二丁目寺の坊主日記 34

「どうかしてる」

アデイの月曜担当、本多清寛です。

ふせんくんありがとう!稚児月間が終わってしまい、寂しい僕です。やっぱり、二人いると安定感が違うというか、あたふたせずにすみます。いつもより、ゆったりとした雰囲気の二丁目寺だったように思います。そんな効果もあってか、ふせんくん最終日はたくさんの方がおいでになりました。やっぱり、余裕がないといけませんなぁ。

実は、二丁目寺はひっそり1周年を迎えました。バイトもろくにやったことがなく、未だにお酒の名前も覚えられない僕ではありますが、ようやく慣れてきたように思います。考えてみれば、何も知らない状態でお店を引き受ける僕はどうかしてたんでしょうし、そんな奴にお店を任せる伏見グランマもどうかしていたはずです。

そして、どうかしながら始まった二丁目寺を続けられたのは、月曜なのに飲みに来る、どうかしている方々が来て下さるからでしょう。あ、失礼しました(笑)

こんなことを感じたのも、曹洞宗って本当にどうかしてる宗派なんだなと、1年通して深く思い知ったからです。やはり、みなさん仏教とか宗派について話をして下さるんですが、返す返事が「どうかしてる」ことになってしまうんです。

例えば「うちの実家は○○宗なんですが、宗派のことはよく分かりません。ごめんなさいね」という話になると、僕は「なんでごめんなさいと思うんですか?」と思ってしまいます。「最近の日本人は無宗教で、信心深くないのはなんででしょう?」みたいな話だと、「信心深くないとダメですか?」なんてことを思います。

曹洞宗にいると、問いに答えるより問いが生まれた経緯の方が気になってしまうんです。僕は曹洞宗のお寺に生まれ、曹洞宗の大学に通い、曹洞宗の本山で修行をしたので、問いに問いかけるのが普通のことのように思っていたんですが、一般的に考えると面倒くさい奴この上ないですよね。

だって「この漢字なんて読む?」と問われているのに「どうして読まなければいけないのか?」と問い返されたりしたら、「うるせぇ」って言いたくなります。有名な禅問答には隻手音声(せきしゅおんじょう)というものがあって『両手を打つとパンとなる、片手では何の音がなる?』という意味合いになります。これってそもそも疑問ですらありません。そんなの気にならないだろ!って感じです。

けれども、歴史的にはそんな問答を繰り返してきたのが禅宗や曹洞宗の流れなんです。

その流れにどっぷり浸かっていた僕は、二丁目寺のリハビリを経てどうかしている事実に向きあえたのでした。結果、問いに問いかけるのは割と失礼で、時と場合を吟味すればけっこう面白いってことに気がつきました。

月曜は飲みながら、ゆるくそんな話もしています。気を付けたほうがいいのは、なんで自分が考えているのかを考えてみるのは面白いけど、一人でやっているとハマって動けなくなることもあるってことです。できれば、話を聞いてもらいながらやれるとスムーズにいくと思います!

南無文殊支利菩薩

 

本多清寛(しょうかん)和尚。(月曜担当)

1985年生まれ。熊本出身。お寺に生まれお寺に育つ。22歳の時、福井県の永平寺という山奥の修行寺で3年過ごす。修行仲間には相当な迷惑をかけ続けて山を下りる。その後、曹洞宗の研究センターにて仏教を学ぶ。同性婚の問題から、仏教と「性」について気になり、セクシュアリティについて勉強し始めた。生活に役立つ仏さまを模索している。趣味は「こんな時、お釈迦様ならなんて言う?」という大喜利。
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