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「うわぁ、すごぉい……。これ、全部ひとりでつくったの?」

 テーブルの上には和洋中、手当たりしだいにこしらえた料理の皿がてんこもりになっている。

「いやぁもう、なにが口に合うかと思ったら、完璧に節操のないラインナップになっちゃって」

「充分すぎるってば。ごめんね、こんなにしてもらって。……あ、おいしーい!」

 他にもホールケーキ——とてもそこまで手がまわらなかったので、オーダー品だ——と乾杯用のシャンパンとワインなどを用意しておいた。

 どこかのお店を予約するという手もあったが、うちらの会話って独特でしょー?ということでなかば強引にわたしのマンションを誕生日祝いの会場にしてしまった。理由は簡単。

 お泊まり目当てである。

 またしてもなんにもナシで終わってしまったら、それはそれでしかたがない。けれど、より親密になる機会ではある。ダメもとで挑戦だけはしてみようと思った。

「意外と、なんて言ったら申し訳ないけど、舞子って家庭的なのね。すっごくおいしいよ、料理」

「でしょでしょ、ふだん誰にも言ってもらえないんだけどね、女子力高そう、とかって」

 心から嬉しそうに料理を口に運ぶ沙希を眺めていると、わたしたちが出会ってから今日までのエピソードが頭に浮かんできた。

〈ここまで来るのに何度もやめようかな、って悩んだの。なんとなく……怖くて〉

 女好きな女の子向けのサイトで二丁目の情報を得た沙希は、内気なキャラクターにふさわしく、さんざん苦悩したあげくに勇気を振り絞ってコミュニティのドアを開けた。週末のクラブイベントで、心細そうに壁の花になっている彼女を、酔っぱらってかまっていたリカとスミレに、初心者がセクハラでもされているんじゃないかと心配して近寄ってみたのが、わたしたちの出会いだった。

〈でも来てよかった、舞子にも会えたし。やっぱり人生、勇気だしてみなきゃなにも始まらないよね〉

 出会って半年、沙希はいつもこんなセリフでわたしを感激させてくれている。そのたびに何度彼女をそのまま押し倒してしまいたい、と心底思ったことか。ところが願望と裏腹に全身は硬直し、毎回「なぁに言ってんのよぉ♪」なんて軽口で話をはぐらかしてしまう。

 たぶん今夜も同じことの繰り返しだろう。明日の朝、すっかり〈タダのお友達〉として免疫のついてしまった沙希を、わたしは内心涙ぐみながら見送ることになるのだ……。

「——どうしたの舞子、泣きそうな顔して」

 急に現実に引き戻された。

「え? い、いやその、沙希ももうあたしと同い年か、大きくなったもんだな、なんて」

「? ……変なの」

 そうこうするうちに食事は終わった。大きな二本のまわりに五本の小さいキャンドルを立てたケーキを食べて、ワイングラス片手にクッションにくつろぐ。間接照明だけの部屋のなか、ふたりのあいだには沈黙ばかりが目立ちはじめている。

 ——やばい。例の、意識している相手とふたりきりになると必ず襲ってくる緊張感がとてつもない勢いでわき上がってきた。黙りこくったままではますます緊張が増幅してしまう。なにか言わないと、と焦りまくっていると彼女のほうから口を開いた。

「舞子。……あの」

「え、あ、な、なに?」

 声が完全に裏返っている。

「あのね……ううん、なんでもない」

「あ、そう、ふうん……」

 またしても沈黙に包まれてしまう。時間が無駄に経過していく。

「——そうだ。帰る前に、お皿洗わせて?」

「はい?」帰る前?

