の日本史」でも、そういったエピソードがまま見られます。

三橋:セーラー服おじさんってご存知ですか? 白髪・白鬚のはっきりいって小汚いおじさんがセーラー服を着ている。

客席:(笑)

三橋:見かけは明らかに変な人です。内面はまともな人なんですけどね。ところが今の若い人たちはセーラー服おじさんとツーショットを撮ってそれを待ち受け画面とかスマホに入れておくと幸せになれるっていうんですよ。それってどういう信仰なの?(笑)

伏見:近代以前の双性的なものとかダブルジェンダー的なものって、職能としても与えられていていたし、ある程度は社会的な評価もあったって、肯定的な面が強調されるわけですが、僕は二面性があって、そこは多分芸能とか宗教でもみんなそうだと思うんだけど、さっき斜め上って仰ったけど・・・

三橋:さっきは斜め上に行く話をしたけど斜め下にも行く。

伏見:そうそう。斜め下と斜め上が、同時にあるってことですよね。

三橋:私がずっと親しくしている石川武志さんというヒジュラを撮って35年という写真家の方に教わったんだけど、インドのヒジュラって普段は石を投げられるような差別されている人なわけです。ところがシヴァの神の祭りの日だけは、神の分身になる。シヴァの神は両性具有でヒジュラも両性具有って主張しているので、祭りの日だけ聖なる存在になっちゃう。写真を見せていただいて本当に驚いたんですけど、決してキレイじゃない、ちょっとなぁっていう感じのヒジュラなんだけど、インドの信心深い女性たちが五体投地、つまり、地面に腹ばってヒジュラの足に触れようとしている。五体投地して足に触れるのは最高の敬意を示しているわけで、ヒジュラの聖なるもの(聖性)が足に触れることでその人に移るわけです。更に驚くべきことに、五体投地している女性の足に触れようとしている人たちがいるの。つまり、ヒジュラから電流みたいに聖性が次々に伝わっていく感覚。ところが祭りが終わると、またヒジュラは侮蔑され差別される対象に戻っちゃう。だから斜め上の神に近い方にいくけど、極めて容易にぱたっと逆に、斜め下の卑しい存在になっちゃう。

伏見:それは、たとえば日本の花魁とか吉原とかの女性たちもそうじゃないですか。蔑まれてもいるけども、聖なるものとして崇められもする。

三橋:そうです。聖俗の二面性があって、それがけっこうコロコロ変わるのは、前近代の1つの特徴で、それがコロコロ変わらないように卑しい方に固定しちゃったのが近代だと思うんです。

伏見:マツコを始めとしたオネエタレントっていうのもある種、僕は聖俗のありようだと思うんですよ。すごく持ち上げられているけど、心の中でバカにもされていて。まあ、オネエだけじゃなくて、芸能人そのものがそのような対象に見えますが。

三橋:バカにもしているけど、御宣託をありがたがる。『月刊サイゾー』(2016年11月号)のインタビューでしゃべったんだけど、マツコさんは典型的にそのパターン。もうひとつ日本の場合、神様が異形なんです。たとえば、秋田のナマハゲとか、あれも古い神様の形。それから猿田彦の神様って鼻が高くて顔が赤くて、背がやたら高くて、早い話、天狗さんですね。あれも異形です。だから神は異形であるっていうことと、ダブルジェンダーは神性を帯びるっていうことが掛け合わさると、最強なんですよ。

伏見:まさにマツコ!

(右画像・伏見憲明編『QUEER JAPAN vol3ーー 魅惑のブス』勁草書房。表紙を飾りマツコの一般誌デビューとなった)

三橋:ミッツさんとマツコさんの違いはね、マツコさんの方が異形性が高いんです。だから、マツコさんが普通の体重だったら、今のようなポジションにはいないと思う。

伏見:あと、マツコは体型が土偶っぽいじゃないですか。ユングじゃないが、日本人の心の中にある原型? ああいう形象にも意味があるのでは。

三橋:土偶も変ですよね。あれは宇宙人だとかいう人もおるくらいで、人間の形態としては明らかに変んでしょ。ああいうのが日本では神様なんですよ。

それから『女装と日本人』の時はまだそこまで気づいていなくて、去年あたりから大学の講義などで話すようになって、けっこう受講生が納得してくれるんだけど、なんでキリスト教圏ではトランスジェンダーみたいな人が徹底的に抹殺されていったのかという理由。ヨーロッパって伝統的なトランスジェンダーの習俗がほとんど全く残っていないんです。全部、中世以降、魔女狩りなんかで潰されてしまった。これって、考えてみると当たり前で、女装・男装して神に近づくって、一神教の世界ではとんでもないこと。キリスト教やイスラム教みたいな一神教世界では、神に近づくものは、唯一神の絶対性を侵しかねないわけで、徹底的に潰されます。それに対し、日本は「八百万(やおよろず)の神」の多神教世界。800万もいる神様にセーラー服おじさんが加わったって、なんの関係もないわけ。800万1になるだけ。だから許される、潰されない。アジアでトランスジェンダー・カルチャーが色濃く残っているのはインドとタイと日本だけど、ヒンドゥー教徒、仏教、神道で全部、多神教世界なんです。(そこらへんの話、インターネットマガジン「現代ビジネス」(講談社)掲載のコラム「マツコ・デラックスを現代の『最強神』と呼ぶべき、深淵なる理由 祭礼と女装の歴史にみる『双性原理』」に書きました。)

伏見:いやあ、今日は本当に面白いお話しを聞かせていただいて感謝です。勉強になりました。三橋さんのご研究がこれからさらに発展していくことを期待しております! (了)

A Day In The Life にて (2017.2.4)

 

【三橋順子プロフィール】

1955年、埼玉県秩父市生まれ。
ジェンダー&セクシュアリティの歴史学研究、とりわけ、性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史。及び、買売春(主に「赤線」)の歴史。
1995年頃から男性から女性への性別越境者の立場で講演・執筆活動を始め、2000年に中央大学文学部の講師(現代社会研究)に任用され、日本で最初のトランスジェンダーの大学教員となった。2005年にはお茶の水女子大学非常勤講師として専論講座としては日本初となる「トランスジェンダー論」の講義を担当した。現在は、明治大学、都留文科大学、関東学院大学、早稲田大学、群馬大学(医学部)非常勤講師。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、共編著に『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)、『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社 2015年)。主な論文に「性と愛のはざま-近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店、2013年)、「歴史の中の多様な『性』」(『アステイオン』83号 CCCメディアハウス 2015年)、「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」(『ジェンダー研究 /教育の深化のためにー早稲田からの発信―』彩流社、2016年)、「性別越境・同性間性愛文化の普遍性」(『精神科治療学』31巻8号 星和書店 2016年)など。

「私の軌跡 -順子のできるまで-」

→ 詳しい研究業績  

*三橋順子さんから、旧新宿の赤線・青線に関する地図、終戦直後の新橋の地図、ひょうたん池の地図・写真、双性原理の図版、近影写真をご提供いただきました。心より御礼申し上げます。