南定四郎という巨人 5

「名前のないクローゼット」

その情感が何を欲しているのか、その欲求が何ものなのか……は、とりあえずそれらに名前がないと認識し難い。あるいは、持て余す「それ」と、与えられたカテゴリーをうまく結びつけることができないと、自分の求めるところを十全には生きにくい。同性愛者あるいはLGBTの歩みというのは、ある意味、「それ」に名前を見出す道のりだったとも言える。そして、今や、多様なセクシュアリティ / ジェンダーはカテゴリーからも解かれ、自分自身の名前とイコールで結ばれる方向に差し向けられている……。

南定四郎氏が青春を歩んだ1950,60年代には、マイナスに意味付けられた同性愛カテゴリーと自分をリンクさせるのは当然、敷居が高かったし、そのなかで関係や行為を交わすのは暗中模索としか言いようがないことだっただろう。後付けでそれらを整理するのは容易にすぎないが、そして、多様な性がすでに社会問題や差別問題にエントリーしている時代に育った人たちには想像し得ないだろうが、言葉もロジックも手の届くところになかった世代とって、語り得ぬことに沈黙するのも、そこにある言葉に身をゆだねることも、受け入れがたい不遇であったはずだ。

「ホモ」たちは互いを恐れていた

伏見 昔、少なくとも90年代以前は、ゲイ同士で知り合っても、本名とかは言わないですよね。南さんが東京に来た1950年代や60年代なんてほぼ本名を教え合うことはなかったですよね。

南 そう、○○ちゃんとか、あだ名で呼び合ってました。セックスしても、朝別れて、次に約束しなきゃそれっきりなんですよ。それでバーでまた顔合わせても、向こうももう1回やろうなんていう気にならないから、あんまり近寄ってこないしね。お友達みたいにしてつきあう人は、セックスがない人だね。

伏見 ああー。じゃあ「恋人」と呼び合うカップルは、5,60年代はいなかったんですか。

南 「恋人」っていうのはいないんじゃないかしら。そういうのは見たことないですよ。

伏見 それは、男同士だったら1回だけ、という不文律があったということですか。

南 そんなことはないんだけれども……そうねえ、同じ年頃の連中とお店で顔を合わせても、お金盗られるんじゃないかとか財布はいつも気にしていた。だからあんまり長くつきあいたいとは思わなかった。

伏見 その頃は、当事者同士も互いに不信感を抱いていたんでしょうね。僕の世代だってそうだもの。それくらい深いホモフォビア(同性愛嫌悪)にゲイの内面は囚われていた。

でも人間ですから、セックスしちゃったら相手に惚れちゃうとか、好きな人ができてその人を追いかけるとかはなかったんですか。

南 そういうこともなかった。なんでなんだろうね。そういうのは見たことないですよ。

伏見 はあー

南 確かにお店でイチャイチャしてるのはいるけど、それは必ずしもカップルとは言えないですよね。ただ遊んでる場合もあるから。

伏見 同棲してるとかは。

南 そういう話しは聞いたこともない。

伏見 じゃあ男同士で「恋人」っていう言葉は使わなかったんですか。

南 そうそう。

伏見 それを寂しいと思うとか、男女のカップルみたいに永続的な関係性を求めるみたいなことはなかったんですか。

南 誰と誰が「できてる」っていうのは『禁色』の中には出てくるけれども、あれだってね、今言うような「恋人」じゃなくて、1回か2回セックスしたという感じの「できてる」だから。

伏見 南さんも、恋人」が欲しいとかつきあいたいとかは、本当になかったんでしょうか。

南 うーん、やっぱりそれはあったのかもしれません。たぶん、内心望んでいたんだろうが、まあ大体バーで知り合った人は、そういう具合にならないだろうと思っていた。あ! でも、1回だけ、この人とはそういう関係になるかなという人もいた。それはね、前お話しした、都電の中でできた人。その人はバーで知り合った人じゃないからね。で、知り合った時、彼を僕の下宿へ連れて行ったんですよ。そこでセックスがあって、その後も、彼が僕のところへ訪ねてきた。私の住んでた部屋っていうのは玄関を入ったすぐ隣で、いわゆる昔の書生部屋。いれば電気がついてるし、いなけりゃ電気が付いていない。だから、外からわかるわけね。それで真っ暗だと帰っていく。

伏見 じゃ、その人とは何回か会ったんですね。

南 唯一その人だけだね。

伏見 お互いに好きだとか告白したり、「恋人」としてつきあおうとかっていうことにはならなかった?

