サムソン高橋の不定期連載「忘れた頃に入稿します!」その1

「保毛尾田保毛男のおかげでした

 これが読まれているころには鎮火して忘れられているのだろうか、ますますこじれているのだろうか。先日の話である。

 フジテレビ、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が、前身の『みなさんのおかげです』から30周年ということで、スペシャル番組を放送した。その中で懐かしのキャラクターとして石橋貴明がホモをデフォルメした『保毛尾田保毛男』に扮し、これが見事に炎上したのである。

 私はこの事件でふたつのことに驚いた。

 ひとつは、「番組側はこれが非難されることに気付かなかったのか?」という驚きである。

 ご存知の通り、ここ数年のフジテレビは、なにかの悪霊に憑りつかれているとしか思えないほどにやらかし続けている。

 ある件に関しては言いがかりにもほどがあるなと不憫に思い、ある件に関しては自業自得だなと情けなく思い、印象は様々ながらも、炎上や不祥事が悪い魔法のように数珠つなぎに重なり、80年代半ばから2000年代初めまでテレビ界のトップに君臨し続けたこの局の印象は、地に堕ちてしまった。

 そんなフジテレビが、どうしてまたしてもやらかしてしまったのか。

 職場やバイト先で、叱られすぎてどうしていいかわからなくなってしまった人というのをたまに見る。今のフジテレビはこの状態である。

 「萎縮しすぎて面白くない」こういう意見も多々聞かれるのが今のフジテレビだ。

 ちょうどバブル期に始まった『みなさんのおかげです』は、フジテレビの黄金期を代表する番組だった。

 保毛尾田保毛男(変換めんどくせえよ)がまったく非難されないなんてことは、さすがに番組側も思ってはなかっただろう。

 一番元気が良かった時代のフジテレビを知るスタッフが「ちょっとぐらい炎上してもいいから、やっちまおうぜ! 今のフジテレビに欠けているのは、この勢いだ!」なんて感じで、やっちまったのかもしれない。

 そうだとしたら、あまりにも古くて、あまりにも愚かで、あまりにも惨めな話だ。

 この件について私がもうひとつ驚いたのは、「これで傷ついた人がそんなにたくさんいたんだ!」ということである。

 正直に書くが、当時私は、保毛尾田保毛男のコントをまったく何のためらいもなく、普通に笑って鑑賞していた。

 「ホモというのはあくまで噂であって……」のくだりとか最高だったし、マリモを愛でているという設定なんかはたまらなかったし、保毛尾田保毛男の姉(市役所勤務)が岸田今日子なんていうキャスティングなどは、実に完璧だと思っていた。スピンオフの『保毛太郎侍』で、敵役に「オカマ!」と罵られ、「ホモは『オカマ』と言われるのを何より許さない!」と見事な太刀さばきをするのも面白かった。うん。ひどい番組である。

 逆に、なんで私はこのようなデリカシー・ゼロのコントをまったく傷つかずに面白がっていたのか。

 当時の私は20歳前後。都会の大学に入り、憧れのホモライフに突入したばかりだった。

 田舎にいた頃から私は自分のことをゆるぎないホモだと自覚していた。しかし、鳥取ではどうしようもなかった。自分はまぎれもなく男が好きだが、ホモのサンプルは極めて少ない。参考にできるのは、『ベニスに死す』といった映画とか、『禁色』といった小説とか、『風と木の詩』といった漫画くらいなものだ。

 結果、「ホモというのは美少年が至上なのだ」と鳥取の私は理解した。

 私自身は、デブの親父が好みだった。そんなホモなど世界に一人しか存在しないのではないかと思った。

 そして私は、「とすると、世の中のデブや親父のホモは、全員私がお相手しなきゃいけないわけ!?」と解釈したのだった。ポジティヴ・シンキングにもほどがある。

 保毛尾田保毛男をテレビで見たのは、「都会に出たら、デブ親父のホモにモッテモテの人生が待っている!」と確信したバラ色の未来予想図が木っ端微塵に砕け散ったホモの荒野で、私が傷だらけで右往左往していた頃だった。

