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パヨクのための映画批評 52

遥かなるメキシコ〜「リメンバー・ミー」(”COCO”、2017年、アメリカ)~

私は、3年ほど前にどういうわけかメキシコに行くんだと思ってた時期があったのね。そしたらその1か月後にメキシコの人と付き合いだしたの。結局メキシコに行くことは無く関係は終わってしまったんだけど、最近メキシコの祭事の中でも有名な「使者の日(Día de Muertos)」をテーマにした映画を観ました。メキシコの死者の日に関する映画…と言えば、昨年ご紹介したアニメ映画「ブック・オブ・ライフ」があります。本作パクリかよと思い、実際、あの映画の監督さんも複雑な思いがあったみたいなんだけど…でも、結論から言うと、今回ご紹介する「リメンバーミー」、完全に別物でとても楽しめました。

「アメリカはもはや白人の国ではないのだ」というのをアピールするのが2017年に一番ウケると踏んだディズニー様の判断に戦慄した。更に、共同監督にメキシコ系アメリカ人のゲイの方を後付のように置いたのも…色々考えると、ディズ様、えげつないまでに商売がうまい。私たちの好みや関心の持ち方は、知らぬ間に方向づけられているのではないかと思う程度には、あたしのパヨク魂も腐っちゃいない(まあ腐ってるからこんなんなるんだが)…「ブック・オブ・ライフ」では、メキシコを離れ北米に暮らす人々の望郷の念を感じたけど(同作のプロデューサーは今年オスカーの監督賞を獲った史上3人目のメキシコ人、ギジェルモ・デル・トロ様でした)、本作はアメリカの中に定着してるメキシコの人も、メキシコ人も楽しめるお話になっていたようです。

メキシコの田舎町に住む少年ミゲルは歌手になるのが夢。でも、家族のしきたりで音楽は絶対禁止。死者の日の夜、音楽を諦められないミゲルは伝説の歌手デラクルスの廟にあったギターをかき鳴らす。すると、ミゲルは死者の世界に迷い込んでしまった。死者の国から帰るために、夢をかなえるために、家族のために、ミゲル少年は奮闘する。

メキシコは、スペイン人のエルナン・コルテス一味がアステカに攻め入って滅ぼしたという歴史を持つ国。コルテスと結婚した先住民の女マリンツェは裏切り者の女として歴史に名を残しているが、メキシコの歴史は、その夫婦が象徴している通り、スペイン人の文化と現地の文化が混じり合って別物になっていくという面白い展開を見せます。

本作のメキシコへのこだわりを言うと、死者の日に欠かせない花、マリーゴールドを「センパスチル」とメキシコの言い方で呼んでいたこと。それからアレブリヘスというド派手な木彫りの人形をモチーフに使っていたのも面白い(私も一つ持ってます)。そして、死者の国の建物の土台は、アステカやマヤのピラミッドなのも注目。

さて、本作は「リメンバーミー」という邦題なのですが、「家族があなたを覚えている限り、死んだあとも死者の世界で生きられる」という仕組みの世界になっております。また、死者の日にお供え物として家族が写真を飾ってくれると、生きている者の世界を死者が訪問できる。そんな本作を「家族制度に個人を縛り付ける物語なので気に入らない」と批評してる人をツイッターで見かけた。なるほど〜そうも見えますよね。日本人には、愛情より義務や命令の方が気になるのかも。メキシコの文化では、家族のベースには「深くて強い愛」があるべきと考えるようね。日本人にとっての毒家族…愛情は無いが義務は果たさないといけない…というようなイメージで本作の「家族の想い」を凝視してしまうと、嫌なことを思い出す人もいるかも。悪い人は一人もいないけど、意地張ったり頑なになることで人は誰かの「ワルモノ」になってしまうっていう物語は切ない。現実はきっともっと面倒ね。でも、恐らく意図的に、「ブック・オブ・ライフ」よりも家族の縛りを不快に感じるように作ってあると思う。前半はちょっと疲れる毒家族物語なんだけど、大丈夫よ。本作はメキシコの家族を通じて、深い愛と心配で目が曇ってしまうと、大事な人を却って苦めることもあると教えている。原題の「COCO」の意味が分かると、また家族愛が沁みてくる映画ね。

ところで、映画の趣旨に反するようだけど、私個人としては、皆から忘れられたとたん、その人が死者の世界からも消えてしまうことも、一つの安らぎだと感じる。死んだ後まで家族とのゴタゴタが続くのって、私は残酷だと思ってしまう。それもこの映画を毒家族映画として観てしまうパヨクの気性が私の中に息づいているってことなのかな。最近よく思うけど、何でも素直に感動できる方がいいね。嫌いなものや憎い人を見つめなければいい。本作の主人公ミゲルのように、自分の好きなことのために全力で駆け抜けたら、皆にとって新しい明日が開けるかもしれないんだから。フィクションはそういうことを考えさせてくれる。

割と最初のシーンなんだけど、死者達がセンパスチルの花びらでできた大きな橋を渡ってこちらの世界にやってくるシーンが美しくて泣けてしまった。ただただ死者は、誰かに会いたくて、昔が懐かしくてこちらに向かって歩いてくる。来たところで会えるわけではない。生きている家族の姿を見て帰ってくるだけ。そこに「リメンバーミー」の歌詞、「今はお別れだけど私のことを忘れないで」という歌詞が重なって…私も夏にセンパスチル=マリーゴールドを植えて、遠くに行ってしまったメキシコの人のことを考えてみようか。懐かしむにはまだまだ日が浅いけれど…彼もいつの日か、日本で過ごした日々を懐かしく思い出すのだろう。橋はいつか私達の間に架かるだろうか。果たして、その時互いのことを覚えているんだろうか。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。