南 僕のほうから彼の家に行ったことはないわけ。だって向こうは教えようとはしないからね。だから向こうが一方的に通ってくるだけなんで、来る限りは好きなんだなあと思ってるわけだよ、こっちはね。でも「あなたを好きですよ」とは言ったこともないし、「あなたの家に行きたいね」と言ったこともない。向こうも言わないからね。だけど、あるとき、ふと向こうが「うちに来ない?」って言ったんですよ。だから「あっ。これは正式なつきあいになるかな」と思って彼の家に行ったのね。それで泊まったんですけど。

伏見 それは彼の実家なんですか。

南 実家かなんかわからないんですよね。杉並のほうだったんですけどね。だけど一番最初会ったときには「神保町に住んでる」って言ってたんで、ヘンだなあとは思った。それで、夜中、仰向けに寝てたら天井が、血しぶきみたいなしみが散っていて、なんだか恐ろしくなっちゃってね、今晩、ここに泊まったら首絞められるんじゃないかなと思って(笑)早々に帰ってきたことがあるんですよ。その後もまあ、向こうは1回か2回訪ねてきましたけれども、こっちがなんとなくよそよそしくするもんだから、いつの間にか来なくなって、それっきりなの。

伏見 よそよそしくしたのは、血しぶきがあったからなんですか。

南 なんか怖くなってね。

伏見 自己肯定感が得難い時代、ゲイ同士は互いをある意味「モンスター」だと嫌悪しているから、なかなか親密な関係は成立しませんよね。

初恋みたいな感情については、子どもの頃のエピソードとして聞きましたが、大人になってゲイシーンで活動するようになってから恋愛感情を抱いたり、好きで好きでしょうがないみたいな経験はなかったんですか。その時代、若い時分に。

南 そういうことはないね。

伏見 逆に若い人から追いかけられたってこともないんですか。

南 ……あっ、そうだ! あったんだ。「好きで好きで」って言ってくる人がいましたよ。若い子でね。ところが大体ね、そういうのは3回か4回かセックスすると、お金をねだりだすんですよね。それでイヤになる。だから警戒しちゃって、そういう気にならなかった。

伏見 南さんはゲイバーのおしゃれな若い人たちを見て憧れたって言ってたけれど、警戒心とか、ホモフォビックな侮蔑感みたいなものもあったということ?

南 ゲイバーの人たちに関しては、もしお金盗られたりしてもお店が責任取ってくれるだろうと思うから安心してた。だからゲイバーの若い子だったら、彼のうちへ訪ねていきたいなあってしょっちゅう思いました。一度、池袋のバーの新人と2〜3回飲みにいって、住所を教えてもらったことがあって、それである日その家に行ったら向こうはびっくりしてさ。でもそのままそこに泊めてもらって帰ってきたことありますけど。もしかしたらその彼に恋をしていたのかもしれませんね。それで聖蹟桜ヶ丘のハイキングコースに連れてって1日過ごしたりね。

伏見 同性愛への抑圧が強すぎると、その時には言葉で解釈したり定義したりできないから、記憶の中の関係も曖昧なんでしょうね。

二十代の南さんは、男女の恋愛して婚約して結婚して…というライフスタイルに対して、同性愛の欲望をどういうふうに捉えられてたんですか。将来的には女性と結婚するって感じだったんですか。

南 やっぱりずっと男が好きだから、女とは結婚できないなとは思ってました。だから結婚するつもりもまったくなかったんです。

伏見 「同性愛者として」生きていくから、女性とは結婚しないで、男性といつかいい人を見つけてというようなポリシーはあったんですか。

南 ないです。その当時はそんなのはないですよ。でも恋をしている心はあるわけですよ。しかし彼と一緒に住もうとは思わなかった。というのは向こうはゲイボーイなんだし、どうせこれは商売でつきあってくれてるんだろうと、常に思ってましたね。

伏見 でもご商売、ゲイボーイじゃない大学生とかも夜曲にはいたわけでしょ、素人さんが。

南 ところが夜曲にいる大学生もね、素人なんだけれどみんな「セミプロ」なんですよ。

伏見 あははは(笑)。それ、よくわからないけど、どういうことですか。昔は、若い子はみんな「プロ」みたいなことなんですか。

南 まあね、要するにお金を持ってる人が来たらその人にたかって、あわよくば一晩寝て、お小遣いを帰りにもらってくるというようなつもりで来てるわけだから。

伏見 でも南さんだって、自分でお金を払って飲みに行っていた素人ですよね。そのような素人の若者は他にいなかったんですか。

南 いないよ。

伏見 えー! うっそー。

南 若い子はみんなセミプロみたいな連中ばっかり。

伏見 ホントに?