「うん、もう遅いから、そろそろ」

「え? あ……そう、帰っちゃうの……」

〈泊まっていけば?〉のひとことが、どうしても出てこない。

 未練ではち切れそうになりながら、皿を洗うという沙希を強引に断り、玄関まで見送る。なにかを忘れている気がするのだが、どうしても思い出せない。

「あたしねえ……勘違いしてたみたい」

 うつむいてパンプスを履きながら、沙希はぽつりとつぶやいた。

「『誕生日のお祝いをしてあげる』って舞子が言ってくれたとき、あたしのほうからお願いしちゃったでしょ。『舞子の手料理が食べたい!』なんて」

 そうだったっけ? わたしのほうから自分の部屋でお祝いすることにしたような気がしていた。願望が記憶を妙なことにしてしまったのだろうか。

 沙希の声はますます小さくなっていく。聞き取るのがやっと、のレベルだ。

「部屋に行ってふたりっきりになれたら……そんなふうに思ってたの。でも」

 横顔が見えた。長いまつ毛に縁どられた大きな目に、淋しそうな色が浮かんでいる。

「考えたら、あたしのほうから抱きついたりしたことはあっても、舞子のほうからそんなふうにしてくれたこと、一度もなかったもんね。……もっと早く気づいてればよかった。自分のひとり相撲に」

 沙希のひとり相撲? と、いうことは。

 まさか。という思いに、金縛りにされる。喉は砂漠なみに干上がって舌は石に変わった。

「ごめんね、勝手に押しかけてきちゃって。ご馳走、とってもおいしかった。ありがとう。……じゃ」

 沙希の手が玄関のドアにかかった。自分のプライベートな空間から永遠に立ち去ろうとしている愛する女性に、全身を硬直させたわたしは引きとめる言葉さえかけられずにいる。

 いや、待ってお願い。まだやり残したことがある。今夜のメインイベント、そう、記念すべき夜に絶対に忘れてはならないことが——

「プ……プレゼント」

 金属のきしむ音をたててドアが開く。沙希の足が敷居をまたごうとする。もっと大きな声で言わないと、肝心なメッセージが彼女の耳に届かない。

「プレゼント……まだ渡してない。沙希、誕生日の贈り物っっ!!」

 彼女の足がぴたりと止まった。同時にわたしは全身の緊張から解放された。

「これ……!」

 奥の部屋までとって返し、つられて戻ってきた沙希にリボンのかかった小箱を手渡す。無言で開封し、息を飲む気配が伝わってきた。

「真珠のリング……?」

「六月の誕生石。サイズ、たしか九号だって言ってたよね」

「——いいの? 指輪なんて。だって……」

「だって、沙希へのプレゼントっていったら、これしか思い浮かばなかったんだもん」

 しばらく夢見る瞳で真珠を見つめていた沙希、やがて左手がわたしに向かってゆっくりと差し出された。

「……お願い」

 頭はまだ混乱していたが、指先にためらいはなかった。一瞬ののち、沙希の薬指は海から生まれた乳白色の結晶を宿していた。

 真珠の援軍を得て大胆になったのか、彼女の両手がわたしの頬に添えられた。唇がこちらの同じ部分に触れ、温かく弾力にとんだその感触に腰が砕けてしまう。舌が滑り込んできた。普段体内に収まっているパーツ同士を絡め合う禁忌感に、吐息が激しくなる。二の腕に柔らかい力を加えられ、わたしの身体はベッドマットに沈んでいった。

 思ってもみなかった自然な展開だった。

〈あたしのほうがアクティブなキャラクターなんだから、いざってときはこっちがリードしなきゃ!〉

 あの思い込みはなんだったのだろう。考えてみたらわたしたちは女同士、能動と受動にあらかじめ分けてしまうなんて意味のない取り越し苦労だった。生き方を狭めてしまう型に嵌まった発想から自由でいられることこそ、わたしたちのような生まれつき同性を愛する種族の持つ、なにものにも換えがたい宝物なのかもしれない。

 これまでに味わったことのない充実感と幸福感がこみ上げてきて、わたしは自分から服を脱ぎ捨てた。沙希も天真爛漫な態度で裸になり、わたしの上に優しく覆いかぶさる。乳房と乳房が重なり合った瞬間、めまいと全身を貫く甘いときめきに息が止まりかけた。

「——舞子、大好き」

 ややかすれてハスキーになった声とともに、沙希の唇が首筋に降りてきた。指先は乳首にまとわりつき、その部分の隆起をうながしていく。触れるか触れないかの絶妙な愛撫は、彼女の天性の技巧なのだろうか。唇が乳首にかぶさり音をたてて吸い上げた。わたしは自分の指をきつく噛んで声を押し殺す。

