パヨクのための映画批評 37

ウソと真実のゴミ溜めを這い回る私達
我は神なり (”사이비”、2013年、韓国)~

思い切り不謹慎なことを言いますよ。韓国のニュースを観ていて一番心が躍るのは、やっぱり3面記事的な事件もの。特に詐欺事件の顛末とかが秀逸です。ちょっと日本では考えられないような下らない事件が普通に報道されていて笑っちゃう。日本語で軽く読める本としては、室谷克実『悪韓論』が優れていると思います。嫌韓ブームに乗って売れっ子の筆者、80年代の韓国に駐在員として行っていたという過去が効いているのでしょう。当時、それなりに「いい思い」したんだろうな、というのもうっすら感じられます。書かれた趣旨に愛情は感じないけれども、パヨクの皆もリハビリの一環として読んでみることをお薦めします。

さて、本作は、韓国発大興奮のゾンビ映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」、その前日譚となるアニメ作品「ソウル・ステーション・パンデミック」を監督したヨン・サンホさんの映画です。ゾンビ映画よりももっと地味な本作、まさに三面記事に載ってそうな馬鹿げた事件を物語にしてはいますが、闇が深くて笑えません。

さて…韓国映画の極めて重要な柱として、「社会的なメッセージ」というのがあります。演劇も割と盛んで、ソウルの大学生だったところ(テハンノ)には小さい劇場がたくさんあり、「地下鉄一号」のような社会派ミュージカルを生み出しました。ちなみに翻訳ミュージカルも盛ん。韓国ミュージカルの動画、是非探してご覧になって。「レベッカ」のダンバース夫人の歌を聴いたら、内面がミュージカル女優なみんなは、「レベエエッカアアアアア」って歌いたくなるわよ…

お話は…ダムに沈む予定の寒村に、数か月ぶりにごろつき男ミンチョルが戻ってくるの。怯える母と娘。大学に合格して村を出て行こうとしてた娘の貯金をかっさらって、出ました、花札賭博をやるわ、場末なバーで飲んで客に絡むわ、娘や妻に手ぇ上げるわ、ひでえ男・ア・ラ・カルトなミンチョル。彼がそのバーで絡んだ相手は、その村の若い牧師チョルにくっ付いている怪しい男ギョンソク。その後ミンチョルは、ギョンソクが実は指名手配中であることを発見、周囲に警告するが誰も聴いてくれない…一方チョルは薄々怪しみつつも、施設を作って信者の皆で幸せに暮らす、という夢のため、ギョンソクの言いなりになっているが…

本作の原題は「でたらめ、まやかし」という意味。韓国+宗教+詐欺っつったらあんた、もうネトウヨの大好物だよ!前大統領の哀しい顛末も思い出すし!!もう観るしかないじゃん!!!と、あらすじ読んだだけで発狂しかけたわ。

外来の宗教(この場合はキリスト教)に、つまりは文化的に繋がっていない宗教に、大人になって改めて入信する、という行為の社会的な意味というのを考えさせられた。そういう外来宗教は「うそ」でもいいから何かにすがりたい人々が一定数集まった時に、優しい受け皿になってくれるのね。ちなみに韓国はシャーマニズムの伝統が民衆の中に沁みとおっているためか、占い師がそこらじゅうで活動していて、映画やドラマにもよく出てきます(そしてやっぱり若干胡散臭い)。そういう背景なのかしらね、思い込む力が日本人より強いみたい。あの思い込みの強さは、韓国人の演技や個人技に必要なものすごい集中力を支えているように思う。そういう風土の中での信仰のあり方というのが日本と同じになるわけないですよね。

ミンチョルの娘、ヨンソンは、村を出ることで新しい出発をしようとしていたのに、恐れていた父にお金を奪われたことで絶望。母親と共にミサに行って「奇跡」を目にして、牧師を心から信頼してしまう。でもそういうときって一番人が無防備になってしまうのね…ヨンソンは不幸になればなるほど美しくなっていくの。最初、父親に対して話しかけるときの言葉は「~ハセヨ」という、丁寧かつ親しげな口調で、父親に対しては敬語を使って恐る恐る話しかけている。それが最後の方でどういう口調に変わって行くのか、注目です。母親も、ただただミンチョルを恐れ、泣いておろおろするだけの無力な存在。不快なまでに意思が弱く、神様にすがっている人なんだけど、やっぱり変わって行く。

「真実」を語っているのに誰も聞いてくれない!皆騙されている!と騒ぐミンチョルは、正直、全く共感できない人物よ。そもそも彼が何故そこまで「真実」を言いたてるのかと言えば、単純に、バーで絡んだ時に相手に返り討ちにされたのが悔しいから。それだけなのよ。他方、ミンチョルが家を空けていた理由ははっきり出てこない。家族を苦しめ続けている彼だが、実はそういう形で家族に精神的に依存しているからこそ、大学に入ろうとしていたヨンソンに「勝手に家を出て行く気か」と怒りをぶつける。でも、彼の怒りの理由は全て自分にとっては不明瞭。「気に食わない」だけなの。村の知り合いに「あの牧師とあの男は詐欺師だ!偽物だ!」と言っても聞いてもらえない。「あいつらはお前らを騙す悪人だ」と言えば、「そういう兄貴は、自分をいい人だと思ってたんですか」と返されてうっと詰まってしまう。あ、この人、自分を「悪人(ナップン・サラム)」だと思ってなかったんだねえ~と観ている方は溜飲を下げる。ミンチョルにとっては人生の意味がはっきりしないまま、映画は終わってしまいます。

そんな暴れて家族を苦しめる以外何もできないDV男ミンチョルの前に、牧師チョルはいかにもクリーン。ところが、チョルに詐欺のことを問い詰められたギョンソクが、チョルの過去を知っているのだと語ったところから、チョルも一気に壊れていく。それも、彼にとっては真実ではないことによって罰を受けたという過去なのよ。

本作、最後のシーンが怖い。ある人物が必死に祈るんだけど、祭壇に何があるのか、とても気になるのに映してくれない。きっと観る人によって全く違うものがそこに置かれているのでしょう。ウソと真実のゴミ溜めみたいな世界を私らはただ這いずり回るしかないのかも…希望は一切描きません。その意味ではゾンビ映画の方がまだしも希望を描ける、というのが面白いわね。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。