南 うんうん。だから『禁色』の中に出てくる「あいつはリツヤだよ」っていう、まさにそのリツヤばっかりなんですよ。(編集注:リツは金銭的な割合の意味で、お金でセックスする若い子をリツヤ、リツ専などと呼んだ)

伏見 ゲイシーンに出てる若い子が少いないから、みんなリツヤ、金目当てになっちゃうみたいな。

南 なっちゃうわけだよ。そして、年輩の人は若い子をお金で釣ろうと思うでしょう。だからどうしてもそういうふうになるわけ。それでリツヤに開眼しちゃうわけだよね。

伏見 なるほど、まだ社会も貧しい時代だからね。若かったら金になびきやすい。今だってそんな子はけっこういるわけだしね(笑)。

昔はアナルセックスはしなかった!?

伏見 こんなことまで聞いてあれなんですけど、前に初体験のときにフェラチオを経験したとおっしゃったけれども、セックスの内容としてはどういうものだったんでしょうか。僕も以前、ご年輩の方を取材していろいろ聞いたんですが、昔はアナルセックスをする人はそんなにはいなかった、と。大学の学長まで務められたあるゲイの年配者は、「自分は若い時からお尻が使えたからずいぶん重宝された」と自慢げにおっしゃってた(笑)。

南 アナルセックスする人はいなかったですよ。

伏見 南さんもしなかったんですか。

南 うん、しない。

伏見 逆に言うと、いつからするようになるんですか。

南 それはもう相当な歳になってから。パートナーができてからだから、40を過ぎてからですよ。アナルセックスを求める人もいないし、こっちからやろうとも思わなかったね。

伏見 でも昔から「カマを掘る」という言葉はあったわけじゃないですか。

南 どうなのかわからないですよ。バーで「あいつのケツは良かった」とか冗談で言うけれど、でも本当にそうなのかどうかわからない。私が関係した人でアナルセックスをした人は1人もいない。

伏見 潤滑オイルとかシャワーとかそういうのがない時代だから、なかなか環境的に難しいっていうのはあったのかもしれないですけど(笑)

南 やっぱりあれじゃないですかね、セックスの経験が豊富な人が少なかったんじゃないですかね。若い者同士でそんなアナルセックスなんて要求もしないですよ。

伏見 僕の若い頃、80年代だってアナルセックスはまだいまほどメジャーじゃなくて、「あの子、お尻使えるんだってぇー!」みたいな噂話しをしていたくらいで、ちょど今、「あの子、フィストもできるみたいだよ」っていうのと同じ感じかもしれない(笑)。

ところで、お書きになってるものの中に、故郷の後輩、秋田の高校の後輩とできたというエピソードがありましたが。

南 彼は日大芸術科で日本舞踊をやってたんですね。俳優をあきらめて、舞踊のほうならものになるかなと思って町の踊りのお師匠さんに付いた。サンケイホールでその踊りの会があって、彼はお師匠さんとメインの踊りをやったんで すね。楽屋へ挨拶に行ったら向こうもうれしがって、「ぜひうちに遊びにきてください」って、住所を書いて渡してくれたの。それで彼のところへ遊びにいった。おそらく向こうは僕よりもずっとベテランなんですね。だから再会したときに、既に匂いを嗅ぎつけてたんでしょう(笑)。一緒にアルバム見ていると知らぬ間に肩に手かけたりして、ビールなんか勧められて帰るのを引き止められた。で、ついに電車もなくなっちゃって、「泊まっていったらどう?」ということになり、その夜にできた。

伏見 南さんは彼がオネエ言葉でしゃべったりするのにも、ちょっと憧れたというのは本当ですか。

南 うん、そうですよ。こっちはさ、しょっちゅうゲイバーなんか行ってるんだけれども、そんなふうにオネエ言葉を使えないんですよ。彼は気持ちをセーブしないわけでしょう。そういうんで憧れましたよね。

伏見 南さんは、以前勤めていた会社で野球をやってるとき、「踊りを踊ってるみたいだ」と言われて気にするようになったとおっしゃってましたが、オネエ言葉を使うのは、やっぱり躊躇があったんですね。

南 自分が女性的になるということは非常に抵抗感がありましたね。

 

*上の画像はどれも、1950~60年代に男性同性愛者の地下ネットワークで流通して(交換されて)いたもの。撮影者は、日本で最初のゲイ写真家と言っていい圓谷順一氏と思われる。写真の若いモデルたちは南氏と年齢が近いのではないかと推測できる。