パヨクのための映画批評 45

今、あなたに話すと遠い物語…とも言えない
~「勝手にふるえてろ」(2017年、日本)~

「こじらせ」という言葉は、一体いつからポピュラーになったのかしら!

かく言う私も、非常に軽微でしたが色んなものこじらせてました。パヨクは言うに及ばず…実は中学校入学前に「友達の選別」のことでこじれちゃったの。

私って、クッソ地味小学生だったし、本来ならば誰にも名前を呼んでもらえない席でひっそり本を読んでるべきだったのに、やたらと出たがりだったんだな、小学校の高学年の頃。そのくせ意気地なしで一言多くて…って今も全然治ってないんだけどね、そういう子だったので、遂に小6の最後、お友達と言えそうな人がほぼゼロになったの。私の中で「この人たちのお友達でいたい」というややキラキラしたグループを見つめながら、実際に私と一緒に遊んでくれてた友達のことを内心少し下に見てたんだろうな。んである時それがみっともなくバレてしまい、本当に友達と言える人が一気にいなくなったの。今思えばざまぁみろだし、もっと私自身苦しめばよかったと思うけど、ショックに陥っちゃってね、中高は、もはやクラスの人とどのように、何を話したらいいのか分からなくなってしまったのです。

話なげぇが、そういう傲慢且つザマミロな小学校時代から、怯えまくって迷ってた中高時代。大学では自分のお花畑の世界に引きこもってたわね。でも深刻な迷い、パヨクに気が付くまでには更に10年近い時間を要したゴゴゴゴゴ…今あなたに話すと遠い物語…(セシルの週末)。私としては、今回の映画「勝手にふるえてろ」の主人公ヨシカのあの自意識過剰で考え過ぎてるだけの防御的な姿勢、分かる。独り言も元々多くて、頭の中の自分と対話する方が多かったし、未だにそうだからこんな文書いちゃうんだよね。観ながら「私はもうそこは卒業した…はずなのにどうしてこんな痛いのグハァ( ゚д゚)」と思いました。その夜は夢の中でヨシカの様子がぐるんぐるん回って悪夢でした。

「絶滅すべきでしょうか?ねえアンモナイト、生き抜く術を教えて」なんて自作ソングを歌っちまうめんどくせぇ24歳女のヨシカちゃん。思考が自分の中で留まってて妄想してる間は周囲への害は無いけど、いざそれが外に溢れだすと、攻撃は最大の防御とばかりに恐ろしく攻撃的な人に変貌する。「対人恐怖症」は日本の文化的な背景に根差した文化依存症候群だと言われているけど、他人との距離の取り方が分からないまま成人する人がいても別に変だとは思われない社会って西洋人からしたら珍しいらしい。他人との距離の取り方が分からない間は自分との距離の取り方も学べない。

中学時代からある男子に勝手に片思いしてるヨシカは、仕事ではおもちゃ会社の経理をしている。台詞に「経理なんて軽んじられてる」というのありましたけど、全然違うわよ、会社で一番怖いのは経理。彼女の「一極集中的な優秀さ」を描くための設定なんでしょうな。でも営業が「何にも分かってない」という描写も納得よ。そうなのよ~世界の秘密を知ってしまった営業は独立して会社作ったりするから会社に残らないのよ~。適当に「分かってない」方が周りがそれに合わせてくれるもんね。代わりに、人当りのよさとか、空気を読むセンス、前向きな姿勢は必要ですね。最悪の場合、人当り悪くても空気さえ読めればあとは周囲が拾ってくれるわ。周囲を踏みつけながら。そんな営業担当、会社で時々見かけます。

ヨシカ、人生の半分位を妄想の中で生きているんだけど、じゃあ妄想が彼女を何かから救っているかと言うと、全然何も救ってない。バリアーを張ることで自分を護っているつもりが…実はそういう生き様が通用するのは「学校」とか「地域」とか、狭い世界だけなの。多少大きな世界…互いに「おまい関係ねえし」という無関心がベースになってる状況…つまりは「人と繋がること」がゴールとして夢想される都会空間に出た途端、バリアー張ってるって生き方が、本人の人生にとっておかしな風に作用しちゃう。他人から見れば滑稽ですらあるんだけど、本人はしんどいし、周囲の人もしんどいから皆から距離を置かれてしまうし、下手に親身になると「そんな同情いらねえ」とキレだす。優しくされるのが怖いのね。隣に住んでる片桐はいり扮するオカリナさん位のものよ、恐れないのは。「私は、名前に人生を支配されてしまったのです」みたいな意味不明な台詞が大好き。私もそういうこと会社で言ってそう(やめれ)。そしてヨシカやってる松岡茉優さん、素晴らしいよ…彼女だから見てられるっていうギリギリのところを演じたわね。

この映画では、会社の別の部署の冴えない男子がヨシカのことを好きになって、彼女のATフィールドを破ろうとするの。なかなかいないわよ~そんな方。ヨシカは、そんな彼のことが怖い。「自分」しかいなくて完璧だった世界に他人が入り込んで来ると、他人を通じて無価値でちっぽけで、正直受け入れられない自分が自分に対して暴露されるかもしれないからね。なるべく「分かった風な言葉」で彼を定義して名前も呼ばず、自分の中で「モノ」にしようとする。でもさ、そんなの彼に対して失礼な態度として出て来ちゃうのよ。ヨシカは他人を尊重できないばかりか、自分の「本当」さえ見ようとしない。自分のことを分かろうとしないから、自分を愛したいのに愛せない。家族だって周囲だって、彼女に悪意をぶつけてはいないのよ。男女関係ないね。そういう人はどこにでもいる。この領域の問題に関しては、私の10歳以上年下の女の友達が至言くれたわよ:相手にクソを投げつけるのは愛されたいときよ。私、この言葉に腹の底から震えました。若いのにあんた…そんな彼女に本作を観た直後に連絡したら、彼女も直ぐ観ちゃって、「震えが止まらない」という連絡が来ました。お願い、絶滅しないで!!!

ラスト10分間位のヨシカの暴言、聞いてて耳がアイタタタタタ…ああそういうバカなこと、口にしたり考えたりしてたなぁ…好きだとか言うなら全部受け入れろよとかさ。しかも口汚い。それに対して男子がいいんだな。そんなの無理だよと、ヨシカの傲慢さをちゃんと批判するの。そう、そう言ってあげることが、相手のバリアを崩すことになるんだと39歳の私は思います。「勝手にふるえてろ」というセリフ、きっと見る人によって違う意味に取るんだろうけど、ヨシカがATフィールドを少し弱めた…つまり自分なんて、傲慢で身勝手でつまんねえただの人間だと初めて受け入れる気になったと観た。ものすごく小さい一歩だけど、こじらせが真人間になる一歩を踏み出したという意味では大変意義深いシーン。映画館で見た時、あの日恐らく会場であたしが最高齢だったと思うが、隣に座った若い女性、泣いてました。

あんたも勝手に震えているのかい…あたしもそうだったよ…びゅおおおおおお

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。