「舞子の胸、どんな感じかなって何度も想像してきた。……綺麗よ、とっても」

 嬉しさと恥ずかしさと混乱で、反射的に目を開いた。薄暗い部屋のなか、沙希の瞳に炎が宿っているのを見つけた。

 いままでにこういう輝きを放つ宝石を見たことはなかった。女が女のまま女を抱くとき、こんな柔らかい欲情と包み込むような支配欲の入り混じった表情を見せるとは思わなかった。生まれて初めて出会えた。わたしのすべてを覆いつくし、支配できる唯一の光に。

 遠い昔男がわたしの上にいた夜、その顔に浮かぶあからさますぎる興奮に嫌悪を通りこして憐れみさえ覚えたことがある。かなり顔立ちの整った男だったが、薄笑いを浮かべたその顔は主人の顔色をうかがう卑屈な犬にしか見えなかった。もしわたしにほんの少しでも男性に欲情できる要素があったなら、きっとそのまま足の指を舐めさせるなり顔面騎乗してやるなりして彼を調教してやったのかもしれない。だがこちらは生まれついての女好き、太い声も堅い胸も勃起したペニスも、わたしから単なる無関心以外の反応を引きだすことはなかった。異性はわたしと相性のいい素材ではないと、あの夜はっきり気づいた。

 長いあいだ探しつづけてきた宝物に、ようやく今夜巡り会えた。わたしとほぼ同じ大きさと感触と性染色体と、同じくらい敏感な皮膚感覚を持つ永遠の分身に。

 急に凄まじい勢いで衝動が突き上げてきた。わたしの上にいるこの生き物の、ありとあらゆる特徴を記憶してしまいたい。上半身を起こして沙希の背中に両手をまわす。

「させて……!」

「え……でも」

「お願い……したいの、すごく」

 沙希の困惑した表情が泣きそうにゆがんだ。

「……ごめん舞子、あたしそんなに簡単にスイッチ切り替えられない。いまはもう、するほうのモードになっちゃってるの……」

 わたし以上に切実な口調だ。彼女にまわした腕の力がゆるむ。

「あとでちゃんとポジション交替するから。約束する、だからとりあえずいまはこのまま……。お願い」

 必死の懇願に、わたしはまたおとなしくベッドに体重を預けた。

「——もう、聞き分けないんだから。っていうことはあんまり時間かけて焦らしてばっかりいると、また同じことの繰り返しになっちゃうのかな……?」

 ちょっと意地悪な口調で言い残し、沙希はわたしの下半身へと移動していく。裸の両足が大きく左右に開かれる。恥ずかしさから反射的に力がはいり抵抗するが、決然とした力強さであっさりと開かれ固定されてしまった。

「どうしてここまできて逆らったりするの? どうせこのあとは好きなようにされちゃうんだから、その前にじっくり観察させてよ」

 沙希がこんなサディスティックな一面を隠し持っていたなんて、予想もしていなかった。わたしの羞恥の炎はますます煽られていく。

 指が両足の中心の合わさった肉のあいだに侵入してきた。左右にめくりあげられる。すでにシーツまで滴るほど溢れている液体が間接照明に反射して、その部分は独特の光を放って自己主張しているはず。息を飲む気配、加熱した視線が突き刺さりもぐり込み背骨を這い上がって頭蓋骨に激突し、弾けた。観察されている。その実感だけで声がもれてしまう。

「舞子……ずっとこうしたかった」

 そのあとの言葉は聞きとれなかった。むしゃぶりついてきた唇と舌に全身を撥ね上げられる。両手の指でシーツを握りしめた。さらに袋小路へと追いつめるように指が押し込められる。自由な動きのそれは、内側の最も敏感な例の場所を求めて探索をはじめた。足の指がそりかえる。沙希の唇が充血しきった突起にかぶさり、音をたてて吸いあげる。器用な指に発掘された下半身の内側の痺れるような快楽が、全身に広がっていく。

