パヨクのための映画批評 41

あたしが本気で病むときは
~「彼らが本気で編むときは、」(2017年、日本)~

わたくし、LGBTがテーマになっている映画は、情報を察知しても直ぐに見ることができません。どうしてなんだろうかとこの1年考えて参りました。ゲイの映画批評でパヨクなんだからさぁ、社会に抑圧された切ないゲイの初恋物語とかそういうの教えなさいよ~。と思って確認したら、過去40回書かせていただいた内容で「LGBT」らしきものがうっすら登場した映画は2本、明確に出てきた映画は6本という調査結果が出ました。これって多くないよね。尚、監督さんがオープンリーのゲイ・レズビアンだった映画は7本。ということは、ゲイ・レズビアンでありながらその領域に全く触れなかった作品があるということだわ(実際は2本。どちらもスペインが誇る姐さん、アレハンドロ・アメナバルさんとペドロ・アルモドバルさん)。

私自身、厨二っぽい映画を好んでおり、ゲイテイストが必ずしも必要ではないということも知った(野郎テイストは必須!!!!!)。多分ねえ、ゲイが主人公の映画って、自分に近い感じがして嫌なのよ。「そんなねえ、あんた、たまたま出会った二人がジェイク・ジレンホールとヒース・レジャーで、何ぃ? キャンプしてて準備なしでコトに至るとかさぁ、あるわけない上に実際にあったらすごくズルいよね」が先に立ってしまうのだと思う。今はネットの時代なので同性間でプロポーズする動画が太平洋等の向こうから大量に流れてくるじゃない? あれ観ててももはや「あんた達はフラッシュモブ映えするお顔とお体をお持ちだから動画にも残したくなるよね…」という軽い嫉妬や羨望?しか感じなくなってきている…オバマ期の魔法は終わったんだよ…後に残されるのは、どこまでも続く格差、人々の考え方は大して変わらず、結婚と離婚はセットなのだという現実も追いかけてくる…私、何て醜いのだろう…私の中のLGBT寄り添いの気持ちは死にかけているのだろうか。そうやって気が付いたらLGBT運動ディスりとか始めちゃうんだろうか。それはそれで、LGBT運動への歪んだ愛なんだけど。

それとは別に、もっと日本映画を観なくてはと思ってましたのね、そんな時に見つけた「彼らが本気で編むときは、」、大当たりでした。

母子家庭に生まれた娘トモは、母親ひろみの何度目かの出奔のため、叔父マキオの家に滞在することになった。そこにはマキオの恋人、リンコが同居していたが、彼女は元男性だった。

本作、「父親」が一人もいない。父親の圧倒的不在状態の方が、却ってものごと上手く行くんでねえかと言っているように思えるわ。「夫」や「彼氏」という存在は父親じゃないからね。

でね、リンコさんの画面に登場した瞬間の所作から、何かちょっと泣けちゃった。理由は不明なんだけど。観てると、一つ一つのことを丁寧に実践している彼女の健気さと幸せと苦しさが段々迫ってくるのよ。

日本版「ボルベール」とも言える本作、母と娘の関係の色々が描かれるのね。「ボルベール」なら、ゲイの大お姉さま監督の愛情のおかげで、最後は概ね和解と許しのハッピーエンドなんだけど、本作、やっぱり女性が作っているからだろうか、もっと人物の描き方が重層的ね。いい人、悪い人、そんな簡単に言えないようになってる。毒親でも一緒にいたい一心の娘トモの不満。トモの母、ひろみは母親としても大人としてもダメなのだが、実はそんな自分に嫌気がさしているのかも。夫の不義に耐えて耐えていたひろみの母親や、リンコを護りたいが余りに暴走気味のリンコの母、息子に「普通」を押し付けて苦しめる母親…その中で、リンコは元男性であるが故なのか、最も美しく理想的で欠点が無い女性に見えてくる。おいしいご飯を作ってくれて、ひたすら編み物してて、いつも優しい介護士で、トモにとっては本当のお母さんだったら…と思えるような理想の人よ。だけど、編み物をしている理由が分かってくるとまた違う。ユーモラスな中に恐ろしく暗い感情が見えて来るの。「どうして私だけこんな目に」と何度も自分の運命と世界を呪ったのでしょう。その黒い感情と日々向き合わねばならないリンコの心境を考えると、「女子力高いことを自らに課す行為」の壮絶さが浮かび上がるの。あんまり心の暗がりを描かないことで、本作はファンタジー映画として完成している。

典型的ダメ・ウーマンなひろみの弟であるマキオ、しゃべり方が変なんだけど、どうしてこういう性格になったのかな…と考えちゃう。そこもはっきり描かないんだけど。本作、「こういうところで育つとこうなるのよ」というメッセージと同じくらい「でもね、同じ場所でも何を見て育つかでも全然違ってしまうのよ」とも教えてくれる。それは「頭使え」という暗示でもあるけれど。同じ親から育ったひろみとマキオは同じものを見て全然違う回答を持った。荒い言葉遣いと行儀のよさの両方をひろみから受け継いだトモはどうなっていくのか。

このテーマの映画だから、「サベツですよ!」とマキオが怒って叫ぶシーンがあるんだけど、当人のリンコはただひたすら耐えている。そんなリンコを見てトモは、編み物を始めながら泣いちゃう。本作、「おくりびと」と全然違うのは、「耐えること」を美談にはしないこと。耐えた分だけ苦しさや黒い感情が生まれる…というのは、女性や、外国人や、LGBTとして生きてる人にはお馴染みよね。ツイッターでは苦しさから逃れる方法が分からず呻吟の声を漏らしている成れの果てをよく見かけるが、最近は手を合わせるようにしている。ちなみに「黒い感情」をリンコは「煩悩」と呼ぶ。

ラストシーンでは、少し希望の見える家で、包み紙を開けて、ある人からもらったものを見つめるトモに、私らが何かを考えようとするタイミングでぶつっと映像が切れてしまう。それも切なかった。

トランスジェンダーをテーマにした映画は、ゲイの映画より重く感じてしまう。現代を舞台にしたお話であれば猶更。女/男になったからってそれで終わりではなく、その後もずっと続く様々な苦悩は、お話としては美しい。でも、アンデルセンの「人魚姫」みたいに、神の与えた肉体を拒否して違う体を望んだ罰を受け続け、本当の救いはもっと後に、ひょっとしたら死によってしか安らぎは来ないんじゃねえかという予感もある。その中でリンコは生きる方を選んだのね。ご飯をみんなで食べるシーンが繰り返し出てくるのが印象的。丁寧に日常の繰り返しを実践することに救いがあるのかもしれない…まぁね、観終わったら「そんなヤツぁいねえよ」と思う。でも「いて欲しい」とも考えさせる。この世のどこかにリンコやマキオがいてくれたら…その悩みや苦痛、優しさを以て、トモやひろみやその母や父親である「私」の苦しさを少し救ってくれるんじゃないだろうか…そんな風に夢想してみるのも悪くない。あと、編み物も悪くない。私もこの冬友達のために靴下編むから…びゅおおおお

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。