(「GREEN LETTER」 1971)

「隠れホモ」とホモ・ビジネス

伏見 ところで、「蘭屋」さんってお金持ちだったんですか?

 あの人は奄美大島の出身で、元々あちらの金持ちなんですよ。奄美大島は大島つむぎの生産地で、彼はそれの一手販売の代理店をやってたんです。だから奄美大島から大島紬の出来上がったのを仕入れて、それをお店に来る金持ちのお客さんに売ってずいぶん儲けたみたい。

伏見 元々、東京でそういう商売をしていて、資本を貯めて「蘭屋」を出したってこと?

 そうそう。だって最初から奄美大島から出てゲイバーやるとは考えないでしょ。

伏見 昔、奄美大島から出て来る人なんてそんなにいないですよね。どんな方だったんですか?

 見かけはすごいんだよ。顔が四角くて、がっちりしててね。それで、「新宿のジャン・ギャバン」(って言われてた(笑)。

伏見 年齢は?

 私よりもずっと年上。「イプセン」のマスターくらい。

伏見 じゃあ、明治生まれか。今生きていても百歳は超える。生前、「蘭屋」さんにはインタビューを申し込んだんですけど断られてしまって…

 あの人は人見知りするんです。お店を経営してるけども、気持ち的には「隠れホモ」なんだよね。

伏見 そこをちょっと突っ込みたいんです。「蘭屋」さんはわかるんだけど、第一天○ビルの方とかはやっぱり「隠れホモ」だったんですかね?

 もちろん「隠れホモ」。

伏見 しつこいようですが、そういう人が信用金庫に行って、「ゲイバーのビルを作ります」ってよく言えたなぁと……

 彼は最初の出発点が居酒屋経営で、新奇なアイディアで儲かっちゃって、ビルを建てて自信を持ったんだよね。だから、いかに儲けるかというプレゼンがうまかった。敷金礼金なしで、お店を全部満杯にして、売り上げの20パーセントを取るんだというようなことは、当時の人は全く考えもしませんでしたからね。新しいビジネスのやり方を打ち出したんです。要するにテナントビジネス。他の商品ではそういうビジネスはあったけど、ゲイバーで同じことを考える人はいなかったですから。

伏見 普通の男女のスナックでそういうのはあったんですか?

 ないと思う。

伏見 オリジナルなことだったんですね。すごい商才があったんだ。でも、70年代の半ばだと、「アドン」初期の南さんだって、現在的な意味でのゲイ・プライドみたいなものはないじゃないですか。

 ないない。

伏見 そんな時代によくビジネスっていうことを。例えば、ワシントンパレスの上にあったスカイジム……。

 あれは前は回転レストランだったんです。それが経営が良くなくて、潰れるという話になり、じゃあ回転乱交ホテルにしようということになって、Kさんが権利を買ったんです。

伏見 スカイジムは70年代ですよね?

 70年代だね。

Kさんとの関係

伏見 Kさんっていう人も面白い方ですよねえ。

 あの人は大変商才に長けた方でしたよ。彼がいなきゃ僕は雑誌をやってないですよね。「アドン」の始まりだって、「広告集めは私がやりますから、あなたが雑誌を作ってください」っていうKさんの話からだから。

伏見 Kさんは財をなしたんですかね。

 ものすごい財をなした。

伏見 誰が受け継いだんでしょうか?

 受け継いでないです。あの人は、そういうことを考える人じゃなかったんです。

伏見 そのお金はどこへ行っちゃったんですかね。

 みんなパカパカ散財しちゃったの。

伏見 でも、今で言うところのゲイ・ビジネスをやる人たちって、言い方は悪いですけど「隠れホモ」じゃないですか。同性愛者としての自分を隠したい気持ちと、ホモ・ビジネスとしての銀行との付き合いとかって、どういうふうに自分の中で折り合いをつけたんですかね?

