パヨクのための映画批評 43

大スペクタクル映画、ここに極まれり~「バーフバリ 王の凱旋」(”Baahubali 2: The Conclusion”、2016年、インド)~

私、実は全然興味持てなかったので見てないんだけど、「ムトゥ 踊るマハラジャ」で超元気なインド映画が日本に紹介されて既に20年くらいね。元植民地と元宗主国の極めて実用的な関係から、インド人監督がイギリスの女王エリザベス1世を描くという映画「エリザベス」が生まれ、スペインの無敵艦隊破った後で、エリザベス1世が紅白歌合戦の小林幸子と化してぐるんぐるん回転する(実際はカメラが回るんだけど)という衝撃の栄光シーンを生み出します。エリザベスの「余計なことを申すな!」からの部下のウォルシンガム卿の後頭部ぶっ叩きシーンも好き。その後、「スラムドッグ$ミリオネア」では逆にイギリス人監督がインドの映画を撮影。一昨年の「ライオン~25年目のただいま~」のように、インドと欧米の意外な繋がりを感動的に描きつつも、Google様が姿なき現代の救世主として背景に立ち昇る若干怖い映画もありました。そしてインド国産の「きっとうまくいく」「pk」のような、欧米受けよさそう系映画も来日するようになる中、本作「バーフバリ」は無骨なまでに「インドインドインドインドインドインド(ちょっとハリウッドと韓流時代劇)」をやっていたの。

昔々、マヒシュマティ王国では、バラーラデーヴァ王が圧政を敷き、国民を苦しめていた。(突如)時代は25年遡り、バラーラデーヴァ王子のいとこ、アマレンドラ・バーフバリ王子は国母シヴァガミの命により、王に即位しようとしていたが、それを妬む若き日のバラーラデーヴァは策略を練り、バーバフリを失脚させようとあれやこれやの手を使って陥れようとするのだった。

マレンドラ・バーフバリの母親の名前はデーヴァセーナ、彼が恋する女の名はアヴァンティカ、とにかく名前覚えるだけで頭くらくらする。その上、同じ俳優さんがバーフバリ親子(よりによって名前分かりづらい)をやるもんだから大混乱。でもまぁ日本人の名前も音節多いし外国人には頭痛いんだろうな。本作は2部作の2部なので、冒頭で「前回のお話」として説明をしてくれるのだが、却って混乱したわ…でも第1部を観なくても全然問題ないし、とにかくね、全てのシーンの色がものすごく鮮やかでキマってるから、もう何でもよくなっちゃう。「ララ・ランド」を100とすると、「バーフバリ」は10万は行ってます(何が)。でっかい画面で見ると、ああいうのはものすごい力で人の精神を揺さぶって麻痺させてしまうんですね。それこそ映画の持つ恐ろしい魔力よ。観終わったら「バーフバリ!バーフバリ!」と凱旋した王の名を連呼したくなるんだもん。洗脳。CGだから人工的で安っぽくなるのかと思いきや、矢を射るシーン、馬に飛び乗るシーン、全てのシーンの人間のポーズがあり得ないほどかっこいいので、何も言えなくなるのよ。あれは「絵として美しくキメる」ことしか考えてないね。そしてストーリーは韓流時代劇をからっからに煮詰めてカレー粉ぶちまけた感じ。私の大好きな超エラそう台詞が連発。最高潮に達するのは国母シヴァガミが「この宣誓を法と心得よ!」(目力すごい)と言うところ。そしてここ私としては重要なんだけど、華やかな衣装をまとった髭面の屈強な男共が舞うのよ…真紅とか水色とか金とかを着こなす髭面オヤジ達…そして、そんなイケおじさん達とヒラヒラお姉さんたちのために働かされる、牛、馬、象。牛やら象って大事にするんじゃなかったっけ、とツッコミたくなるシーンが目白押し。牛さん、角燃えてますけど、とか。冒頭で、暴れる象をバーフバリがカレー粉振りまいて鎮め、更に鼻に乗っかって頭に乗るんだけど、その鼻に乗っかるときでさえ恰好いいポーズキメて、象の鼻に協力を得て超でかい矢を放つのよ…もう書いてて私もぐったりなってくるけど、ダメ押しで音楽と歌が抒情を高めてくれる…全てが過剰。私の許容範囲を超えて興奮の大洪水起こしてしまい、ずっとヘラヘラ半笑で観た。

大洪水と言えば、本作「水しぶき」のシーンがよく出て来る。昔見たNHKの番組によれば、水はインド映画の中で、豊穣とか幸福とかいいことを象徴しているそうなのよ。確かに、水しぶきが出てくるシーンや、ものすごい量の水が流れるシーンは、全て勝利や幸福、喜びに結びつくシーンばかり。反対に、燃え盛る炎が大きく映るシーンは、破壊や破滅、裏切り、復讐のような恐ろしいものを象徴しているようなんです。そういう分かりやすい象徴の使い方もインド映画の面白さなんでしょう。最後は川のシーンで終わるのでハッピーエンドであることは明らかなんだけど、水がねえ…あるものを延々と運んでいく。そこで無常感と言うんだろうか、物悲しい。あんなに色々やった悪者も、いいやつも、死ぬと最後はガンジスの流れに還って行くゴゴゴゴゴみたいなどうしようもなくインドなの。ダメ押しに、第1部の最初で出てきたものが(やっぱり)水に打たれて祝福を受けているシーンで終わる。インドみたいに、ものすごくでっかい時空観を持つ社会に生まれてしまうと、人間一人の命はとても小さく短くて哀しいんだということを個々人が否が応でも悟ってしまっているんじゃないだろうか。

さて、こういう映画がパヨク的にどう批判できるか。と言えばもう、お決まりです、女性差別や男性優位の描き方。本作、これがインドの男性なのだとしたら少し驚きますが、①驚くべきマザコン(でもそれさえも後の伏線)、②恋愛においては思い込みが激しく、自分が好きなら相手も好きだろう位の勢い(何せ出会って10分以内に男女の愛の歌の交歓。ゲイの出会い系アプリの速度を超えた)、という点において、うわー・・・と思っちゃう。でもねえ、何かもう上記のインド映画の説得の大洪水のせいで説得されちゃうの。だって世界は色々なんだもん。フィクションだし。ただ、パンフによれば、本作は「男の添え物ではない、戦うヒロイン」を出したことがインド娯楽映画としては新しいのだそうな。もう先進国だと、社会の実態は別として、表現としては気が付かないくらいそういうのは当たり前になっているのね。でも確かに、デーヴァセーナ王女は国母に何度も「No」を突きつけるわ(その時の国母の瞬きしない目力よ)。尚且つ重要なのが、彼女のセクハラに関する描写。まぁすごい、お見事だが凶暴な仕返しをするのよ。欧米向けアピールなのか、或いは変わりゆくインドを反映しているのか。んで、ごちゃごちゃしちゃってデーヴァセーナとバーフバリは王宮を追放されるんだけど、正直出世から外れた方が幸せだと思うのよね、チャングムもそうだったじゃない。でもそれももちろん、もっと堕ちるための序章に過ぎないから15分位も続かないのよ~。

私にとって、古代王国の架空の叙事詩、野郎テイスト、最恐ババァのわがままと贖罪、歌と踊り、豪華絢爛の画面…そこに厨二的な要素が見え隠れしてしまう本作、もうこれだけでお腹いっぱい…確実に2018年、現時点でのベスト映画です。第1部を毎晩のようにDVDで観る日々。まるで悪夢のようよ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。