本棚のセックス 15(伏見憲明の書評)

谷口功一編著(スナック研究会)『日本の夜の公共圏ーースナック研究序説』

 

若い世代にはあまり馴染みがないだろうが、スナックは、五十代以上のおじさんたちにとっては憩いの場所だった。繁華街の片隅で、少しとうのたったママが酒を作り、地元の人々がカラオケを歌いながら交流する。こうした店は全国に十万軒以上も存在するのに、実は、これまであまり考察の対象になってこなかったという。そして、この度、日本で初めてスナックを学術研究の対象とした書が刊行された。

 著者らの「スナック研究会」は、憲法学やら文学やら政治思想史やら…の一線で活躍する学者の面々によって構成されていて、様々な角度からスナックについてここで論じている。タイトルの「公共圏」は、哲学者のユルゲン・ハーバーマスの概念。そもそも「パブリック」というのは、十八世紀のイギリスなどでコーヒー・ハウス(のちのパブ)などに集まってあーでもないこーでもないと市民が政治や文化について語り合った歴史に由来する。そうした理性的な討議をする公衆が集うのが「公共圏」だ。

もちろん、日本のスナックはそういう意味での「パブリック」な場ではない。そこではむしろ政治や宗教の話しはご法度で、そんな話題を出そうものなら「空気読めないやつ」として煙たがられるのは間違いない。のだが、本書の言わんとするところは、スナックでは「酒に酔い歌を興がりつつも、野暮に落ちず、無粋に染まらぬように矩を守った自由闊達な会話が、そこで展開されてい」て、それはひそやかな「公共圏 / 公共性」の可能性を秘めているのではないか、というものだ。さらに、職場でもなく家庭でもない「サードプレイス」、「居場所」としての現代的な機能にも着眼している。

さて、軽い気持ちでページをめくり始めた読者は驚くことだろう。席数せいぜい数十の店舗が、「風適法」はもとより、食品衛生法、建築基準法、消防法施行令…と、どれだけ法によって規制される対象であるのか!に。カフェーからスナックにいたる歴史の章を参照すれば明白だが、権力は、人々の性や夜間の行動を過剰なまでに恐れている(としか思われない)。

例えば、その業態が風俗なのかそうでないかという区別が、従業員が客の隣に座ってお酌をするとか一緒にカラオケを歌う行為によって分けられているのである。そうした「接待」をすれば風俗店となり、深夜営業ができなくなる。ちなみに、スナックは「接待」をしないことによって深夜にお酒を出すことが許可されているのだ(実態はともかくとして)。

少し前、ガールズバーの摘発が話題となったが、これは、カウンター越しの接客だったにも関わらず、警察がそれを「接待」と判断したことによって風適法違反になった。つまり、警察の判断によっていかようにも取り締まることができる。私たちが自由だと思っている日常の行動や、性、就寝時間に関してまで、一皮めくれば国によって規制され、方向づけられていることに驚愕せざるを得ない。

そうした問題だけでなく、本書は、日本人と酒席の文化を本居宣長にまで遡り、スナックの楽しみを「物のあわれを知る」ことと絡めて論じたり、柳田國男の酒に関する議論を都市論につなげたり…と、話題も視点も実に豊富だ。興味深い分析の一つに、スナックの数からその地域性を考察した章があるが、軒数だけなら都市部の繁華街が上位にくるが、人口比にしてみると、スナックの数は西高東低、漁村など田舎に多かったりするという試算。濃密なコミュニケーションがある地域にこそ成り立つ業態なのかもしれない(新宿二丁目!)。

本書の副題に「序説」とあるとおり、スナックを窓口にすることによって予想もできない日本論やコミュニケーション論、都市論などが生まれるかもしれない。今後の議論の広がりに大いに期待したい。

(白水社)