パヨクのための映画批評 55

平和のバロメーター、日本のおじさん
「いぬいやしき」(2018年、日本)

今年は「バーフバリ」の年ですが、昨年のベスト映画「皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」」以来、うっすら厨二テイストの漂う地味ヒーロー映画に惹かれています。地味ヒーローというあり方の男性性と健気さ、社会正義を求めるパヨク性が私を引きつけて止まない…そこへ来て、日本の漫画原作の映画「いぬやしき」が「ジーグ」っぽいらしいと噂を聞いたの。主演男優たちのほぼ全員がタイプじゃないのに見られるかしらねえ、お手並み拝見といこうじゃないの、色欲の竹美さん?と思ったら、大満足の映画でした。新宿の街がどんどん破壊されていく中、主役2人が飛び回るシーンも面白かったし、ラストにぞわっと鳥肌が立って、「ジーグ」感を得られた。その一方で厨二映画の中で「日本のサラリーマンおじさん」という存在にフォーカスが当たっていること自体が、安定している日本社会を象徴している気もしたの。

冴えないサラリーマンで、家族にも冷遇されるお父さん、犬屋敷さん。夜中に家の近所の公園でしょんぼりしていたら、偶然居合わせた高校生ヒロと共に、宇宙人によって機械の体に変えられてしまい、驚くべき力を手に入れる。その力を人助けに使う犬屋敷に対し、ヒロは自らの力の誇示と復讐のためにその力を使っていく…ってなお話。

この映画と「鋼鉄ジーグ」を比較してみると、2作に共通しているのは「取るに足りない人物が急に力を得て超人となって正義に目覚め、同じ力を持つ悪と対決する」という点。溢れ出る「これが好きなんだ!」という厨二の欲望が光源となって、それぞれの社会状況を映し出します。イタリアの「ジーグ」では、社会の底辺にいる孤独なチンピラと心を病んだ女性が心を通わせる過程を通じて、EUの中で経済は停滞し(「壊し屋はドイツ人だろう」というセリフがある)、警察は役に立たないし、薬物の密輸や強盗が横行、女性は傷つけられ、街では爆弾テロ、若者は早死に…という社会不安の中で、未来への希望が熱く語られる。一方日本の「いぬやしき」では、冴えない人生を送るサラリーマンと、性根の歪んだ孤独な高校生が対決する。会社で叱られまくってるおじさんが一戸建ての家を都内に買えてるって描写からも分かるけど、日本社会は圧倒的に平和で安定している。学校が学級崩壊してたりカツアゲやイジメが横行していてもね。制裁すべきはイジメ野郎や、ネットの暴言野郎(その人の描写がステロタイプ的なデブ・オタクなのよ)くらい。ヒーロー映画で未来への希望を語る必要もない。警察も結構直ぐに犯人に辿り着くし、有能よ(そうよ、3か月近い捜査の結果、私の家にまでやって来たあの日を忘れないわよびゅおおおお)

尚、テロリストとして覚醒していくヒロ君が全く高校生に見えず、教育実習の大学生位に見えてしまうのが難点と言えば難点だが…ヒロ君の心の空虚さは薄気味悪い。彼は、お母さんのことが大好きで守ってあげたいといつも思っているが、対照的に、母親を捨てた父親や、幸せそうな他人に怒りさえ覚えている。唯一、不登校の同級生の友達だけかもね、一緒にいて心地よいのは。ヒロ君が超人パワーで人殺しちゃった後、テレビの取材の前で「どう責任をとったらいいのか…申し訳ございません…」と謝りまくってたお母さんを観て、ヒロ君は苦しむ。でも彼の場合、共感する相手の範囲が狭い。若すぎて、「他人にも人生があるんだよ」って気が付けないので、「お母さんを苦しめた」世間に怒りを覚え、テロリズムへと昇華するの。迷惑ね! 厨二って、二次元の中で楽しんでる間は人に迷惑かけないんだけど、現実の世界で力を得てしまうとね、夢を叶えてテロリストになっちゃう。ISって、「カリフ」という神聖さが分かりやすいシンボルを利用した厨二精神の実現なのではないかと思うの。

ヒロの同級生で、心病んでそうな女子、しおんとヒロ君が接近していくところは、ドラマとしては薄いけどなかなかよかった。「大事な人」を喪った経験を持つ二人がぎりぎり繋がりそうになる。ヒロが殺人を犯したことを知って泣くしおん。でもヒロを恐れるのではなく、「大事な人に死なれた見知らぬ誰か」への憐みと、ヒロへの想いとの間で苦しむ。ヒロも同じように喪失体験をしているのに、しおんの苦しさを理解できない。だからテロリストになっちゃうんだけど。ただね、「俺が悪役なのか」というセリフは面白いが、お話の根幹と繋がっていない気がした。そうなのよ~この映画、他者への共感の欠落がテロリズムの根底にあることを描きながらも、それが映画としてのメッセージに必須だったかというとそうでもない。逆に言えば、そんなものをエンタメ映画の中に描きこむ必要が無い程に、日本は気楽で生きてられるってことかもしれない。

対する犬屋敷さんの方は、「誰からも必要とされていない」哀しいサラリーマンで、会社では年下の上司からミスを咎められる毎日。それでも働いて家のローン返さないといけないし、家族は皆彼を無視するしでね。社会人失格な私としては観ててつらい…。本作ではおじさんの悲哀を、木梨憲武が思い切り「ジジィ」に演じ、荒唐無稽な設定と、現実の日本社会を結ぶ役割を果たしている。

でもさ、日本のサラリーマンおじさんってどうして恰好悪いんだろうか。男性優位社会について2つのベクトルを考えてみたの:マッチョ主義が強くて男が見た目を磨く方向性と、男が「そのままでいいんだぉ」と子供っぽい方向に甘やかされて態度ばかりでかくなるベクトル。この2つのバランスで男性像を考えてみると、日本は明らかに後者が強い。犬屋敷さんは、「そのままでいいんだぉ」と育てられたのに、学校や会社に出た途端に挫折した形(挫折からの不満をミクロレベルで噴出させるのが「中年童貞」)。だからつらい。多分そこと密接に関係していると思うんだけど、本作にはセックスが一切描かれない。でも、確かにセックスの描写があったら違和感を覚えそうなのね。「ジーグ」ではセックスのシーンがとても重要で、主人公2人がそれぞれ抱えている痛みが伝わってくるの。

本作…日本のおじさんって、何も考えないで中年迎えてしまうと、金持ってるか見た目がよくないと、若造からは唾棄される存在になっちゃうから、超能力の一つくらいあればいいねっていう映画なのね…って自分で書いててつらいわ!!!!おじさんとおばさんの厄介な部分を煮詰めたような「オバジ」である私としては!!!!! 冴えないサラリーマンおじさんが生きる姿。それはある意味究極の平和の象徴。日本映画の中でサラリーマンおじさんの悲哀が描かれなくなる日が来たら…色々終わりかもしれないわね…その前に、私はもう…社会人失格…ダメ…びゅおおおおおおお…

 

執筆者・竹美

 

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。