パヨクのための映画批評 44

自由と規範のせめぎ合い
~「レゴムービー」(” The Lego Movie”、2014年、アメリカ・デンマーク・オーストラリア)~

レゴブロックは、21世紀に入った瞬間に劇的に節操を失くしたものの代表だと思います。知らなかったけれども、20世紀末には経営不振だったのを、「コラボ」というオタクの世界観破壊ビジネスによって売上を伸ばし、見事な回復を遂げたと言われているの。デンマークの一企業がグローバル化の権化と化したという意味でも大きな変化。「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリーポッター」「スターウォーズ」等の映画ラインを整えただけでなく、レゴの例の黄色い平凡な顔に表情を与えたの。髭面イケおやじ欲しさに私も要らないのにレゴ買っちゃったもんね(全部姪にあげたけど)。尚、プリンセスものが売れると踏んだディズ様は、姑息にディズニープリンセスラインを増やしていってるよ。最近のレゴ社はマジで節操なくDCコミックとも組んで、子供向けに超無垢な笑顔のバットマンとジョーカーのデュプロ製品を作って、子供の世界観をぐちゃぐちゃにしているのよ。

さて、そんな上り調子のレゴ様は、遂にアメリカ資本で映画を作ってしまいます。

レゴシティに住む、「黄色い平凡な顔のレゴ」のフィギュアであるエメットは、毎日明るく楽しく生きている。ある日、世界を止めてしまおうとするおしごと大王の陰謀に巻き込まれたことから、いくつものレゴの世界を駆け回る旅に出る。そこでエメットは、レゴの世界の秘密を知ることになって…。

本作のテーマは、何せオバマ期ですから、「取り柄も無いと思ってるあんたも、誰もが特別(special)な存在なのだ」というもの。だけどね、ちょっとテーマから逸れちゃうけど、皮肉にも、アメリカ社会では「イケてる普通」という線がうっすらあって、その一線を超えてKYだと言われるのを皆非常に恐れているらしい、というのが本作で分かっちゃうの。アメリカ人って自己アピールと演出に長けてるから、日本人の私からすると「明るい=外向き=個性を出している」と見える。でも、前にアメリカ人の友達が「アメリカではちょっと変な恰好してると、通りでいきなり罵声を浴びせられることもあるが、日本(東京)では、変なかっこしてても何も言われない」と言ってたの。正直驚いたんだけど、「glee」とか、最近のドラマ「13の理由」に照らして本作を観ると、エメットの虚ろさが迫ってくるのよ。

レゴシティの仕事仲間たちは、「エメットはつまらない「普通」。個性が無くて、何でも他人の言うことに同意してるだけ。オレらはちょっと違う「普通」なんだよ」とエメットを見くびっている。彼らの中で了解されてる「イケてる普通」をエメットは共有していない。エメット自身は、レゴシティの「マニュアル」に従って、毎日明るく笑顔で過ごして、人に受け入れられていると思い込んでいたの。そこも恐らく重要で、「人に受け入れられていない」ということが、やっぱりきついみたい。エメットが明るく振る舞っている分、余計に気の毒になってくる。

「皆から外れたことをしないようにする」というアメリカ人の他人指向の行動様式は、リースマンが『孤独な群衆』と名付けたことで有名です。尚、日本論で有名なルース・ベネディクト様も『菊と刀』で「アメリカは「罪の文化」のはずだが最近「恥の文化」に移行している気がするのよね…」とつぶやいておられた。70年位前の、独立独歩を誇りに思うような中流以上のアメリカ人にとって、その「他人指向」になっていく社会の変化に黙っていることはできなかったのでしょう。アメリカでの映画の発展、映画を模倣する形での自由の実践と拡大、昨今のSNSの発達という流れと「他人指向」は互いに関連があるような気がします。

本作で、他にちょっといいなと思ったのは、ラスト30秒くらいで、世界中の子供が年齢のちがう兄弟姉妹と遊ぶときに感じる「違和感」を表現したこと。私も子供の頃思い出して、ちくっと胸が痛んだ。ほら、年齢がちょっと違うだけで、「一緒に遊ぼう」と言って来る年下の弟や妹や他の子供を無下に締め出したりするじゃない。残酷にもさ。あれ、大人になってから見せられると切ないね。遊戯というのは、世界観を共有できなければ土台そのものが破壊されちゃう。一貫してルールを守る「真面目さ」が無いと成立しないものだもんね。大人の方がその辺が緩んでいて、いわゆる「遊び心」なんて大人の道楽なんだと分かる。反対に、大人になっても頑強に世界観を崩せないで遊ぶ人達ってのは、オタクと言われたりもする。私自身、レゴで遊んでいた頃は、世界観というのが非常に重要だったので、他の友達のように奇想天外なものを作り出すことは全然できなかったし、むしろそういうものを観ると居心地悪かった。

まあそんな辛気臭い部分はいいとして、全体的にはギャグ満載だし、レゴもかわいいし、とにかく楽しいです。でも、馬鹿げたギャグと思われていた台詞や設定が見事に後半の伏線になっていて、その回収が始まった辺りから感動ものです。

私のお気に入りは「雲のクークーランド」という、何でもありで年中パーティしてるような世界。「クークー」って、私の誤解じゃなければ、思考のチューニングが若干外れているという意味だったような…ゴゴゴゴゴ…そこで、ユニキティという、ユニコーンと子猫のキメラみたいな、アニメっぽい顔の子が楽しい。「ここでは、前向きなことなら何でもありなのよ!何でもあり!悪い感情なんてのわああああ(ちょっと怒り顔ゴゴゴゴ)、無しよ!」(超笑顔&星が飛ぶ)からの「もちろん、脈絡なんかないわ~」と逆さづりになって嬉しそうに言ってくれる…「脈絡なんかないの」ですごく励まされた私、レゴの世界での居場所はどこなのかがよく分かったわ。

おしごと大王に立ち向かい、普通の人々が「変なもの」を作り出して対抗するところ、なかなかいいのですが、結局そこまで「変」じゃなく、見栄えがいいの。するとね、「遊びや空想の中での厳格な世界観」問題に絡む「自由っつってもやっぱり守られるべき一線というものがね…」という限界をメタレベルで見つめることになります。それって何かパヨクに教えてくれているかな。「若干着心地の悪い服」みたいなもの=「社会規範」が無かったら、そもそも世界というものが成り立たず、あんたもあたしも「クークーランド」の脈絡の無いパーティの世界に転落するんだって考えたらどうだろう。「クークーランド」が実は何を象徴しているか。これはご覧になったら分かるけど、「あらゆる規範からの自由」とは結局何に行き着くのか…「自由に好き勝手にしたい、他人に「私」を定義してもらいたくない」という強烈な想いに取り憑かれている人にとっては何だかあんまり笑えない映画ねびゅおおおおお…

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。