 それはやっぱりね、金儲けに徹するわけだから。Kさんは大学を出てからずっと、○○新聞の大阪本社営業部に勤めていたんです。彼は色々とアイディアを出しては、広告を集めたんだよね。大阪本社では得難い人物だったんですよ。そこで彼は自信を持って、東京に行って「一旗あげよう」と一番最初、早稲田に広告事務所を立ち上げたんですよ。そして広告を集める一方で、ポルノショップも経営してた。でも二足のわらじは履けないからってことで、広告会社を若い子に託して、自分はポルノショップの方を一生懸命やったの。そしたらこの広告会社を託された奴が、売上金を全部持って逃げたんですよ(笑)。それでそっちは潰れちゃった。

伏見 Kさんと学生時代にも肉体関係はなかったんですか?

 肉体関係はないけども、お風呂場で抱きつかれたことはある(笑)。話すと長くなるんだけど、彼は四国の出身で学生時代は夏休みに郷里に帰るわけです。その時に必ず二等車に乗ったんですよ。なぜなら、そこには金持ちがいるから。学生目当てにハッテンしたい男が必ずいるんですよ。

伏見 本当に?(笑)

 ええ。それでいつも往復の汽車賃はタダになるし、大阪で一泊してご馳走にもなって、もてなしを受けるわけだ。そのうち彼は、そういう大人に若い子を世話して稼げると思いついたわけです。

伏見 まさに商才に長けてる!

 そのターゲットに私がなったわけ。

伏見 でも、同じ年でしょ?

 そう、同じ年。でも、僕の方が彼より若く見えるわけ。若い時代、歌舞伎町の「アドニス」へ行った際にKさんがいたんだけど、2階に上がって行ったら彼がビールを届けてくれたんですよ。僕が帰ろうとしたら、後をついてきて「どっかに飲みに行きませんか」なんて言われて、それがきっかけで友達になったんです。だけど、向こうは商品としてこっちを見ていたわけだ(笑)。

伏見 Kさんは別に「アドニス」に勤めていたわけではないんですよね?

 そうそう。それである日、「築地の料亭に行かない?」って彼がいうから、「珍しいとこだから行ってみよう」と思って、一緒に行ったんです。そしたら、年輩の男が大広間に座ってるんですよ。Kさんがかしこまっていたら、「お風呂でも入って来いや」って言うんです。それでお風呂に入ったら、Kさんがお風呂の中で抱きついてきて耳打ちするんです。「今晩あの人と寝てくれない?」って(笑)。これは大変だと思って、さっと上がって、そのままお風呂場から逃げて帰った(笑)。

伏見 いろんな経緯を聞いていると、Kさんとの出会いは、ある意味で南さんの人生に決定的な何かを与えているんですね。

 まったくその通り。彼が大学を卒業して、就職先の大阪で成果を上げて東京に戻ってきた時に、「パル」でばったり出会ったの。

伏見 そういうことだったんですね。当時南さんが二丁目で飲み始めた頃って、政財界の偉い人とかは二丁目に来ていましたか?

 来てないよ。

伏見 そういう人はやっぱり来ないんですね。彼らはどこでどうしていたんでしょうかね?

 どうしていたかはわかんないけど、まだ二丁目のバーっていうのは青線をちょっと改装した程度だから、貧相なんですよ。だから、今みたいに洒落たお店なんかなかった。

伏見 そうか、当時にしてもちょっと汚かったんですね。

 そうそう。……そういえば、天○ビルの人に「あんたのところのモデルを紹介してくれよ」って、言われたことがあるの。でも、モデルはそういうことはやらないんだよね(笑)。「あんたのところはもういるじゃない」っていったら、「アレは定食だから、たまには特別なランチが食いたい」って。

伏見 Kさんとは全然連絡とか取ってないんですか?

 取ってない。あの人は、僕がゲイリブ運動をやっていた時に、「そんなことをやらずに商売の方に熱を入れた方がいいんじゃないか」って忠告してきたんですよ。

伏見 でも、たしかに、南さんはゲイリブなんてせずにビルでも建ててたら大金持ちになっていたんじゃないですか?

 そうかもねえ(笑)。

(つづく)

 

南定四郎 

1931年、南樺太生まれ。1980~90年代にかけて日本の同性愛者の運動を主導した。

1974年にゲイ雑誌「アドン」を創刊。

1984年「IGA日本」を設立以降、日本のゲイ解放運動において先駆的な役割を果たし、パレードや映画祭、HIV啓発運動などをこの国で実現した立役者。現在、沖縄在住。