 もう駄目、これ以上自分を地上に繋ぎとめてはいられない。

「……っ!!」

 全身の皮膚に痺れが走る。括約筋が殺人的な力で愛する女の指から感覚を奪う。

 喉の奥から絞り出された声ははじめて聞く雌の獣の叫び、わたしは沙希の苦痛にも気づかず彼女の頭部に力いっぱい爪を立てていた。

     ◆

「ごめぇん……。痛かったでしょ?」

「ちょっと、ね。でも、ちゃんと爪短くしてお手入れしてるじゃない。だから、たいしたことなかった」

 沙希の言葉を信用せずに、髪をかきわけて傷痕を探そうとするわたしを笑いながらいなして

「それより、こっちのほうがきつかったりして」

 濡れそぼった右手の中指を、そっと左手で包んだ。

「文字通り、って感じかな?」

「あ……」

 赤面してしどろもどろになる。

「ごめんごめん、あの、なんか自然にそうなっちゃったっていうか、そのっ」

 沙希は笑って、枕に肘をついてわたしの耳に唇をよせる。

「いいんだってば。それより、かわいかったよ、舞子。二丁目ではしゃいでるときとは、別人みたいだった」

「い、一緒だったら困るでしょ。『あんたフザけてんじゃないわよ、目の前のオンナを誰だと思ってんの、地上最凶の女好き女とはあたしのことなんだからね、覚えときなさいっっ!!』なんてノリ、ふたりでいるときもやってたら」

 照れくささに耳まで赤くなりながら、必死に冗談でまぜっかえす。

「ふふ。——それにしても得しちゃった、最高級品質の真珠、二粒ももらって」

 最高級、とまで言えるとは思えないが、沙希へのプレゼントはミキモトで購入した、会社員の稼ぎにしては背伸びしたしろものである。

「え……ふたつ? 一個だけだよ、指輪」

「もう一個もらっちゃったもん。……綺麗に光ってたわよ、舞子のプライベート・ジュエリー」

 悪戯っぽい微笑みから沙希の言わんとしていることが理解でき、わたしは反射的に頭頂部からつま先まで真紅に染まった。

「バ、バカ……! 言っとくけど、自分だってもうちょいあとで差し出さなきゃならないんだからね、同じものを」

「あら、そっちは二個もプレゼントしてくれたのよ。あたしから一個だけじゃ、引き合わないんじゃないの?」

 違う。もうもらった。

 生まれて初めて出会えた宝石、自分の正体を照らし出してくれた、世界にふたつとない輝きを。

「へぇんだ、あたしだってもらえる宝石は、ひとつじゃないもん」

「……え? どういう意味?」

 たぶんこれからもあなたはわたしにたくさんの宝物をプレゼントしてくれるのだろう。その宝石にふさわしい人間になれるかどうかは、今後のわたしの努力次第だ。

 そう。いつか絶対愛する女性とふたりで、誰も想像したこともないキラキラ輝く宝の山の上で結婚式を挙げてやる。お揃いのウェディングドレスに身を包んで、大勢のいまよりもっと自由になったお仲間や理解ある友人たちに祝福されながら。

「ねえ舞子、なんなのよその宝石って」

「教えてやーらない、っと!」

「あ、ずるぅい。なんで——」

 その手を両手でつかんだ。沙希の瞳をまっすぐに覗きこむ。

「じゃ、いまから見せてあげる、同じものを。そのかわり……」

「……そのかわり?」

「沙希のもうひとつの真珠、いただいちゃうね♪」

 照れて苦笑した瞳の奥に、すべてを受け入れる承諾の色が浮かんだ。今度はわたしが、待望の宝探しの冒険へと旅立つ番だ。

 うなじに唇を押しあてる。ベッドがきしみ、沙希はこの夜最初の声をもらした。

(了)

 

川西由樹子 / 90年代から女性同士の性について赤裸々に表現しているビアン・ライターの草分け。ビアン雑誌「カーミラ」でも主要ライターとして活躍。著書に『Q式サバイバー』など。