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パヨクのための映画批評 47

竹美は非国民なのか~「シン・ゴジラ」(2016年、日本)~

昨年、イーストウッド映画やアメコミ映画に意識的に挑戦したように、やっぱり「皆大好きなのに私には全然刺さらない」映画を観るべきだなあと思いつつ、やっぱりね、「ああああん観たい観たい観たい観たいわあああ」と観る前から感動の準備が100%できてるような映画の方をついつい観てしまうんです。

たわけ者!そのような心がけでパヨクリハビリを語れると思ったかぁ!?

今回は日本国民がもろ手を挙げて絶賛(?)した「シン・ゴジラ」を取り上げます。2016年と言えば本作と「君の名は。」の2本の年。なのに私、「君の名は。」は未見、「シン・ゴジラ」は観て「楽しかった」ものの、大して感動しなかったんです。周囲が熱狂する中私だけ残された気分で1年が過ぎました。

この「私だけ盛り上がってない」感じ、映画鑑賞の1年後、テレビ放送された時に思い出したの。一体何なんだろう。今回は、私は全然刺さらなかった大作映画「シン・ゴジラ」を通じて、果たして自分は何者なのかと考えたお話をしたいと思います。

お話は至ってシンプルよ!東京にゴジラが攻めて来たので、日本政府が中心になってゴジラの動きを止めた。というお話。もちろんサスペンスもふんだんにあって、十分引き込まれる映画だった。

本作、「会議のシーンが多い」点、状況が悪化するのにぜえんぜん進まねえじゃん!という緊張感を「職場の中にある一般的な不満」で高めたのがいいね。で、口ばっかりのエラそうエリートはさっさと人生劇場から退場し、生き残ったのは、老獪なタヌキじじぃとふてぶてしい「組織の外れモノ」ばかり…一芸に秀でる方に栄養行っちゃったんだねー、人とのやり取り…コミュニケーションの神経に栄養行かなかったんだねー、ってな外れモノ達が集められてくるんだね。あのタイプは組織に忠誠とか感じてないしスキルがあるからしぶとく生き残るのよ。そして…彼らは一様にむすっとした表情であり、分かりやすいパトスが感じられない演技をしていた。私は、映画に対しては、甘ったるい不臭漂う位の古典的な昼ドラ的演技が欲しいわけじゃんか。本作、特に女性キャラは、全員誰が演じても同じ人になるんじゃないかという統一ぶり。その辺が乗れなかった最大の理由と思う(というか、思ってた)。英会話教室のCMノリで演じてた石原さとみさんは、唯一、「私、きれいだと自分でも思うけど、正直どうでもいいの興味あんまないから。ケラケラケラああまた人死んだウケる~」という空虚な持ち味が活きていた。あの人は小悪魔とかのレベルじゃないですよ、容器レベルです。からっぽなの。いい人の役もできるけど、「この人今本気で言ってる?」と疑わせる悪役の方が色気があってよい。鬼女の役とかどんどんやって欲しい。真木よう子さんもだけど。

逆に…私は、現実の世界の人付き合いでも「感情抜き」のコミュニケーションを恐れているんだと思う。相手の反応を私の中の昼ドラセンサーが敏感にキャッチして、ああいう冷たい反応だと、自分が受け入れられてないみたいに感じて不安になるんだな。「そういう反応ってことは、私に怒ってるの?!ねえ、私の何がいけなかった!?教えてねえ教えてよ絶滅すべきでしょうか生き抜く術を教えてください」って勝手に震えだすの。すると相手は益々私を虐めたくなるみたい。火に油、竹美に冷たい態度。どちらも盛り上がるわよ~。

んで、気難しいプロ集団、それはつまり、日本の職場にとって最上の状態は職人集団であると皆が思っていることを暗示している。日本は集団主義で勝つんだ、という物語として観てる人もいたもんね。また、職人集団のリーダーに求められるものは何か。心の揺れを排して仕事に徹し、自分の身を投げ出して決断をする新総理が無自覚の英雄になっていく、その滅私の感じがいいんだな。各部門のプロたちは、元々各々の持ち場でベストを尽くせるからこそ…感情に揺れるリーダーや、手続きに拘るエリートなんて端っからバカにしている。でも違う見方をすれば「感情を発露させる」ことが単に少し羨ましいのかもしれない。心的動揺を自分に許さない分、他人にも厳しくなってしまうからあの表情になっちゃうんじゃないか。そういうパトスよりロゴス寄りの人達の気迫が画面全体を覆っている映画ではあった。そしてそういう生き方してる人にとっては何かメッセージを放っているのかしら。私の生き方は、言わば、「シン・ゴジラ」世界では早く死んじゃう側の弱い人間なのね。居場所はないんだよ。感情を発露させてもらえないまま、「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」という壮絶な心理状態の日常の中で育った大人…つまりは感情を殺して生きるほか無かった「強く生きる」サバイバーにとっては、この世界はどんな風に見えているんだろうか。

地上波テレビで本作が放送されて3日間くらい、ツイッターは騒然としていました。皆この映画に色々なドラマを読み込んで感動しまくっていた。私に言わせれば、感情を排することを一つの美徳として描いている映画なのに、センチメンタル主義の人まで巻き込んだのは不思議でもありました…恐らく職人集団としての日本人、また、「自分の部を守って戦った」姿に感動したんだな。私が「風の中のすばる」現象と呼んでいるやつだ。

ま、結局私は疎外感を感じてしまったんですね。乗れた皆が単純に羨ましかったの。それは、パヨクを辞めよう辞めようと思っても辞められなかった、という挫折感と心の中の暗渠で繋がっているのだと思う。

パヨクなのにハリウッド映画にうつつを抜かしてるこの私は非国民なんだな。ある意味。私こそが、大ゴジラの尻尾から分裂してそこら中に毒を撒き散らすはずだったミニ・ゴジラなのかもしれない。「シン・ゴジラ」放送記念祭りの中で、あるリツイートが目を引いた:「この映画は、巨大災害を口実に日本という国家権力が暴走するのを肯定している」みたいな意見。そのリツイート主は、3か国語話せるグローバル派のリベラルな若者さん。ハリウッド映画好きの彼女もこういう形で乗れなかったということは…こやつも私と近い種族だったか…。確か、欧米人にもあんまりウケがよくないんだよね本作。

私は、①「シン・ゴジラ」に素直に感動した人達と、②あの無表情な職人ヒーローたちの中に自分の生き様を読み込んだ人達が、これからの日本をよりリアルに感じ、理解し、強く生きていくのだと期待しています。パヨクリハビリなんて一生必要ない人々が。恐らく日本の社会は、あらゆるオートメーション化や人工知能による仕事の代替に対して意外と抵抗を示し、例え効率が悪くとも、人の手をやたらとかけたがるでしょう。そして、あくまで「職人集団」としての生き方を追い求め続けるのではないか…それは多くの先進国の潮流ではないけれど、いささか非合理な仕組みの中でも日々懸命に生きている人々を見ていると、そんな気がするの。そうなりたくなくても、そういう方向に向いている。そんな潮流に共感出来なかった自分が最後に流れ着く浜辺はどこなのかしらね。びゅおおおおお

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。