パヨクのための映画批評 54

「マッチポンプ」とトムクルーズという免罪符
「バリー・シール/アメリカをはめた男」(”American Made”、2017年、アメリカ)

 

トム・クルーズはハリウッドのイカニモ系。彼以降の俳優で、観てて落ち込まないからとりあえずこの人の映画なら観ようと思わせる人ってそんなにいない(私はちっともそう思わないんだけどね。「トップガン」でトム様が君臨した同じ年、「エイリアン2」の兵士役をやった時のマイケル・ビーン様を今すぐここに寄越してくれたらもう人生に迷いません)。実は背が低くて顔が大き目という見てくれの短所を補ってあまりある魅力で今なお大スターよ。そんなトム様が「アメリカをはめた男」なんてチャラいタイトルの映画に出ちゃうなんてねえ…と益々興味が持てず本作は無視してました(ごめん)。でも、「麻薬を巡る80年代のアメリカと中南米」という最近気になっている状況を扱った映画なので頑張って観てみたら、あらまぁ面白い。最後まで全く飽きませんでした。

1978年、民間航空会社のパイロットだったバリーは、密かに物品の密輸をして小金を稼いでいた。そんな時CIAが彼をリクルート。当時、冷戦まっただ中、米ソで陣取り合戦が繰り広げられていた中米に偵察機で飛び、ゲリラ拠点の航空写真を撮ったり、反共ゲリラに物資を密輸するという秘密の諜報任務をバリーに依頼する。スリルを好む性格も相まって、バリーはCIAの仕事をしながら、こっそりとアメリカ・中米・コロンビアという国境をまたいだ銃・コカインの密輸ビジネスを始め、巨額の金を手にしていく。

本作、冒頭でカーター大統領が「自由が危機にさらされている」と演説するところから始まる。彼は民主党。その後、映画では共和党タカ派の時代(中曽根・サッチャー・レーガンの時代)に入るんだけど、それによって何か大きく変わったわけじゃないのよね。本作で「民主党だろうが共和党だろうが、他国に爆弾落としまくったり、勝手に領内に入って写真撮ったり勝手に反政府勢力に物資運んだり、やってることは大差ない」と分かる。そしてCIAの節操のなさ。でも、不思議なのが、勝手に他国の領空領土を侵犯しているのに、全く「アメリカけしからん」という気持ちにならないの。同じ題材を扱っていても描き方一つで「そういうこともあるよな」と説得されてしまう。

さて、本作は、80年代に中南米社会が荒廃したプロセスとは、金を求める人々の強欲が肥大化する過程だったのだとも言っている。「中米の反共ゲリラは革命に興味なんか無い」というセリフもあり、映画の冒頭で出てくる「米ソの陣取り合戦」という構図も、何らかのでっち上げの可能性すら感じさせる。コロンビアのギャングはコカインをアメリカに売りたがっており、同時に社会情勢の悪化で銃の需要が高まっていた。アメリカ政府としては中米の反共支援を国内向けに(本当は誰向けだったんだろうか)アピールしたかった。中米のゲリラは、支援があるから活動してただけで、きちんとした組織も体制も無いただの荒くれ集団。時代が下るとものの見え方がこんなに変わっちゃうというのが映画の面白さ。

面白いと思ったのが、「善人で、家族思いの明るいアメリカ人」という一民間人が中南米社会情勢の泥沼化の中で大金を稼いでいたという一つの事実に対し、一切非難をしないこと。実在の人物だからというのもあるのかもな。娯楽映画としては、極端な状況の中を力強く生きたあっぱれな個人の物語としてとても面白い。でも、本作邦題の副題は当たってないと思うの。バリーはアメリカ政府をはめてなんかいない。バリーはあくまでスリルとちょっとのお金を求めて加わったに過ぎない。大金を手にして嬉しそうではあったけれど、強欲だとは描かれていない。彼のお金によって、彼の済む田舎町の経済が潤ったと描かれる。野球場なんか作っちゃって、子供たちにピザを振る舞う妻の輝き。アメリカの人にとって価値のある「コミュニティの一員として奉仕できてる」感じ、あれこそ幸せでしょう。かと言って、100%主人公に共感できる痛快コメディとして描いているわけでもない。ラストは何だか物悲しいような、でもトムクルーズの明るさのせいで「トムクルーズだし、直ぐ続編でお会いできそう」という不思議なバランスで終る映画になっちゃった。

バリーがアメリカ政府の複数の機関から逮捕される場面は「マッチポンプ」(一方で状況を悪化させ、他方で火消しをする様子)の好例かもしれない。CIAの指示で飛行機で中米まで飛んでたんだけど、むろん、違法。その上でCIAの裏をかいてこっそり麻薬密売をやっていたバリー。麻薬の密売をCIAが把握していたかは不明瞭なんだけど、その彼を同じ政府の別の機関である麻薬捜査機関やFBIや州警察が同時に逮捕しに来るという、狂った仕組み。それこそが原題「American Made」なのかもしれん。

また、ドラッグの問題という観点から見ても興味を引かれる。レーガン政権は、コロンビアの麻薬カルテルを潰そうとしていたが、コカインの大消費地になっていくアメリカの状況は変えられなかった。レーガンの妻、ナンシー夫人は80年代のドラッグ蔓延に心を痛め、撲滅運動をやっていたことが映画でも出てきます。でも実際、国防という観点から見た時、コカインの密輸と国内のドラッグ汚染に目をつぶってでも反共ゲリラ支援をやる方が重要だという判断がどこかにあったんじゃないかしら。

ところで、冷戦構造下の中米ゲリラの様子や麻薬カルテルの大物について、明るい調子で語るバリーの姿はやっぱり壊れている気がする。罪悪感ゼロ。今は、この種類の問題がそういう風に描かれうる時代なのだと思う。オリバーストーン監督の「サルバドル」のような「アメリカに反省を促すくそ真面目映画」に私達が飽きてしまったのかもしれない。イーストウッド映画の「アメリカは反省すべきところもあるがやはり偉大である」という描き方を経由した今があるのかもね。

アメリカが面白いのは、30年位したら、「ごめーん、実はさ…」ってエンタメ映画の中で国家機密がちらほら出てくるところ。黙ってられないんだね。「暴く」ことが禊になるのかもしれん。「後にならないと分かんない」って怖い。私らの判断基準や知識、選択する言動は、「その時代」というスクリーンに投映された幻影によって踊らされてるのも同然だと知るから。そういう意味では本作だって同じね。ちなみにハリウッド1のセクハラおやじ、ワインスタインさんのお話が映画化されるらしい(ブラッド・ピットが作るよ)。次は私達がどんな幻影に巻き込まれていくのか、楽しみね。

執筆者・竹美

 

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。