二丁目寺の坊主日記 32

「修羅への道」

今月は「稚児月間」ということで、ふせんくんと二人で二丁目寺をやらせてもらっています。

先日が初対面だったのですが、かなり気遣いができる好青年という印象でございました。しかも大学生っていう若さ!なんか学生って響きは懐かしい。やっぱり社会に出る前の経験とか友達って、今考えると特別な感じがします。アオハルですね。

ふせんくんが学生ってこともあって、お客さんと話していると同窓会の話題になりました。50代くらいのゲイの方だったんですが、同窓会に行ったら可愛かったクラスメイト達が、あからさまなおっさんに成り果てて、とても悲しかったんだそうです。

しかもその方、おっさん化した同級生たちに若い若いともてはやされてしまい、そんなの努力してるから当たり前だろ!と憤慨されていました。ちゃんとモテたくて頑張っているってことです。ただ、そのモテたいということについて、こんなことを仰ってました。

「それは修羅の道ですけどねー」

お店で話を聞いている時は、一緒に笑っていて特に気にしなかったんですが、よくよく考えてみるとこれ、深いセリフです。

修羅道は六道(仏教の世界観)の一つで、戦い続ける人が行く道のことです。地獄だと罪の償いとして苦しみを与えられますが、修羅だと自分自身で苦しみを生み出し続けてしまう世界として伝えられています。地獄では獄卒たちに苦しめられますが、修羅では戦い続ける自分の行動で苦しむという違いがあるわけです。

モテることは、他者の目を自分に向けさせるための戦いといえます。一生モテようとすれば、戦いを続ける道を選ぶってことになります。完全なる修羅道!モテたい気持ちが修羅の道に続いているとは思いもしませんでした。

自分を振り返ってみると、僕が切実にモテたかったのは大学時代。入学したての僕は上下関係の厳しいお坊さんのための寮に入り、サークル活動を禁止されていました。ですから、出会いに飢えていたんです。けれど、坊主になりたての青々しい頭では声をかけることすら出来ません・・。モテたいという僕と、恥ずかしくて言い出せない僕との戦いでした。

ただ、当時モテていた人を見ていると、取り合いや別れで修羅っていたので、苦しさはあったように思います。モテても苦しい、モテないと激しく苦しいといったイメージです。お釈迦様的にいえば「モテたい欲から離れなさい」ということになりましょうが、あの頃の僕にはそんなことは無理でした。だってモテたかったもん。認めてくれる人が一人もいない世界が嫌でしょうがなかったですもん。

そんな僕でもなんとか正気を保てたのは、同じくモテない仲間がいたからでした。が、チャンスを掴んだ仲間達は、もの凄いスピードで去って行きます。そこには新たな仲間割れが起こり、さらなる修羅の道が生まれてしまうのでした。

モテたくて修羅道に入り、また新たな修羅道を生んでしまうこの世界。そんな中で、なおモテ続けるのは大変難しいです。ただ、その道が修羅であると自覚していれば、大きくつまづかずには済むのではないかと思います。少なくとも仏典には、自覚することで大きな事故が小さな事故に変わるとあります。僕はそれを信じて生きるつもりです。

稚児月間ということで、無理やりに仏教の話にしてみました。でも、やっぱりモテたい。そんな時は呪文に頼ってみてはいかがでしょうか。下記の真言を30万回唱えるのがオススメです!

『愛染明王真言』(恋愛や縁結びに力を発揮する神)

オン・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャクウン・バンコク

 

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。
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