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パヨクのための映画批評 48

困ったときはどうするか
~「ナチュラルウーマン」(”Una mujer fantástica”、2017年、チリ)~

今回はパヨク映画初のチリの映画です。チリは、20世紀パヨクの歴史において極めて重要な激動の時代を経験した国。1970年代に普通選挙で社会主義政権を選び(左翼政権の文化政策については『ドナルドダックを読む』という本から伺い知れる)、米帝の策動によって社会主義政権が転覆し(米映画「ミッシング」参照)、その後90年頃まで軍事独裁が続いた国。独裁政権をひっくり返した世紀の選挙の模様は「NO」という映画(本作のプロデューサーの一人、パブロ・ララインの監督作)で描かれています。自由を取り返したチリでは、一見優しそうなフィリピン人メイドが金持ちの若い一家を不安に陥れる「マドレ」というホラー映画があったり、心を病んだ弟のために一念発起する地味な兄貴を描いた日陰者ヒーロー映画「ミラージュ」、本作と同じ監督さんによる「グロリアの青春」等、なかなか面白い。さて本作はどんなお話でしょう。

年上の恋人オルランドと暮らしている目ヂカラの強い女性、マリーナ。性別を男性から女性に変更中の彼女は、ウェイトレス兼ナイトクラブ歌手。マリーナの誕生日を二人で祝った夜にオルランドが急死。死後に接触してきた元妻や実子たちから虐げられたり、死因について警察に疑われたマリーナは、何とかして彼と最期のお別れをしようと奮闘する。

本作を「差別の物語」として観てしまうとただつらいだけなんだけど、強烈な目ヂカラが印象的なマリーナが街をガシガシ、或いは颯爽と歩き、ある時は向かい風と格闘するおかげで、全く印象の違う映画になりました。

マリーナ先生の強く生きる技術その1は、オルランドが死んだと医者から聞かされた時。トイレの個室に入って、床に手をついて深呼吸した。これ、「親切なクムジャさん」の心の落ち着かせ方と同じ。誇り高いマリーナは他人の前で涙なんか見せない。警察の質問に対してさえ、自分に不利になると分かっていてもいちいち親切に答えたりはしないわよ。強く生きる技術その2は刑事さん相手に一歩も引かないこと。「病院に運ばれたとき、どうしてオルランドは怪我をしていたのか。虐待があったのか」という質問に対しても「その話はもう医者に話しましたけど?」って目ヂカラでキッと見返すマリーナ、強すぎ。あなた逮捕されかねない状況よ?警察って同じことを何度も聞くものなんだけどね、私なら半泣きオネエで何でも白状するわね(やや実話)。強く生きる技術その3は前を見据えてガシガシ歩くこと。本作、とにかく彼女が歩くシーンが多い。歩くときのカット、彼女とカメラの距離や歩き方で彼女の気持ちが分かる。

周囲が祝福してくれてない関係に家族たちが口出しして来たら…地獄ですよね。オルランドの最期も、彼の愛も知らないのに、家族たちは、マリーナを虐めて腹いせをする。しかし、彼らとて、父親であり元夫を亡くして打ちひしがれている上、彼が死の間際まで元男性の若い女と暮らしてたってことで混乱している…そのぶつけ先として、力強く対峙するマリーナは格好のサンドバッグよ。強そうだから。お通夜会場を突き止めてやってきたマリーナに対して男共はひでぇことするんだけど、でもどこか…自分たちもどうして彼女をあんなに痛めつけるのか分かってないんだね。特に息子さんは最初からマリーナにひどい態度を取るんだけど、どことなく戸惑いが見える。彼は、本来は暴力野郎ではなくて、多分、ふつーの金持ちのボンボンだから、他人にそんな態度を取るのは本当の自分じゃないと思ってるんだろう。息子はオルランドの家に勝手に住み始め、ピザを食い散らかす。その汚れた跡を見つけるマリーナの耳には蠅の音が聞こえる。「目も当てられないけど、これは出ていけってことね…」と直ぐ合点する彼女、荷物をまとめはじめます。人間できすぎ。

あのね、あんまり言えないけど、こういう状況で、ご家族がまともで協力的で思いやりに溢れていると、本気で救われる一方で、あっという間に自分の指の間から何かが滑り落ちていくように感じるのも事実よ。

困惑と絶望と悲しみの中にあってさえ「困難が人を強くする…」と一人呟くマリーナ。彼女は「彼らが本気で編むときは、」のリンコと違い、日々湧いてくる怒りも自分の人格の一部として飼いならしているように思う。それが本作を力強くしている。それでも絶望の中でとぼとぼ歩いてしまう時は、心の中で思い切り強気な妄想を抱く。地球の反対側でリンコは「女子力高い」生き方という苦行の中に救いを求めた。どちらもそれぞれの文化や価値観を反映している気がする。

マリーナの歌も良い。最初は「あんたは昨日の新聞みたい、全部知ってる話だし、私は昨日の新聞なんか読まないわよ」って強気サルサ。その後、マリーナはクラシックの歌を二曲歌います。1曲は「私はないがしろにされた妻」って歌らしい。もう一曲はオンブラマイフ。ところで歌の稽古をつけてくれる歌の先生ジジィ。突然マリーナが来ても「歌のレッスンに来たのか?世間から隠れるために来たのか?」と質問し、事情もろくに聞かないでも彼女の苦しさを感じ取っていたかのように描かれる。何者。その上であのタイミングで「私はないがしろにされた妻」を歌わせるヒゲジジィ先生ったら内面は意地悪クソオネエじゃねえか(多分すき)!!!でも、苦しくてつらい時は、そういう愛のある付き放しが劇薬として一瞬効くわよ…マリーナ先生の強く生きる技術その4は、自分の境遇に似た痛い歌を歌うこと。この劇薬は持続性はないけど。笑えないままの不幸はずっとそこにあり続けてしまうでしょう。いつか笑って話せるようになれた時、初めて不幸は去る。マリーナもそれを願って歌ったんだろうな。ずっと笑えないままの不幸もあるんだけどね。

「困難が人を強くする」。あまりにつらいと、心は、あなたに訳の分からないことをさせようと次々に挑戦して来るよ。そういうときは形から入って体を制御する。マリーナのように、目ヂカラ強めで前を見据え、颯爽と歩いてみたら。或いは、思い切り不幸な境遇の歌を歌ってみたり、本作みたいな映画を観てみてはどうだろう。望んだ「今」ではないかもしれないけど、思ったより人生って長いから…また次の扉が待ってるはず。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。