 私はモテなかった。フケ専やデブ専の意外な人気とライバルの多さも予想していなかった。

 当時の私のゲイライフとは、こういったものだった。

 ホームレスが徘徊し、小便とアルコールの臭いが漂う街、大阪・新世界。その映画館はそこの地下にある。地上よりもさらにアンモニア濃度の高い館内では、平均年齢50代後半の親父たちが魑魅魍魎にうごめいている。女装の姿も多い。それはドラァグ・クイーンというものではなく、内藤陳がチャイナドレスを着たような感じだ。一人、芦屋雁之助そっくりのイケメン(俺にとって)がいたので後をつけてみるが、雁之助はチャイナドレス姿の内藤珍を狙っていて、私には目もくれない。このハッテン場の食物連鎖では、20歳の私がミドリムシレベルの最下位なのだ。ここにチャイナドレスがあったなら、俺も女装するのに……。後ろの席で太めの親父がペニスを出して見せびらかすようにしごいていたので隣に座り手を出そうとすると、彼はフケ専だったのか、ぼんのくぼに思いっきりケリを入れられた。

 こんな日々で、保毛尾田保毛男に傷ついている余裕は1ミクロンもなかったのである。現実のホモ世界で、もう十分に傷まみれだったのだから。

 先日、実際に「保毛尾田保毛男はしんどかったし、傷つきましたよ」という人とお会いした。彼は42歳だった。当時は13歳くらいだろうか。

 ここで私はやっと気付いた。

 第二次性徴を迎えて、「ひょっとしたら自分は男が好きなのかもしれない、『ホモ』ってやつなのかもしれない」と気付き始めたばかりの男の子に、そりゃ保毛尾田保毛男の存在はしんどかっただろう。ひとりぼっちの自分に唯一ひもづけできる仲間が、「気持ち悪い」と指さされ笑われ者にされるのが当たり前の存在。確かにこれは、絶望しかない。自己を肯定するすべがない。

 その点、すでに私の周りには、チャイナドレスを着た内藤陳や、女装好きの芦屋雁之助や、ペニス丸出しのバイオレンス親父などがいたのだ。心強いではないか。

 ところで、もし私が何も情報もない第二次性徴期真っただ中なら、やはり保毛尾田保毛男に傷つき、絶望していたのだろうか。

 おそらくそれはない。「これがホモのスタンダードなら、比較級で俺は絶対にモテるはず!」と、持ち前のポジティヴ・シンキングで逆に勇気づけられていただろう。

 私はゲイライターとしては、何の疑いもなく弱者側のつもりで発信してきたつもりだ。不細工で、モテなく、無職で、貧乏だからだ。社会の底辺という立場から、恵まれた者たちに好き勝手な恨みつらみを言ってきたのかもしれない。しかし私は、一番基本的な点については強者だったのだ。

 それは、男が好きな男である自分を恥じたり疑問に思ったことが一度もないということだ。ゲイであることで悩んだことは何度もあるが、それは「モテない」という一点にのみ集約される。

 保毛尾田保毛男の騒動で初めて気づいたのだが、実は自分は強者であり、弱者に対する想像力が欠けていたのだ。

 最後に、きわめて個人的に思うところを書くと、あの保毛尾田保毛男というキャラクターが消え去ってしまうのは、多少さみしい気がしないでもない。

 私はあのキャラクターを、(特に姉の岸田今日子と一緒のときは)愛らしい社会の弱者としてとらえていて、それはわりとチャーミングで身近だったのだ。小さい頃のイメージ上の美少年ホモや、最近のイカニモゲイよりは、ずっと。

 

サムソン高橋 / 鳥取出身。ゲイ雑誌「サムソン」の編集部を経て、現在、フリーランスのゲイライター。

無職・モテないなどゲイ・カーストの最下層から発言していると本人は主張しているが、実はビジネス・貧乏ではないかという疑惑も持たれている。実際、英語が堪能なインテリで、都内に不動産まで所有している(笑)。常連にしているゲイバーは(アデイではなく)オカマルト。

漫画家・熊田プウ助氏との共著で、『世界一周ホモのたび』シリーズ(ぶんか社)などの作品がある。