田亀源五郎 編『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』に寄せて(序文)

人はおのれの欲望を表現せずにはおれない動物である。

ここに収められた作品群には、作家たちの切実さが立ち籠めている。むせ返るようなエロティシズムのほとばしりに目がくらむ思いがするのは、単にエロティックな作品であるからではなく、社会の同性愛に対する強い禁忌の中で、にもかかわらず描かずにはいられなかった彼らの情念が込められているからだろう。

かつてアンダーグラウンドな空間でしか存在することが許されなかったゲイ・エロティック・アートは、ゲイのセクシュアリティを肯定するもの、などという生易しいアートではなかった。そこには、”実現されるはずのない”空想や、秘めたる体験や、自身への怒りや、陶酔や、憎しみや、愛や、死や、友情や、疑心や、希望や、自己否定や、同性愛嫌悪が、濁流のように流れ込んでいた。行き場のないゲイたちの欲望や感情は、表現としてだけその自由を確保することが可能だったのだ。ここに収められた作品たちも、そんなギリギリの表出だったと言える。

同性愛が社会的な認知を得るにしたがって、創造者の感性が薄くなっていくのは、ゲイ・エロティック・アートの本質が、おのれの欲望に対する執着と、それへの嫌悪のせめぎ合いにあるからだろう。その摩擦と痛みの中から、これほど豊穣な作品群が創造されてきたのだ。

編者の田亀源五郎氏は、現在の日本のゲイコミュニティを代表するクリエイターである。彼こそまさに、先人たちの営為の正統な継承者だろう。該博な知識人でありながら、ゲイ・エロティシズムに尋常ならざるこだわりを持ち、それを描かずにはいられない欲望に憑かれている。同性愛やセックスへの強い嗜好と、嫌悪を抱え込んだアンビバレントなありようは、三島由紀夫に代表される戦後のゲイ表現者の嫡流と言える。

田亀氏がこの作品集を編むことにした動機は、ゲイ・エロティック・アートが一般社会ではもちろんのこと、ゲイ・コミュニティでさえも正当な評価を得ていないことへの憤りであったという。そのエロティシズムの軽視に対する憤懣こそが、過去の作家たちの引き裂かれた思いへとつながっている。

同性愛がふつうのこととして受け入れられるようになった時代には、もはやこうした濃密な作品は生まれないかもしれない。田亀氏はその最後の担い手として、自ら表現し、欲情の物語を刻んだ墓石を守り続けている。

 

伏見憲明
(ポット出版・2006)